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第14話 嫉妬

 翌日の昼休み。


 俺は自分の席で弁当を食べながら、どうすれば生徒会室へ誰にも見つからず移動できるかを真剣に考えていた。


 理由は単純。


「春日井君。昼食は終わりましたか?」


 正面には氷室。


「春日井! 執事服の試着、何時からだ?」


 教室の入口には夏目。


「衣装を着たら、写真を撮らせてください」


 隣には椎名。


「先輩。お迎えに来ました」


 そして廊下には白崎。


 逃げ道がなかった。


「お前ら、全員暇なの?」


「生徒会業務です」


「陸上部は昼休み練習ないし!」


「創作活動の一環です」


「私は先輩に会いたかったので」


「最後の一人だけ隠す気がないな」


 白崎は柔らかく微笑む。


「隠す理由がありませんから」


 その一言で、氷室の眉が僅かに動いた。


 俺は残った卵焼きを口へ放り込み、弁当箱を閉じる。


「分かったから行こう。昼休みが終わる」


「では、わたくしが案内します」


「場所は知ってるよ」


「でしたら、隣を歩きます」


「先輩の隣は私が」


「アタシも!」


「私は……後ろでも構いません」


 椎名がそう言いながら、なぜか俺の制服の裾を摘まんだ。


「後ろって、そういう意味?」


「迷子防止です」


「学校で迷子にはならないよ」


 結局、俺たち五人は周囲の視線を集めながら廊下を歩くことになった。


 二年の男子生徒一人を、生徒会副会長、陸上部の女子、文芸部員、生徒会の一年生が取り囲んでいる。


 どう考えても目立つ。


「ねえ、悠人」


 聞き慣れた声に足を止めた。


 廊下の向こうに、琴葉がいた。


 その隣には蓮もいる。


「文化祭の準備?」


「ああ。生徒会に手伝いを頼まれてる」


「そうなんだ」


 琴葉の視線が、俺の周囲にいる四人を順番に移動する。


「みんな一緒なんだね」


「なぜかついてきた」


「なぜかではありません」


 氷室が静かに訂正した。


「わたくしと白崎さんは生徒会業務です」


「アタシは見学」


「私は資料収集です」


「二人は帰っても問題なさそうだな」


「帰らない!」


「帰りません」


 息ぴったりだった。


 琴葉が小さく笑う。


 けれど、その笑顔はどこか寂しそうに見えた。


「悠人、楽しそうだね」


 以前にも同じことを言われた。


「まあ、騒がしいけどな」


「そっか」


 琴葉はそれだけ答えた。


「じゃあ、また後でね」


「ああ」


 俺たちはすれ違う。


 数歩進んでから、何となく振り返りそうになった。


 だが、やめた。


 琴葉の隣には蓮がいる。


 俺の隣には――


「春日井君」


「うわっ」


 氷室が顔を覗き込んでいた。


「何だよ」


「今、振り返ろうとしましたね」


「してない」


「しました」


「してないって」


「では、今後もしないでください」


「何の権限で?」


「失恋仲間としての忠告です」


 最近、その言葉が便利な免罪符になっている気がする。


 生徒会室へ入ると、久世会長を含む数人が待っていた。


「来たね、春日井君」


「なんでこんな大人数なんですか?」


「試着だからね」


「服を着るだけですよね?」


「文化祭の接客担当を決める参考にもしたい」


 部屋の中央にはハンガーラックが置かれていた。


 黒いベスト。


 白いシャツ。


 蝶ネクタイ。


 さらに、なぜか本格的な燕尾服まである。


「誰が用意したんですか?」


「会計の三島さんだよ」


 久世会長が部屋の奥を指す。


 そこには、眼鏡をかけた三年生の女子が座っていた。


 長い黒髪を一つに束ね、電卓を叩きながらこちらを見る。


「中古衣装店から格安で仕入れました。経費内です」


「経費の使い方、合ってます?」


「文化祭の利益率向上には視覚的訴求が必要です」


「急にビジネスの話になったな」


 三島先輩は淡々としている。


 どうやら、この人もかなり癖がありそうだ。


「では、春日井君。着替えてきて」


「本当に俺が最初なんですか?」


「当然です」


 なぜか氷室が答えた。


「春日井先輩の試着結果を基準にすれば、他の方の衣装調整も容易です」


 白崎も続く。


「二人とも、理由を作るのが上手くなってない?」


 俺は諦めて、隣の空き教室で着替えた。


 白いシャツに黒いベスト。


 腰には細身のエプロン。


 思っていたより動きやすい。


 これなら接客にも問題はないだろう。


 生徒会室へ戻る。


「どうですか?」


 扉を開けた瞬間。


 沈黙。


「……何か言えよ」


 最初に動いたのは夏目だった。


「ちょっと待って。これは聞いてない」


「何が?」


「普通に似合うじゃん」


「失礼だな」


「いや、なんかもっと笑える感じだと思ってた!」


「どういう期待だよ」


 椎名は無言でノートを開いた。


「書くなよ」


「今、三章の挿絵案が完成しました」


「早すぎる」


 白崎は俺をじっと見つめていた。


「先輩」


「何?」


「写真を撮っていいですか?」


「文化祭の資料用なら」


「個人保存用です」


「駄目」


「では資料用として撮影し、個人的にも保管します」


「言い換えただけだよな?」


 そして氷室はというと。


 何も言わない。


「氷室?」


「……はい」


「どうした?」


「別に」


「似合ってない?」


「似合っていません」


「そうか」


「ですから、文化祭当日に着る必要はありません」


「動きやすさを確認するための試着じゃなかったのか?」


「確認は終わりました。却下です」


「理由は?」


「必要以上に女性客を集める可能性があります」


「客が増えるならいいだろ」


「よくありません」


「喫茶スペースの目的を否定してない?」


 俺が首を傾げると、夏目がニヤニヤしながら氷室へ近づく。


「なあ氷室。もしかして他の女子に見せたくないの?」


「違います」


「じゃあ春日井がこの格好で女子に『お帰りなさいませ、お嬢様』って言っても平気?」


 氷室の動きが止まった。


「春日井君」


「何?」


「言わないでください」


「言う予定ないよ」


「絶対にです」


「分かったよ」


「わたくしにも言う必要はありません」


「言わないって」


「……どうしても業務上必要なら、事前にわたくしで練習してください」


「矛盾してない?」


 夏目が腹を抱えて笑い始めた。


 椎名はものすごい勢いでノートへ文字を書いている。


 白崎だけは真顔だった。


「では、私も練習相手になります」


「白崎さんには必要ありません」


「副会長だけでは公平性に欠けます」


「恋愛に公平性などありません」


 氷室が言った。


 全員が止まった。


 言った本人も止まった。


「……今のは一般論です」


「急に?」


「一般論です」


 耳まで赤い。


 久世会長はそんな氷室を見て、少しだけ驚いた顔をしていた。


 その表情に気づいたのは、俺だけだった。


「氷室さん」


 久世会長が声をかける。


「ずいぶん明るくなったね」


 氷室の顔から、一瞬だけ表情が消えた。


「以前より、よく笑うようになった」


「……そうでしょうか」


「ああ。何だか安心したよ」


 悪意はない。


 純粋な言葉だった。


 だからこそ、氷室は困ったのだと思う。


「ありがとうございます」


 完璧な笑顔。


 俺は、その笑顔を知っていた。


 無理をしているときの氷室の笑い方だ。


「春日井君」


「うん?」


「少し、外してもよろしいですか?」


「ああ」


 氷室は静かに生徒会室を出ていった。


 部屋の空気が僅かに変わる。


「俺、ちょっと行ってくる」


「先輩」


 白崎に呼び止められた。


「何?」


「今は副会長を追うんですね」


「ああ」


「そうですか」


 白崎は少しだけ寂しそうに笑った。


「でも、いつか私が同じ顔をしたら、先輩は追いかけてくれますか?」


「そんな顔をしたらな」


「覚えておきます」


 俺は生徒会室を出た。


 氷室は階段の踊り場にいた。


 窓の外を眺めながら、一人で立っている。


「大丈夫?」


「来ると思いました」


「なら止まらず行けばよかったのに」


「……追ってきてほしかったので」


 珍しく、素直だった。


 俺は氷室の隣へ立つ。


「会長にああ言われて、どう思った?」


「嬉しかったです」


「そっか」


「そして、悔しかったです」


 氷室は小さく笑う。


「三年間、あの方に認められたくて努力しました。それなのに振られた後、春日井君たちと過ごすようになってからのわたくしを見て、明るくなったと言われるなんて」


「皮肉だな」


「はい」


 氷室は窓へ映る自分を見つめた。


「でも、少し分かりました」


「何が?」


「以前のわたくしは、久世会長に好かれるための自分を作っていたのかもしれません」


 その声には、寂しさがあった。


「今は違う?」


 俺が尋ねると、氷室は俺を見た。


「今は……腹が立てば怒ります」


「ああ」


「嫉妬もします」


「誰に?」


「答えません」


「そこは答えないんだ」


「まだ、自分でも正しく整理できていませんので」


 氷室はそう言った後、一歩だけ俺に近づいた。


「ですが、一つだけ分かります」


「何?」


「春日井君の隣に白崎さんがいると、非常に不愉快です」


「それは嫉妬じゃないの?」


「答えません」


「ほぼ答えてるよな」


「答えていません」


 氷室は俺の袖を掴んだ。


「戻りましょう」


「ああ」


「ただし」


「まだ何かある?」


「先ほどの衣装は、文化祭当日に着ないでください」


「まだ言うのかよ」


「どうしても着るのであれば、接客対象を限定してください」


「誰に?」


 氷室は少しだけ考えた。


「……わたくしに」


「それ、客一人じゃないか」


「問題ありません。売上分は、すべてわたくしが支払います」


「貸し切る気かよ」


 氷室は真顔だった。


 失恋から立ち直り始めた彼女は、以前より笑うようになった。


 同時に。


 どうやら以前より、ずっと面倒な女にもなり始めていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

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