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4話「マルゴへ」

エレナが用を済ませて帰宅しても、娘のミアはまだ勝手口で話し込んでいた。


 今よりも街の中心に近い場所へと引っ越すことが決まり、エレナは近所に挨拶をしに出て、長々と井戸端会議をしたその帰りだった。出がけに買取業者が来たのに気づいてはいたが、対応はミアに任せきりにしていたのだ。


 次の家が手狭になるというわけでもなく、不要な物を整理して身軽になるという体だったが、実際は使わない貴金属類など、少しでも金に換えられるものはこの機に換えたいというのもまた本心だった。


 昼下がり、開け放した勝手口から新緑の風が緩やかに吹き込んでくる。エレナはこの時期のエネルギーに満ちた空気が好きではなかった。言葉にするのが難しいので口にしたことはなかったが、揃いも揃って芽吹いてきて、誰彼そうであるように背中を押してくるあの感覚。毎年やることは多いのにそのエネルギーに当てられて気ばかり焦ってしまうのだった。そうはいいつつも、自分が狭い庭で育てている植物が逞しくなっていればそれはそれでやはり嬉しいものだったが。


 今来ている業者で二件目、一件目はこちらから貴金属の買取屋に持ち込んだのだったが、買取できないと言われた時計があった。それは家の中で不要な物を出し合っているときに、義母のマルゲリーテがそこそこの数のアクセサリーと合わせて古い懐中時計を持って来て「これは感情鉱石式だからね」とエレナに念を押した物だった。だが、義母が高価であると言いたかったのか、値が付かないと言いたかったのかは汲めぬままで、果たして、幾つか持ち込んだもののうち、これだけが買い取られないという結果だったのである。


 勝手口へ向かうと、ドアの外には青白い顔の少年が立っていた。そしてドア枠に凭れたミアがこちらを見て、お帰りなさいと笑顔で言った。


「この人の話、面白いのよ」


「一階と二階が繋がってない家の話なんて最高だわ」


 少年は、仕事以外の話で盛り上げられて居心地が悪いような、そんな少し困った顔をした。


「なにそれ、面白そうね。ところで」


 エレナはせっかくの明るい雰囲気を壊さないように、かつ、聞きたいことを聞いた。


「えっと、ルーだったわよね。あの懐中時計は結局どういう物だったのかしら」


 元々、街でバイクを走らせていたルーをたまたま見かけ、依頼をしたのはエレナだった。


 ルーの華奢なバイクに牽かれた荷車の「買取」の文字を見つけたのだった。


「それなんですが」


 ルーが黒いまつげをぱちぱちさせながら話しだしたとき、


「感情鉱石じゃないんだって」


 と、遮るようにミアが言った。


 続けて、


「ええ、そうなんです」


「お調べしたんですが……」


 と、ルーが言った。


 その手には分厚いバインダーが広げられている。


 エレナは全く気にすることもなくそれを聞いていた。


 むしろ、感情鉱石式ならばと査定に来てもらったルーに申し訳ない気持ちも多少湧いた。


「そう、なら買取できないかしら?」


 どうしようかと悩みだしたルーを見て、エレナは、ルーはもったいぶって買い叩こうとしているのだろうか、と一瞬いぶかしんだが、そこへミアが割って入った。


「でも感情鉱石って不思議ね。ルーに少し聞いただけだけど」


「そうね、私も子供のころにそんなのを見た気もするけど覚えてないわ」


「今では廃れてるんです。一時期外国で流行った技術でしたが」


 と言ったとき、エレナが思い出したように言った。


「お義母さんの故郷よ」


「その方が感情鉱石式だとおっしゃったんでしょうか?」


 何か引っかかるといった顔でルーが聞いた。


「ええ、そう、そのとおり。その時計はお義母さんのよ」


「でしたら、一度、記憶違いをされてないかと確認された方がよろしいかもしれません」


「普通のゼンマイ式だとして、それでもどのみちご不要だとしても」


 と、ルーが言うのを、それは確かにそうだ、とエレナは思った。


 その感情鉱石式というのは買取不可なくらい価値のない物だとして、そのつもりで手放したのであれば耳に入れておく必要はあるだろう。


 エレナが義母のいる二階へ声をかけようとしたとき、ミアが、静かだが鋭く声を上げた。


「待って、その前に、これ見てほしいの」


 そういって、懐中時計の裏蓋を器用に開けた。


 エレナは驚きつつも、ルーもまた驚いていることを見逃さなかった。


 一体ミアは何をしたのか、と顔を時計に近づけた。


「ここに文字が彫ってあるでしょう?」


 二人が裏蓋をのぞき込む。 


「マルゴへ」


 それを見たエレナの心中がかすかにざわついた。


「お義父さんじゃないわね」


「そうなの。お爺ちゃん、お婆ちゃんのことグレーテって呼んでたでしょう?」


 と、ミア。


 ルーは居心地が悪そうに黙っている。



「で」


 とエレナは問題点を整理することにした。


「お義母さんだって、今更って歳でしょう? 昔の恋人?の思い出が出てきたって」


 それに対し、ミアは


「その恋人自体はどうでも良くても、高級品だって嘘をつかれていたのなら知ってショックを受ける可能性はない?」


 といった。


「感情鉱石式が高級品ということはなかったはずです。だいたいが大量生産品として売られている物ですし、それに感情鉱石式と違ってだいたいゼンマイ式なら巻かないと止まるから気付いてた可能性もあるのですが」


 ルーが専門的な解釈をした。


「当時は時計自体が高級品で、使わずに大事に仕舞っていたとか?」


 仕組みを勘違いしていた理由にはならないな、と思いつつもエレナが言った。


「確かに安くはないでしょうけど……」


 ルーも何かしら考えを巡らしていたが、他人の家の事情に踏み込むのを躊躇う様にも見えた。



 また、しばらくの間が空いて、


「ところで」


 と、エレナとルーが同時に口を開いた。


 エレナは気を使うことなく続けた。


「ミアは何でこの時計のメッセージのことを知ってたの?」


 ああ、そんなこと、といった感じでミアが答えた。


「小さいころ、お婆ちゃんのジュエリーボックスの中を勝手に漁ってたの」


「怖い事するわね」


「適当に戻していたからお婆ちゃんも気づいてたはずよ」


 頑固な人だけど、孫にはそんなものか、とエレナは思った。


「それに確か、ここの開け方もお婆ちゃんに教わった記憶があるの」


「その時、お婆ちゃんは何か言ってた?」


「別に。私がお婆ちゃんの部屋にいた時にこれを磨いてて、そのついでにこの蓋の裏も拭いてただけよ」


 エレナとミアは同じ仕草で軽く首を傾げた。そして二人でルーを見た。


 自分の発言が必要だろうか? というような口調でルーが話す。


「本題からはそれますが、その業者はなんで買い取らなかったんでしょう。感情鉱石式じゃないと分かっていたなら一緒くたに買い取ってもよさそうですが」


 首を傾げていた二人は目を合わせた。


 業者目線ね、とエレナは思った。


 三人が立ち話をしている勝手口の梁に、去年から干しっぱなしだった玉ねぎが一つ、干からびて風に揺れている。エレナは目に付いたそれがふと気になって、この玉ねぎは捨ててしまわないと、と思った。引っ越す際に、鉢植えは置いて行くつもりだったが、勝手口に停めてあるルーのバイクがちらっと見えた時、運べるなら無理にでも次の家に持って行きたくなった。


 そこでエレナはハッとした。何について考えていたかしら。


 ルーの言った本題……そうだ、お義母さんに確認をするべきで、ただ思い出を壊さないかをミアが心配していたんだった、とようやく思い起した。


 勝手口からは相変わらず新緑の匂いが入り込んでくる。それに押されたように、エレナが口を開いた。


「お義母さんに話してくるわ。想像で解決する問題じゃないわ」


 そういってミアから時計を受け取ると、二階へ上がるために階段へ向かった。背後で、


「階段で上がるのよ。うちは一階と二階が繋がってるから」と笑いながらささやくミアの声が聞こえた。


 エレナは「まったく、あの子は」と小声で呟いた。



 エレナが部屋のドアをノックすると義母の返事があった。ドアを開けると、マルゲリーテは出かける支度をしていた。


「あなたもう、ご近所に挨拶したのよね。私もあと何人かの友達には直接挨拶しておかなきゃっと思ってさ」


 まめな義母はそれをリスト化したようで、メモを眺めている。


 大げさに聞こえたが、はっきり言ってしまえば、次の家はそんなに離れておらず、週末ごとに集まってる義母の友人たちとは二度と会えない、ということでもないのだ。


「ところでお義母さん、このまえ手放そうとしてた貴金属なんだけど」


 義母は興味の無さそうな顔で「どうだったの」と言ってまたメモに目を落とした。


「これだけ売れなかったの」と言って義母に時計を手渡した。そして思い切って、


「これ、感情鉱石ってやつとは違うらしいわ」と告げた。


 マルゲリーテは眼鏡をあげて時計を見た。


 その間、義母の部屋を見回したが、元から質素なうえに引っ越しを迎えた整理で余計に閑散としていた。


 ミアとは違い、エレナが今のようにこの部屋に入ることはほとんどなかった。


 やがてマルゲリーテがエレナに時計を返した。


「そうだったの。私も何で勘違いしたもんかね」


 続けて


「何の足しにもならなかったのは残念だね。売れないなら処分していいよ」


 といった。


「でも、お義母さん、これ大事に取っておかれたのでは?」


 エレナはミアの手つきの見よう見まねで裏蓋を開けると、ベッドの端に腰掛け、懐中時計と裏蓋を並べて置いた。


「頂き物なんでしょう?」


 エレナがそういうと、マルゲリーテは時計を挟んで反対側に腰かけて言った。


「かまやしないわよ、確かに貰い物だったけど、相手の顔も忘れてるわ」


「その方が感情鉱石ってやつだといったのかしら」


「私がそう記憶してたから、そうかもね」


 そして軽く微笑んだ顔で


「気を使ってくれたのね。ありがとうね」


 とお礼を言った。


「お義母さんこそ、協力していただいて助かりましたよ」


 そういってエレナは立ち上がって部屋を出ようとしたが、ふとルーの顔が浮かんだ。


「そういえば気になったんですけど、この懐中時計は何で買い取られなかったんだと思います?」


 マルゲリーテは少し考えて、順を追って話した。


「それはもともと御下賜品なのさ。私も国じゃ軍にいたから同じものを配られたよ。そのあと、仲間の一人と交換したのさ。戦争が終わればそういう物は山ほど出回る。その買取屋にも在庫が山ほどあったんだろうね」


 それとも、とマルゲリーテは続けた。


「その買取屋が同郷なら、見るのも嫌だって手合いかもしれないね」


 一通り義母の話を聞いていたエレナだったが、


「今、下に若い買取屋が来てるのよ。ちょっと吹っ掛けてくるわ」


 と、すっきりした顔で、笑いながら部屋を後にした。


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