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第15話 いつか刺されるぞ

 氷室と一緒に生徒会室へ戻ると、室内は俺が出ていったときより妙な空気になっていた。


 正確には、三人ほどが露骨にこちらを見ている。


 夏目。


 椎名。


 そして白崎。


「遅かったな、春日井」


「五分くらいだろ」


「六分四十二秒です」


 白崎が即座に訂正する。


「測ってたの?」


「偶然、時計を見ていただけです」


「六分四十二秒まで?」


「偶然です」


 絶対に嘘だ。


 白崎は俺の隣にいる氷室へ視線を向ける。


「副会長。体調はもう大丈夫ですか?」


「はい。春日井君と少し話したので」


「そうですか」


 笑顔。


 だが、なぜか怖い。


「何を話したんです?」


「個人的なことです」


「私が聞いてはいけない内容でしょうか?」


「はい」


「即答なのですね」


「はい」


 氷室も笑顔だった。


 やめてほしい。


 俺の左右で、見えない火花を散らすのは本当にやめてほしい。


「春日井」


 夏目が俺を手招きする。


「なんだ?」


「氷室と何話した?」


「お前まで聞くのかよ」


「だって気になるだろ」


「私は聞きません」


 椎名が小さく言った。


「お、椎名は大人だな」


「後で氷室さんの表情と春日井君の言動から推測します」


「一番怖いよ」


 そんな俺たちを見ていた久世会長が、困ったように笑った。


「春日井君は人気者だね」


「勘弁してください」


「そうかな。僕には少し羨ましいよ」


 久世会長は冗談めかして言った。


 その瞬間だけ、氷室の表情が固まる。


 ほんの僅かな変化だった。


 けれど、今の俺には分かった。


 三年間も好きだった相手だ。


 簡単に何も感じなくなるはずがない。


 笑顔を向けられれば嬉しい。


 優しくされれば期待したくなる。


 それでも、もう自分は選ばれない。


 その現実だけは変わらない。


「会長」


 氷室が静かに口を開く。


「雑談より、衣装案の選定を進めましょう。昼休みは有限です」


「ああ、ごめん」


 久世会長は素直に謝り、机の上の資料へ視線を戻した。


 氷室も何事もなかったように自分の席へ座る。


 強い人だと思う。


 少なくとも、俺よりずっと。


「それでは男性接客担当は、白シャツと黒いベストで統一しましょう」


 会計担当の三島先輩が淡々と告げた。


「燕尾服は却下です。単価が高すぎます」


「安心しました」


「ただし春日井君のみ、試着済みなので黒ベストを着用してください」


「どうして俺だけ?」


「費用対効果が最も高いと判断しました」


「俺を商品として計算してません?」


「文化祭では人も資源です」


「否定してほしかった」


 三島先輩は眼鏡の位置を直す。


 感情の起伏がほとんど見えない。


 長い黒髪を一つに束ね、常に電卓か資料を手にしている三年生。


 生徒会会計。


 三島冬華先輩。


 久世会長とは同学年らしい。


「女性担当はどうしますか?」


 白崎の問いに、三島先輩は三枚の写真を並べた。


「第一案、通常制服。第二案、エプロン。第三案、簡易メイド服」


「メイド服!」


 なぜか夏目が一番に食いついた。


「氷室、着ろよ」


「嫌です」


「似合うって!」


「着ません」


「春日井が執事服着るなら?」


「……検討します」


「即落ちじゃん」


「落ちていません」


 氷室が夏目を睨む。


 白崎は静かに写真を眺めた後、俺へ尋ねてきた。


「先輩は、どれがいいと思いますか?」


「俺?」


「男性客の意見として」


 その言葉を聞いた瞬間、なぜか部屋にいる女性陣の視線が一斉に集まった。


 選択を間違えると危険な気がする。


「普通の制服でいいんじゃない?」


「逃げましたね」


 白崎が言った。


「何から?」


「女性の服装について意見を述べる責任からです」


「そんな重い責任なの?」


「では、私がメイド服を着たらどうですか?」


「似合うと思う」


 白崎の目が輝いた。


「氷室が着ても似合うだろうし、夏目は――」


「待て。なんで間があった?」


「夏目はメイドというより、元気な店員のほうが」


「傷ついた!」


「まだ最後まで言ってないだろ」


「椎名先輩は?」


 白崎が尋ねる。


 椎名はノートを胸元へ抱いた。


「私は接客が苦手なので……」


「でも似合うと思うぞ」


 俺が何気なく言うと、椎名が固まった。


「……もう一度お願いします」


「何を?」


「今の言葉を、もう一度」


「似合うと思う」


 椎名は無言でノートを開いた。


「記録するな」


「永久保存します」


「言葉を保存するなよ」


「今日の日付も必要ですね」


 椎名が本気で書き始める。


 氷室の視線が冷たい。


 白崎は微笑んでいる。


 夏目はなぜか俺の肩を叩いてきた。


「春日井」


「何?」


「お前、たぶんいつか刺されるぞ」


「誰に?」


「そこから分かってないのがすごい」


 本当に意味が分からない。


「では、試着はここまでにしましょう」


 三島先輩が立ち上がった。


「昼休み終了まで残り十三分。春日井君は着替えを。その他は片づけをお願いします」


 全員が動き始める。


 俺も空き教室へ向かおうとした、そのときだった。


 床に一枚の写真が落ちていることに気づいた。


「三島先輩、これ」


 拾い上げる。


 文化祭の資料とは違う。


 そこに写っていたのは、中学生くらいの男女二人だった。


 まだ眼鏡をかけていない三島先輩と、見覚えのある男子。


「……久世会長?」


 声に出した瞬間。


 三島先輩が珍しく素早く動いた。


 俺の手から写真を取る。


「見ましたか?」


「少しだけ」


「忘れてください」


「難しい注文ですね」


「では、記憶から削除してください」


「もっと無理です」


 三島先輩は無表情のまま、写真を生徒手帳へしまった。


 ただ、その指先だけが僅かに震えていた。


「昔の写真ですか?」


「そうです」


「会長と幼馴染とか?」


「……中学校が同じだっただけです」


 短い返事。


 だが、どこかで聞いたことのある言葉だった。


 ただの幼馴染。


 ただの先輩。


 ただの友人。


 恋に負けた人間は、自分と好きだった相手の関係に『ただの』という言葉をつけたがる。


 それ以上ではなかったと、自分に言い聞かせるために。


「春日井君」


「はい」


「本当に、忘れてください」


「分かりました」


「誰にも言わないでください」


「言いません」


 三島先輩は俺の顔を数秒見つめた。


「……あなたは、口が堅いのですね」


「よく言われます」


「女性関係以外では信用できそうです」


「女性関係で問題を起こした覚えないんですけど」


「自覚がないのですね」


「何の話です?」


 三島先輩は答えなかった。


「冬華」


 久世会長が呼ぶ。


 その瞬間、三島先輩の肩が僅かに揺れた。


「この資料、確認してもらえる?」


「……はい」


 いつも通りの声。


 いつも通りの表情。


 何も変わらない。


 それでも俺には、彼女が生徒手帳の上から、写真を確認するように手を置いたのが見えた。


 もしかすると。


 この生徒会には、俺が思っていたより多くの敗者がいるのかもしれない。


 ♦


 放課後。


「春日井君」


 教室を出ようとした俺を、氷室が呼び止めた。


「今日もバイトですね?」


「ああ」


「わたくしも行きます」


「知ってた」


「なぜですか?」


「どうせ毎日来るから」


 俺がそう答えると、氷室は少しだけ嬉しそうな顔をした。


「春日井!」


 今度は廊下の向こうから夏目が走ってくる。


「アタシも行く!」


「部活は?」


「今日は軽めだから、終わってから行く!」


 さらに反対側から、椎名が姿を見せる。


「春日井君。昨日の続きは、何ページまで読みましたか?」


「八十七」


「遅れています」


「なんの締切だよ」


「本日中に百ページを希望します」


 そして階段の下から、白崎まで顔を出した。


「先輩。今日は私もお店へ行ってよろしいですか?」


「客なら自由だよ」


「では行きます」


「白崎さんは生徒会業務が残っています」


 氷室が冷静に告げる。


「副会長もですよね?」


「わたくしは終わらせました」


「私も十分で終わらせます」


「急いで雑になるようでは困ります」


「先輩を待たせるほうが困ります」


「俺は待つなんて言ってないぞ」


 二人は俺の言葉を無視した。


 騒がしい。


 本当に騒がしい。


 けれど、少し前までの俺は、放課後になると琴葉が誰と帰るのかばかり気にしていた。


 今では、そんなことを考える暇もない。


「悠人」


 教室の中から声がした。


 振り向く。


 琴葉が俺たちを見ていた。


 その隣には蓮はいない。


「今日も、バイト?」


「ああ」


「……そっか」


 琴葉は何か言いかけ、結局、小さく笑った。


「頑張ってね」


「ありがと」


 俺はそれだけ返し、教室を出た。


 今度は、振り返らなかった。


「春日井君」


 廊下を歩き始めると、氷室が隣に並んだ。


「どうした?」


「いいえ」


 彼女はほんの少しだけ笑う。


「何でもありません」


 その反対側では、夏目と椎名が言い争い、後ろから白崎が追いかけてくる。


 俺の学校生活は、間違いなく以前より面倒になった。


 でも不思議なことに。


 悪くないとも、少しだけ思い始めていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

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