第13話 先輩の衣装が見たいです♥
その日の『アネモネ』は、妙な緊張感に包まれていた。
原因は、カウンター席の中央に鎮座する巨大なパフェである。
グラスは通常より一回り大きく、アイスクリームは三段。生クリームの山にはチョコソースが惜しみなくかけられ、側面にはウエハースとバナナ、さらに店長の厚意で苺まで添えられている。
商品名をつけるなら、失恋後始末パフェといったところだろう。
「でかいな」
「今日はこれくらい必要」
夏目はそう言うと、スプーンを握り締めた。
グラウンドで泣いた直後よりは落ち着いているが、目元はまだ少し赤い。
「真壁先輩の彼女さん、いい人だった」
「そうか」
「それが一番腹立つ」
夏目はアイスを乱暴にすくって口に運んだ。
「嫌な人だったらよかったのに。そしたら、先輩は見る目がないって思えたのにさ。綺麗で、優しくて、先輩のことをちゃんと分かってる人だった」
負けた相手が悪人なら、恨める。
勝者に欠点があれば、納得しない理由にできる。
けれど現実は、そう都合よくできていない。
琴葉を選んだ蓮がいい奴だったように。
久世会長が氷室へ誠実に断ったように。
篠崎先輩の彼女が、椎名の手紙を読まずに返したように。
勝者が必ずしも悪者とは限らないから、敗者は自分の感情の置き場に困るのだ。
「春日井」
「何?」
「アタシ、ちゃんと負けたんだな」
「ああ」
「そこは否定しろよ」
「負けたって認めたほうが、次に進みやすいだろ」
「正論が染みる……」
夏目は額をテーブルに伏せた。
その向かいに座る氷室は、紅茶を飲みながら淡々と言う。
「夏目さんの場合、告白前に敗北が確定しただけです。負けを認めることは、必要なプロセスだと思います」
「氷室、慰める気ある?」
「あります」
「嘘だろ」
「では言い換えます。今日のあなたは、最後までよく耐えました」
氷室の言葉に、夏目がゆっくり顔を上げた。
「……そういうのも言えるんだな」
「わたくしを何だと思っているのですか」
「春日井の隣に座る女を社会的に処理しようとする人」
「誤解です」
「半分くらい事実じゃん」
珍しく、氷室は言い返さなかった。
代わりに視線だけで夏目を黙らせようとしている。
その隣では、椎名がノートへ何かを書いていた。
「椎名。今日は何を書いてるんだ?」
「夏目さんの失恋エピソードを、物語に転用できないか整理しています」
「本人の前でやるな」
「名前は変えます」
「そういう問題じゃない!」
夏目が叫ぶと、椎名は真面目な顔で首を傾げた。
「ですが、とても良い場面でした。好きだった人の幸せを認めながら、自分の敗北も受け入れる。青春小説としては非常に美しいです」
「現実のアタシは全然美しくなかったけどな」
「泣いていましたね」
「言うな!」
「でも、春日井君の制服を掴んで泣くところは、挿絵にしたいほどでした」
「挿絵にするな!」
夏目は顔を真っ赤にしてパフェを食べ進める。
その様子を見て、店長がカウンターの奥で楽しそうに笑っていた。
「青春ねえ」
「店長、面白がってません?」
「少しだけね」
「止めてくださいよ」
「悠人君がちゃんと対応できているなら、私は見守るわ」
「できてますかね?」
「少なくとも、全員ここに来る前よりは顔がよくなっているもの」
店長の言葉に、三人が一瞬黙った。
失恋して、泣いて、怒って、恨んで、未練を吐き出して。
それでも確かに、初めてこの店へ来た日よりは、三人とも前を向けるようになっている気がした。
俺自身も、たぶんそうだ。
「先輩」
その空気を切り裂くように、扉のベルが鳴った。
入ってきたのは白崎だった。
手には生徒会の資料を抱えている。
「文化祭喫茶スペースの追加資料をお持ちしました」
「わざわざ店まで?」
「はい。先輩に会えるので」
「目的を隠さないな」
「隠しても、先輩は気づいてくださらないので」
白崎はにこりと笑い、自然な動作でカウンターの空席へ腰掛けようとした。
しかしその瞬間、氷室が先に鞄を置いた。
「そこは荷物置きです」
「先ほどまで空いていましたよね?」
「今、必要になりました」
「では、反対側に」
白崎が俺に近い席へ移動しようとすると、今度は夏目がパフェの皿を横にずらした。
「そこ、アタシの肘置き」
「肘を置くには広すぎませんか?」
「失恋した女は広いスペースが必要なんだよ」
「そうですか。では、椎名先輩の隣に座ります」
「私は構いません」
椎名だけは素直に席を譲った。
白崎はそこへ腰掛けると、俺へ資料を差し出す。
「明日の昼休み、生徒会室で文化祭喫茶の衣装案について話し合うそうです」
「衣装案?」
「はい。接客担当の服装をどうするか、意見を集めたいと」
嫌な予感がした。
「俺は助言だけだよな?」
「久世会長は、先輩にも試着していただくと言っていました」
「なんで?」
「喫茶店経験者として、動きやすさを確認するためです」
「俺じゃなくてもできるだろ」
「私もそう思います」
白崎はそこで一度言葉を切り、楽しそうに微笑む。
「ですが、先輩の制服以外の姿は見たいです」
「目的が漏れてる」
「隠していませんので」
氷室の視線が鋭くなる。
「白崎さん。春日井君を着せ替え人形のように扱わないでください」
「副会長は見たくないのですか?」
「業務上必要であれば確認します」
「見たいのですね」
「違います」
「では、目を閉じていてください」
「確認業務を放棄するわけにはいきません」
「やっぱり見たいのですね」
氷室が黙った。
夏目はパフェを食べながら笑っている。
「春日井の執事服か。文化祭、盛り上がりそうだな」
「お前まで乗るな」
「アタシはジャージで接客でもいいけど」
「客が落ち着かないだろ」
「椎名先輩はどう思いますか?」
白崎に尋ねられた椎名は、少し考えてから答えた。
「春日井君には、黒いベストと白いシャツが似合うと思います。派手な衣装より、控えめで、でも目を引く感じがいいです」
「具体的だな」
「すでに描写していますので」
「どこに?」
「次回作の三章です」
「俺を勝手に登場させるな」
白崎が椎名のノートを覗こうとする。
「その作品、読んでもいいですか?」
「まだ駄目です」
「どうしてですか?」
「春日井君が最初に読むと決めています」
椎名はノートを胸に抱え、珍しくはっきりと拒絶した。
「私の作品を最初に読むのは、春日井君です」
その言葉に、白崎の笑みが少しだけ深くなる。
「椎名先輩も、なかなか強いですね」
「私は弱いです。だから、作品の中では負けないように書きます」
「現実でも?」
「……できれば」
椎名は小さな声でそう答えた。
本人は自覚しているのか分からない。
だが、その一言で店内の空気がまた変わった。
負けた恋を慰め合うだけだった彼女たちは、少しずつ次の場所へ向かい始めている。
そしてその向かう先に、なぜか俺が立たされている。
「悠人君」
店長が厨房から声をかけてきた。
「明日の試着、写真を撮ってきてね」
「店長まで何を言ってるんですか」
「文化祭の参考でしょう?」
「絶対に違う目的で言ってますよね」
「半分はね」
「半分もあるんですか」
店長は楽しそうに笑う。
その後、白崎が持ってきた資料を広げ、文化祭の話し合いが始まった。
氷室は業務担当として意見を出し、白崎は俺の隣を狙い、夏目は客として見たい衣装を好き勝手に提案し、椎名はそのすべてを小説のネタに変換していく。
俺はただ、話が脱線しないように必死だった。
だが、ふと気づく。
この騒がしさの中で、夏目はもう真壁先輩の話をしていなかった。
氷室も、久世会長の名前を口にしなかった。
椎名も、未開封の手紙を握り締めてはいなかった。
失恋の痛みは消えない。
けれど、その痛みだけで一日が終わるわけではなくなっている。
それはきっと、悪いことではないはずだ。
「先輩」
白崎が資料越しに俺を見る。
「明日の昼休み、迎えに行きますね」
「一人で行ける」
「私が迎えに行きたいんです」
「春日井君は、わたくしと教室から向かいます」
氷室が即座に言う。
「アタシも見に行く!」
「夏目は関係ないだろ」
「執事服を見る権利がある!」
「ない!」
「私も……資料確認として同行します」
「椎名は文芸部だよな?」
「文化祭で小説展示をするので、関係があります」
四人の視線が俺に集まる。
明日の昼休みが、平穏に終わる気配はまったくない。
そのとき、店長が小さく呟いた。
「本当に、負け犬たちのたまり場というより、悠人君争奪戦の控室ね」
「何か言いました?」
「いいえ。文化祭が楽しみね、って言っただけよ」
俺には、明日の時点ですでに不安しかなかった。
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