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3話「薔薇とオルガン」

 にわか雨が上がったばかりの山道で、ルーはバイクを走らせながら小さく溜息をついた。だがすぐに口元で笑顔をつくり、左手を挙げて挨拶をした。


 その相手はさっきまで自分の前を走っていた木材運搬車のドライバーだった。


 長い車体では狭いカーブの切り返しに時間がかかるようで、後続のルーに気を使って窓から手を出して「先に行け」とジェスチャーを送って来たのである。間の悪いことに、ルーはこの不案内な山道を急遽通ることになり、街へ向かいそうな車の後ろを、付かず離れずこっそり付けていたのだったが……。


 ルーのバイクは華奢な車体に不釣り合いな荷車を牽いているので、運搬車の横をすり抜ける時は慎重にゆっくりと走る形になった。その際、ちらりと運転手に目をやったが、特別焦っている様子もなかったので切り返しの手伝いは申し出ないことにした。


 運搬車の横を通り過ぎると、ルーは彼の親切に対してお礼のホーンを「プッ」と短く鳴らし、再びゆっくりと速度を上げた。


 雨上がりは植物も一息付くのかのように、一帯が濃い緑の匂いに包まれていた。


 ところどころ舗装の無い道路は雨でぬかるんでいて、荷車の積載物がガタガタと揺れている。目の前に深い轍や大きな水たまりを見るたびに、車輪がはまらない様に注意を払わなければいけなかった。そしてそれと同じくらい、自分が現在どこを走っていて、この道ははたして目的の街へと続いているのか、それも気になっていた。


 しばらく走ると少し開けた場所があったので、そこでバイクを停めた。


 見晴らしも良く、集落や遠くの街も一望できた。道もわかるかもしれない。


 少し調べようとエンジンを切ったのと同時、


「これパイロフォンだわ!」


 と、突然後ろで声がしたのでルーは飛び上がってサドルから降りた。


 振り返るが人の姿はない。ルーは胸を押さえ、恐る恐る荷車の横へ回ると、引き上げた荷物の影に少女が一人立っていた。そしてその子は雨除けの布をめくって中身をまじまじと観察していた。


「だれ?」


 と聞いたルーだったが、本当は少女が誰かよりも、いつ乗ったのか、の方が何倍も気になっていた。だがこういう場合にも順序があると考えたのである。


 少女はルーの方を見て、


「勝手にめくってごめんなさい。私はシャーリーンよ」


 と名乗った。


 そして、怒られるのを覚悟したような面持ちで


「乗ったのはさっきよ。あなた、速度を緩めたでしょう?」


 と続けた。


 途中、道悪で何度かスローダウンしたが、思い当たったのは木材運搬車を追い越した時だった。


「運搬車のところ?」


「そうよ」


「知り合いだったの? 勝手に離れちゃったの?」


「良いのよ」


「知り合いじゃないわ」


 シャーリーンはぽつりと答えたあと、


「それよりもこれよ、パイロフォンでしょう? どこから持ってきたの? どこへ運ぶの?」


 と矢継ぎ早に、とても楽しそうに聞いてきた。


 ルーはもとより怒る気もなかったし、何から答えようか迷ったが、とりあえず優しい口調で名乗ることにした。


「僕はルー。ルー・ウォーター。機械の修理や買取なんかをやってて、それで、これは教会から引き取ってきたんだ」


「ルーはこれから会社に帰るのね?」


「うーん、どうしようかな」


 事実、街についたら別の案件もあり、それが終わったとしてもすぐ会社に戻るかは決めていない。


「うそよ、従業員なら仕事が終われば絶対会社に帰るものよ。あなた社長って顔じゃないもの」


「それは会社によってまちまちじゃないかな。ところで君のいうパイロフォンだけど……」


 ルーは荷車の中の箱から一冊の分厚いバインダーを取り出し、サドルの上に置いて素早くめくり始めた。


 その途中、開いたページを指し示すより早くシャーリーンが口を開いた。


「ガスオルガンって呼ぶ人もいたわ。音を出すたびにガラス管の炎が揺らいでとても綺麗で、音色は人の囁きみたいで。でもこれよりもずっと大きかったし、これは一部だけなのかしら」


 ルーはカタログの品番を読み上げた。


「SO13 感情鉱石式オルガン。ガスじゃないんだ。仕組みが違うから小型化出来たんだね」


「小さければいいってもんでもないわ。あとその感情鉱石が何か知らないけど、これが弾けるのかは気になるの」


 ルーは少し考えて


「引き取ったときには壊れていたし、壊れてなくてもずっとガタガタ道を通ってきたから調律も酷いもんだと思うよ」


 と告げると、シャーリーンは心底がっかりといった風にうつむいて、ふうん、とだけ言った。


「君はオルガンは弾けるの?」


 シャーリーンはがっかりした顔のままで


「弾けないわ。でも音だけ聴ければ良いってときだってあるでしょう?」


 と答えた。茂みの方からはチチチッっと鳥の鳴き声が聞こえる。


 ルーは、シャーリーンこそどこから来てどこへ行くのか、と思った。なぜ木材運搬車にいたのかもわからないが、ここに置き去りにするわけにもいかない。バインダーを仕舞いながらシャーリーンに自身のことを少し聞いてみようと思ったところ、シャーリーンの方からまた質問をしてきた。


「サザンカ精工?って木のサザンカ?」


「よく知ってるね」


「サザンカくらい知ってるわ。うちの周りにもたくさん植えられているの。私、サザンカとツバキを見分けられるのよ。花が枯れるとボトッと落ちるのがツバキで、花弁がバラバラに散るのがサザンカでしょう?」


 シャーリーンの機嫌が良くなったことは嬉しかったが、ルーは一つ荷物を増やされたような気になった。


「ところでシャーリーン、この道は街へ続いているの?」


「もちろん続いてるけど、ルーの目的の街じゃないかも」


 いちばん近いはずの街なんだけどな、と思ったがあえて言わないでおいた。


「ねえ、シャーリーン。お腹空いてる?」


 ルーがバッグの中に入っていたパンを出すと


「空いてないけど、ちょうだい」


 と手を伸ばした。


 シャーリーンは食べるでもなく、パンからクルミを器用に穿り出すと、茂みの辺りにいくつか放り投げた。その小さなクルミ片に小さな鳥が近寄ってきてつつきだした。パンのあちこちを穿って、もうクルミが入ってないとわかると、シャーリーンはそのパン自体をちぎって鳥に与えた。そして鳥が10羽ほど集まると、いきなり両手を挙げて鳥を驚かせた。バタバタッと羽音を響かせて鳥たちは逃げていった。


「見て。イヌバラが咲いてるわ」


 今度は木立を見上げて言った。


「ねえ、バラは好き?」


「花には詳しくないけど、バラは好きだよ」


「私もバラが好き。花の中で一番好きと言いたいけど、バラは品種が多すぎて一纏めにするのは誠実じゃないわ」


 ルーはこの山道についてもう少し尋ねたかったが、シャーリーンがまだ何か言いたげなので黙っていた。そして、シャーリーンのいう「誠実」と彼女に垣間見える「飽きっぽさ」の対極性について考えた。


 空はすっかり晴れて、湿気を含んだ風も心地よかった。ルーは回収した品に被せていた雨除けの布をすべて取り払った。シャーリーンが急いで近寄ってきて、オルガンをまじまじと見た。


「素敵。でもルーの言う通り、やっぱり壊れてるのね」


 ガスオルガンであれば炎が灯る、上から付き出たガラス管は数本が割れていた。


「音くらいは出るようになるかもしれない。ちょっと見てみるよ」


 ルーは箱からウエスを取り出して、オルガンの雨粒と埃を払った。そして正面の板を外すと、中にパイプの根元が見えた。この楽器が音を出す仕組みもよくわからないし、なんならパイプ自体は機能すらないかもしれない。手元の修理マニュアルを注意深く読んでいると、いつの間にかシャーリーンが真横に来て覗いていた。手には摘んだイヌバラがあった。ルーは何も言わずオルガンに向かい、今度はパイプに付いたバルブの調整を始めた。それが故障の原因かもわからないが弄れるところは順に弄っていこうと思った。これが終わって、音が出ても出なくてもシャーリーンを連れて山を下りよう。着いた街が目的の街でなければ、そこで改めて道を調べてみよう。


 背後ではシャーリーンが独り言のように話している。


「私の家にはバラの図鑑がたくさんあったわ。でも、バラは品種改良でどんどん増えるから、図鑑もそのたびにどんどん増えてくれればいいなと思ってたの。私はイヌバラみたいな原種も、ケンティフォリアみたいなオールドローズも、ラ・フランスみたいなモダンローズも全部好きよ。でも一番好きな薔薇はジュミリアって薔薇よ。ピンクの縁取りがお菓子みたいで本当は食べられるんじゃないかと思うくらい美しくて。でもジュミリアを見るには、あと100年以上待たないといけないわ」


 ルーはそれとなく聞き流していたが、「あっ」というシャーリーンの声が頭上から聞こえたのでそちらを見た。


「ごめんなさい、あたし」


 指を押さえたシャーリーンが謝っている。


 その指の間から一滴、ぽたっと血が垂れた。


 ルーはその手を取って「見せて」といった。傷の周りの血を拭いてやり、陽に当てるとキラッとガラス片が見える。工具箱に入っているピンセットを取ろうと立ち上がる寸前、シャーリーンが顔を近づけてきた。そして、そっとルーの頬にキスをした。シャーリーンから乾いた雨の匂いがした。


「これルーにあげるわ」


 とイヌバラをルーのオーバーオールの胸ポケットにさした。


「今ガラスを取るよ。こんなつまんないもんで怪我するなんて」


 というと、シャーリーンが


「ほんとね」


 と笑った。


 荷車の工具箱に入っていたピンセットを取り出して、顔を挙げるとシャーリーンの姿が消えていた。ルーは慌ててバイクの周りと茂みの中を見たが、残ったパンを食べに来た鳥を驚かせただけで、シャーリーンは見つからなかった。


 ふと、オルガンに目をやると、さっきまでシャーリーンが座っていたオルガンのスツールに赤くて小さいリンゴが置かれているのに気づいた。


 ルーがそれを手に取ると、陽に照らされて、きらりと光るガラスの破片が一つ、深々と刺さってるのが見えた。

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