2話「竣工式」
工場の竣工式が行われるおめでたい日、新入社員のウータは先輩であるジョセフィンと共に、早朝から外に立たされていた。
広い敷地にはアカシアの木が植えられており、まだ背が低いながら、黄色い花が愛らしく春を告げている。
手持無沙汰に並んでいる二人は、地元政治家や取引先の役員といった来賓を、彼らが到着した門から建物入り口まで案内する、というだけの役目を会社から言い付かったのだった。
「纏めて来てくれると助かるんですけど」
ウータが来賓者リストを見ながら言うと、
「そうかしら、ツアーみたいにぞろぞろ歩いてくれるわけ?」
ジョセフィンがそう答えた。
「しかし、うちの会社、よくこの物件買ったわよね。幾らくらいしたのかしら」
「国の払下げですよね。うちしか手を挙げなかったらしいですけど、そういう場合って安くなるのかな」
二人が勤めるロートフース社は町の製缶工場であった。二人が生まれる前の戦争は当時、非常食、携帯食の需要を増やし、製缶、缶詰業界はその波に乗って伸びに伸びた。最も、紙より薄いブリキ缶と随分と揶揄されていたのだが。
「聞いてる? うちは創業したときは皮の鞣し屋だったみたいよ」
「社長の先見の明ですかね」
「ギャンブルよ」
とジョセフィンが笑った。
朝の肌寒さも薄らいできたころ、陽光が門の上のアーチ、『ロートフース社 缶詰工場』と書かれた真新しい看板を照らした。そして二人は同時に、その門をくぐろうか迷っている華奢な男を見つけた。その後ろには大きな荷車を引いたバイクがあった。
「あれは……来賓、じゃないわね」
と、ジョセフィンが目を凝らしながら言った。
「ちょっと行ってきます」
ウータが小走りで男の元に向かった。
「おはようございます」
ウータと男はほぼ同時に声を出した。
男の方が続けて身分を明かした。
「サザンカ精工のルー・ウォーターと申します。廃品の件でまいりました」
「受付のウータと申します。本日はお越しいただきありがとうございます」
「ただ……、改装で出た廃品は別の業者が持って行ったと思うのですが」
と、ウータは言いながら来賓者リストと重ねられた業者リストを開いた。リストにはどの廃品がどれだけ出たか、どの業者に引き取ってもらったかを細かく記してある。そのリストの最後にサザンカ精工と付け加えられているのを見つけた。
「失礼いたしました。サザンカ精工様ですね」
それで、とウータは続けた。
「もうだいぶ片付いた後みたいで、おせっかいですが、たいして残ってないかなと」
ルーは意外だという風に長いまつげをぱちぱちさせた。
「その業者さんから連絡いただいたんです。自分たちが引き取らないものがあるって。鉄材なんかはもうないと思いますが」
そういってルーは建物に目をやった後、敷地全体を見回した。
「それでしたら建物の裏手にあります。それで、今日は竣工式なんですよ」
ルーはハッとして門の前に停めていたバイクに手をかけた。
「いいんですよ、ご案内いたします。バイクごとどうぞ」
ウータは笑いながら言った。改装とはいえ、新しい工場は新入社員のウータすら、少し得意げにさせた。
そして、ルーを観察した。落ち着いた人だと思っていたルーが慌ててバイクを退かそうとしたことを新鮮に感じて楽しかった。ウォーターという姓はこのあたりでは聞かない。この、まつ毛の長い少年はどこの人なんだろう。背は同じくらいだが、ひょっとしたら自分より軽いかもしれない。青白いと言われそうな顔色だけど、何かを話すたび首元から血が巡り、春陽が吸収されたようにわずかに赤らむのだ。
ウータはジョセフィンの方を振り返った。腕組みして心配そうにこちらを見ている。
やがて、エンジンのかかったバイクを押して、ルーが門から入ってきた。後ろの荷車にはガラクタのようなものがいくつか載っている。ウータは、竣工式が行われ、偉いさんが集まることで自分が少し気負った対応をしていたかもしれないと思った。同時に、同じくらいの年齢と思しきルーに親しみを覚えた。
「急がなきゃ竣工式の来賓が来ちゃうから、走っていいわ」
ルーが振り返ると、ウータはニコニコしながら荷車の縁に腰を掛けていた。
ルーはまた目をぱちぱちさせて何か言おうとしたが、
気を付けてくださいとだけ言って、バイクにまたがりゆっくりと発進させた。
歩いてるのと大して変わらないスピードだったが、ウータの短く柔らかいブロンドは風に吹かれて靡いていた。
「そこの裏手よ」
ちょうど指をさしたときにジョセフィンの横を通り過ぎた。ジョセフィンは初めは何事かとみていたが、運転手の神妙な顔とウータの顔を見比べて、呆れたように笑った。
わずか60メートルほどのツーリングで到着した先は工場裏の陽の当たらない一角であった。工場からは本日お披露目予定の機械の試運転が念入りに行われていて、たまに大きな稼働音が聞こえてた来た。
バイクから降りた二人は、芝生に直に置かれたわずかな廃品に近寄った。ルーの察した通り、大きな金属類は見当たらなかった。見慣れない形の物がいくつも転がっていたが、ウータには一見ピクルスの瓶のように見えた。
「残ってるの、これくらいね」
そう、ルーに告げた。
ウータはてっきり片っ端から奇麗に回収されていくのかと思っていたが、ルーは分厚いバインダーを手に、じっくりと品定めを始めていた。
それに合わせて、ウータも廃品を観察するふりをして屈み、指先でコロンとひっくり返すなどしていた。
やがて、ルーが何か納得をしたように、軽くうなづきながら立ち上がった。
「お探しの物は見つかった?」
と、ウータは屈んだまま、ルーの顔を見上げるように言った。
ルーは口元で少し笑みを作って、バインダーからくすんだオレンジの表紙の冊子を取り出し、屈んだウータの前に開いた。
「SE06 感情鉱石型……吸入機?」
ウータはなんだかわからないという風に読み上げた。実際、感情鉱石型というのも、吸入機というのもわからなかった。唯一、カタログのイラストが、その機械の一端から人間の口に何かを当てていたので、まぁ吸入とはこれか、と思ったぐらいだった。
「医療器具のようです。感情鉱石というのが昔流行ったんです。ガスでも電気でもないので、これを単独で持ち運ぶにはよかったかもしれません。今はもう、廃れましたが」
ウータがただのガラクタだと思っていたものに、急に目鼻が付いたように思えた。確かに、ガラス瓶からさらに枝のようにガラスのパイプが何本か伸びていて、そんなものが両手で数えるくらいには同じ形のものが転がっていた。
「じゃあこれ、持って行ってもらえるのかしら?」
ウータが尋ねると、ルーは荷車から小さなブラシと真新しいウエスを取り出しながら言った。
「このガラスの下の、この箱の中だけ今確認していいでしょうか」
ここでやるのか……でもすぐ終わりそうな気もするし、とウータは思った。竣工式の来賓が集まって忙しくなる前に終わってくれればいいのだ。
「どうぞ」
というと、ルーは手慣れたように、箱の周りを中心に埃を柔らかそうなブラシで落とし始めた。黒い髪がその動きに連動して揺れていた。ルーが黙々と作業しているので、ウータは少し退屈を感じ、またジョセフィンの様子も気になってきた。
そして、一通り綺麗にした後、ルーはカバーオールのポケットから工具を出して、蓋を開け始めた。
ひとつ、ふたつ、と開けていった。ウータはやっと興味を持ち、それを眺めた。
最終的にウエスの上には三つの物が載せられていた。
「入ってたり、空っぽだったり、まちまちね。それに、なにこれ、小物入れなの?」
その三つは、指輪、犬の首輪、手紙の封筒だった。
ルーはウータの疑問に答えるように言った。
「機械にまつわる迷信みたいなものです。大事な物を入れれば治療に効果があると思ったんでしょう」
へえ、とウータは呟いた。
「もともと医務室に置いてあったのかしら」
「そうかもしれません」
ルーはウータを見つめて尋ねた。
「それで、これらの引き取りはどうしましょう。吸入機は引き取りますが、中身は」
「中身もまとめていけるなら回収をお願いしたいんだけど……どうしよう」
ウータは綺麗な指輪の価値が気になったが、貴重品の処理となると自分になんの権限もないことはもちろん理解していた。そもそも改装前の設備なので、当然所有者はうちの社員でない。それどころか、いつの誰のかもわからない。
「その手紙は宛名があれば持ち主はわかりそうだけど……」
ウータがあれこれと迷いだしたとき、
「どう、何かてこずってる?」
と声をかけられた。ジョセフィンだった。
「ウータは最後にサインだけしてあげればいいのよ」
そう言いながら歩いてきたジョセフィンにウータが説明をしようとしたが、それよりも先に吸入機を見たジョセフィンが一段明るい声を出した。
「ネブライザーだ! なつかしい」
ウータとルーが不思議そうにジョセフィンを見た。
「私のおじいちゃん、たまに苦しそうな咳をしていたの。だからこれが家にあったわ。子供のころから肺か気管支が悪かったみたいだけど、歳とって余計にネブライザーから離れるのが面倒になったみたい。私は外でおじいちゃんと遊びたかったから結構駄々こねて困らせちゃった」
「でも形は全然ちがうわ、おじいちゃんのは壁から電気の線で繋がっていたもの」
ウータに疑問が湧いた。
「でも、工場にこんなに必要なんでしょうか。そんなに従業員の健康に気を使っていたのかしら」
だって、とジョセフィンが答えた。
「ここが毒ガス工場だったからじゃない?」
門の方から車のエンジン音が聞こえた。
「あたし行ってきます」
ウータが小走りに駆け出した。ルーには
「それ、お願いね」とだけ言い残した。
「積み込み、手伝ったほうがいいかしら?」
ジョセフィンが目の前の黒い瞳を見ながら話しかけた。
「お気遣いなく、ただサインだけいただければ」
そういわれて、少年が分厚いバインダーの中から取り出した用紙にサインをした。
そうしてるうちにネブライザーはすべて荷車に載せられていた。
用紙の二枚のうちの一枚を引き取って終わりかと思ったが、少年が何かを包んだような片手を差し出してきた。
「どうせ捨ててしまうので」
ジョセフィンの開いた手にポロンと落とされたのは、指輪だった。
ぎょっとして少年を見ると長いまつげをぱちぱちさせて、少し困った顔をしていた。
ジョセフィンはうなづいて、上着のポケットに指輪をしまった。
「あたしも来賓のところにいってくるわ」
といって、来た道を戻った。
建物の裏から正面に戻ると、春の色どりと、匂いと、陽光にあふれていた。




