第百九十五話 「爆発とは、世界を壊すことではなく、相手の平穏という均衡を、自分という異物で永遠に崩し続ける儀式である」という話
段々ネタにできる文学がなくなってくる(僕がアホなんで思いつかないだけです)
クレストフィールド学院
十月下旬。冷たい雨が窓硝子を細かく叩く夕暮れの図書室には、湿った紙と古い木棚の匂いが満ちていた。
エドワードは、母の形見として大切にしている 檸檬 の最後の一頁を静かに閉じると、鮮やかな黄色の果実を一つ、拓海のノートの真ん中へ置いた。
物理の問題集と、突然現れたレモン。
あまりにも場違いな光景だった。
「……タクミ。梶井は、丸善の書棚にレモンを置き、それを爆弾に見立てて立ち去った。あの瞬間、世界は確かに壊れたのだ」
「……レモンで?」
拓海はペンを止め、半眼で果実を見る。
「またお前の妙なスイッチ入ったな。どこから持ってきた、それ」
エドワードは答えず、レモンを指先で転がした。
ランプの灯りを受けた果皮が、磨かれた金属のように鈍く光る。
「……私の内側には、常に“えたいの知れない不吉な塊”があった。ハミルトンとしての重圧。完璧であれという義務。失敗の許されない人生。だが――」
翡翠色の瞳が、まっすぐ拓海を射抜く。
「お前に出会ってから、それは形を得た。鮮やかで、破壊的で、見る者の平穏を奪う……爆弾へと変わった」
「……やっぱり重てぇな、お前」
拓海は呆れたように笑った。
だがエドワードは止まらない。机に手をつき、ゆっくり身を乗り出す。
「タクミ。私は、お前の日常という整然とした書棚の中央に、この爆弾を据え置いた。お前が私を“いつもの相棒”と呼ぼうと、無害な背景として扱おうと、遅い」
その声は低く、妙に落ち着いていた。
「いつか必ず爆ぜる。お前の平穏は砕け、その破片のすべてに、私という残響が刻まれる。
お前の人生は、二度と私以前の形には戻らない」
「……エド」
拓海が、ようやく口を開く。
次の瞬間、彼はノートの上のレモンをひょいと掴み、そのまま皮ごと齧った。
「…………っ!?」
図書室に、小気味よい果皮の裂ける音が響く。
「……っ、すっぺ!!」
「タクミ!? 何をしている!?」
「何って、食ってんだろ」
拓海は平然ともう一口齧る。
爽やかな香りが一気に広がり、さっきまでの文学的緊張感がすべて柑橘類の匂いに塗り替えられた。
「お前さ、爆弾だの世界だの、理屈がいちいち回りくどいんだよ」
齧りかけのレモンを、そのままエドワードの口元へ押しつける。
「ほら。お前も食え。目ぇ覚めるぞ」
「ま、待て……私は今、象徴的な話を――」
「いいから食え」
押し込まれる。
「……っ、す、酸っぱ……!」
「だろ?」
拓海は満足げに頷いた。
「美的な爆弾やるなら、せめて蜂蜜漬けにしてから持ってこい。
そんなことより、この問題の解き方教えろ」
ノートを指で叩く。
「お前が爆発するなら、ついでに俺の点数も上げろ。話はそれからだ、バーカ」
「…………」
エドワードは、口いっぱいに広がる酸味と屈辱に耐えながら、しばらく黙っていた。
世界を揺るがす異物になるつもりだった。
拓海の人生を不可逆に変える災厄になるつもりだった。
それが今、自分は涙目のまま、物理の公式を説明させられている。
「……ふ」
小さく、笑いが漏れた。
「どうした」
「……いや。お前という男は、本当に……私の悲劇を、ことごとく生活用品に変える」
「褒め言葉だろ?」
「侮辱だ」
そう言いながら、エドワードはノートを引き寄せ、式を書き始めた。
窓の外では、雨がまだ静かに降り続いている。
図書室の片隅で、爆発するはずだった天才は、酸っぱい顔のまま家庭教師へと降格していた。
■ジョージ幕間(観測ログ:黄金色の爆弾・不発編)
『サエキ事変ノート:レモンを齧る男と、齧られた天才の記録』
十月下旬。ハミルトン様、檸檬 を“日常破壊の芸術的テロ”として曲解するも、サエキの食欲により鎮圧。
現状:
エドワード:
自分を「危険で特別な存在」として演出したかったが、サエキに皮ごと食われた結果、ただの酸っぱい人になった。
サエキ:
比喩・文学・情念のすべてを「食えるかどうか」で判定する最強の現実主義者。ハミルトン様の重さにもビタミンCくらいの感覚で対処。
ジョージ:
「いやー……傑作だね(笑)。ハミルトン様、一生懸命『僕は君の人生を爆破する』って言ってるのに、サエキにしてみれば『酸っぱいから半分食う?』なんだから」
(追記)
「……ヒヒッ」
本棚の影から、ジョージはレモンで涙目のエドワードを激写する。
「ハミルトン様。君がどれだけ爆弾になろうとしても、サエキが食欲ある限り……君の脅威は、だいたいおやつなんだよ(笑)」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
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