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第百四十四話 「距離とは、隔てるためにあるのではなく、どちらがその距離を支配しているかによって意味が反転する」という話

拓海君手遅れ・・・?

ハーフターム二日目。午後。学園寮ラウンジ。


昨日よりも、さらに人は減っていた。

だが、完全に無人というわけではない。


残された数人の寮生たちは、もはやソファと一体化し、

溶けかけたスライムのように休日を浪費している。


暖炉の火が、ぱち、と乾いた音を立てた。


静かだ。


だがその静けさは、決して心地よいものではない。

むしろ、少人数の空間特有の、逃げ場のなさを孕んでいる。


たとえば――

合コンでふと会話が途切れた瞬間、

「誰が誰を意識しているのか」が露骨に浮き彫りになる、あの居心地の悪さ。


それに、よく似ていた。


「サエキ、それ何の本? 鈍器にするには薄すぎない?」


ソファに液体のように沈み込んでいる男子が、欠伸混じりに声をかける。


「……ああ。日本の名作だよ。また仕送りに混ざってた」


拓海は片手で本を持ち上げる。


たけくらべ


(……これ、昔読んで意味わかんなかったやつだな)


「また婚約者から?」

「日本の伝統文化で包囲する作戦、まだ続いてんのか」


「幼馴染だって言ってんだろ! 伝統文化で人を固めるな!!」


乾いた笑いがラウンジに広がる。


このやり取りは、もはや習慣だ。

誰かが振り、誰かが乗り、同じ結論に落ちる。


寮の“時報”のような安心感すらあった。


「でも渋くね? 内容どうなの?」

「……面白いっていうか……」


拓海はページをめくりながら、眉間にしわを寄せる。


「……はっきりしねぇんだよな。近づきたいのか離れたいのか、モタモタしてるうちに終わるっていうか……」


(……なんだこれ)


(……もどかしいっつーか、イライラする距離感だな)


「タクミ」


低い声。弦楽器のように、静かに響く。


顔を上げるまでもない。


正確に十メートル先。

エドワード・ハミルトンが、そこに“設置”されていた。


「……お前、まだそこにいたのか。彫像のフリして小銭でも稼ぐつもりかよ」


「観測中だ」


一拍。


「……その書物も、既に私のデータベースに格納済みだ。一葉の描く『間』の演算、完了した」


「……早ぇよ。一葉に謝れ」


周囲からくすくすと笑いが漏れる。


「理解した。この物語の本質を」


エドワードの声は、どこまでも静かだった。


「……サエキ。距離とは維持するものではない」


「……は?」


「踏み込まないことで、相手に踏み込ませるための構造だ」


ラウンジの空気が、わずかに止まる。


「対象に“未接続の領域”を残すことで、脳内に演算エラーを発生させる」


淡々と続く。


「“なぜ接続されないのか”という疑問が、執着へと変換される」


一拍。


「つまり、近づかないことこそが、最も強い接近手段だ」


「……何その、逆説的ストーカー理論。怖すぎるんだけど」


沈んでいた寮生たちが、ばっと起き上がる。


「うわ、ハミルトン様が“引いて落とす”覚えた!」

「それ成立するのズルすぎるだろ!!」

「サエキ、むしろ詰んでね!?」


ジョージが、ポップコーンを口に放り込みながら肩を揺らす。


「……あーあ。サエキ、それ一番ダメなやつだよ」


「何がだよ」


「“追わない執着”」


一拍。


「逃げ場、なくなるタイプ」


「行かねぇよ!! 何で自分から行く前提なんだよ!!」


爆笑が起きる。


空気は、あくまで軽い。

どこまでも、馬鹿馬鹿しい。


――だが。


(……クソ)


拓海は、本を閉じる。


(……さっきから、気になってるのは、こいつの方じゃねぇか)


視線が、ほんのわずかに動く。


十メートル先。


動かない存在。


(……追ってこねぇのに)


(……なんで、意識がそっち行くんだよ)


暖炉が、ぱち、と音を立てる。


「タクミ」


「距離は維持している」


エドワードの声は、静かに続く。


「だが、その十メートルという空間を、お前が私を意識するための“滑走路”として再定義した」


「勝手に定義を上書きするな!! 空港にするな!!」


「急がない」


わずかな間。


「お前が、その空白に耐えきれず、自ら私を“検索”するまで」


さらに静かに。


「私は、美しく“そこに無い”という形で存在し続ける」


沈黙。


ラウンジの空気は変わらない。

誰かが寝返りを打ち、誰かが鼻歌をこぼす。


それなのに。


拓海の内側だけ、確実に何かが変わっていた。


離れているはずなのに。


さっきまでより、ずっとうるさい。


■ジョージの記録(ラウンジの隅、ポップコーンの袋を丸めながら)


【サエキ事変・距離反転(非接触型誘導)編】


日本文学『たけくらべ』を、ハミルトンが

「相手を自発的に来させるための空白設計図」として再解釈。


現状:


サエキ:

「追ってこない」ことにより、逆に意識を固定される現象を確認。


ハミルトン:

物理的接近を停止。概念的重力として機能開始。


周囲:

面白がっているが、狩りの形式が変わっただけであることには未気付。


結論:


距離とは長さではない。

どちらが、より長く相手を考えているか。

その“占有率”で決まる。


(追記)


「……サエキ」


ジョージはノートを閉じ、楽しそうに笑う。


「さっき、“あいつ何考えてるんだ”って思ったでしょ」


一拍。


「はい、それ――ログイン完了(笑)」

ここまで読んでいただきありがとうございます。


悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。


いいねや感想など、いつも励みになっています。

この話もゆるく続いていく予定なので、

また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。

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