第百三十九話 「贈り物とは、距離を埋めるためのものではなく、その距離の中で誰かを想った時間そのものを手渡す行為である」という話
菜摘ちゃん健気
クレストフィールド学院
放課後。学園寮のラウンジ。
冬の午後は短く、窓の外はすでに色を失い、白と灰色のあわいだけで構成された世界へと沈んでいる。
遠くの景色は輪郭を曖昧にしながら溶け合い、どこまでが空で、どこからが地面なのかすら判然としない。
暖炉の火が、規則的に爆ぜる。
その乾いた音だけが、この場所が外界から切り離された「特権的な空間」であることを、
静かに証明していた。
「サエキ、また来てるよ。日本からの新規パケット」
ジョージが、いつもの調子で小包をひらひらと振る。
「……また、ってなんだよ」
拓海は眉を寄せながらそれを受け取る。
箱の表面に刻まれた名前を見た瞬間、指先がほんのわずかに止まった。
――菜摘。
(……あいつか)
吐き出したため息は、冬の冷気の中に溶けるはずなのに、どこか温度を残していた。
箱は軽い。
だが、その軽さとは裏腹に、そこには“誰かが自分のために費やした時間”という、計量できない重さが確かに宿っている。
「今度は何? 前回は対ハミルトン呪具セット(お守り)だったけど」
「違ぇよ。……そんな物騒なもん、何回も送ってこねぇよ」
言いながら、蓋を開ける。
中に収められていたのは、柔らかな色合いのセーターと、数冊の本だった。
拓海は同封されていた手紙を読む。
見慣れた、いつもの少しだけ跳ねるような字。
******************
たっくんへ
セーター編んでみたの。
でもサイズわからないでしょ?
だからね、たっくんのお母さんにお願いして、
家に置いてあったセーター貸してもらって、それ見ながら編んだんだ。
でも、もしかしたら少し小さいかも。
だったらごめんね!
あと、本も送るね。
なんか、たっくんが今ちょっと難しい顔してそうな気がして。
たまには、ゆっくり読んでね。
—菜摘
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「……は?」
一瞬、言葉が抜け落ちる。
「おお……手編みっぽいね。愛が重いねぇ」
「……っぽいじゃなくて、手編みだろこれ」
指先で触れる。
編み目は、完全には揃っていない。
ところどころ微妙にズレていて、けれど雑ではない。
「……指先、痛くなりそうな編み方してんな」
ぽつりと漏れる。
少しだけ迷ってから、拓海はそれを頭からかぶった。
袖を通し、肩を軽く回す。
「あー……」
違和感が、すぐに分かる。
「どうしたの? 似合わない?」
「……小さいな」
肩のあたりがわずかに窮屈で、袖丈が数センチ足りない。
ほんのわずかな差。だが、その差は確実に“今の自分”から外れている。
それでも。
暖炉の火とは違う、もっと身体に近い温度が、ゆっくりと肌に馴染んでいく。
(……あったけぇ)
一拍。
(……けど、……足りねぇな)
手元の封筒を開く。
紙の上に並ぶのは、見慣れた、少しだけ跳ねるような文字。
『たっくんのお母さんに昔のセーターを借りて編んだ』
(……ああ)
小さく息が漏れる。
(……そりゃ、合わねぇよな)
視線が、自然と自分の腕へと落ちる。
以前よりもわずかに伸びた骨格。
筋肉のつき方も、ほんの少しだけ変わっている。
(……俺、……変わってたんだな)
実感はなかった。
ただ時間が流れていただけのはずだった。
だが。
(……ちゃんと、変わってた)
もう一度、袖を引く。
足りない。
ほんの数センチ。
だが、その“数センチ”が、妙に重く感じられた。
(……この分、知らねぇんだよな)
静かに思う。
(……今の俺のこと)
どこで何を考えているのか。
何を選ぼうとしているのか。
(……当たり前か)
距離がある。
時間も、確実に流れている。
それでも。
(……合わせようとは、してんだよな)
ズレている。
だが、そのズレは無関心から生まれたものではない。
(……ちゃんと、俺に向けて作ってる)
その事実だけが、残る。
「タクミ」
その瞬間、空気の温度が一段階下がる。
ラウンジの入口。
エドワード・ハミルトン。
距離は、正確に十メートル。
「……それが、日本からの贈与品か」
「……ああ」
短く返す。
「なるほど」
エドワードの視線が、セーターと本を順に精査するように動く。
「非効率だ」
一拍。
「サイズ誤差。品質の不均一。時間コストの過大消費。……あらゆる面で合理性を欠いている」
「……お前に言われる筋合いはねぇよ」
「否定する」
声は静かだが、揺らがない。
「その個体(菜摘)は、お前の『過去』から寸法を取得している。現在のお前ではなく、『記録されたお前』に基づいた適合だ」
一拍。
「それは、お前という現在を観測していないのと同義だ」
沈黙。
エドワードの視線が、袖口に固定される。
「ならば」
「私は、“現在のお前”に最適化された形を提示する」
その声には、一切の迷いがなかった。
「骨格、筋肉、体温、心拍――すべてに適合した『完全な衣服』をな」
「いらねぇよ」
即答だった。
空気を断ち切るように。
「……ズレるに決まってんだろ」
視線を逸らしたまま言う。
「人間なんだから」
袖を、軽く引く。
「……ズレてていいんだよ」
言葉が、ゆっくりと落ちる。
「それでも、必死に合わせようとしてる方が」
一拍。
「……何もかも見透かして、先回りしてくるお前より」
わずかに声が低くなる。
「……ずっと、マシだろ」
沈黙。
暖炉の火が、大きく爆ぜた。
ジョージが、カップを手にしたまま小さく息を吐く。
「……いいね、それ」
軽い口調のまま、だが視線は鋭い。
「一方は“完璧に合わせる世界”」
エドワードへ視線を向ける。
「もう一方は“合わなくても、合わせようとする世界”」
そして、拓海へ。
「で、サエキは今、そのズレの真ん中に立ってる」
沈黙。
拓海は何も言わなかった。
ただ、もう一度、袖を引く。
少しだけ足りないその長さが、やけに現実的だった。
それは埋められていない距離であり、
同時に、まだ繋がりきっていない時間でもあった。
暖炉の火が、静かに、もう一度爆ぜる。
ジョージの記録(暖炉の影、火の揺らぎを見つめながら)
【サエキ事変・セーター(寸法誤差)編】
日本より、菜摘様の手編みセーターが到着。
現状:
・寸法誤差:過去のデータに基づく愛が、現在のサエキの変化を浮き彫りにした
・時間差:共有されていない時間が“ズレ”として可視化
・温度:不完全だが、確実に本人に向けられている
対ハミルトン比較:
・ハミルトン:完全最適化(誤差ゼロ)
・菜摘:不完全適合(誤差あり)
結論:
“どちらが優れているか”ではない。
「どちらが、サエキの“現在”に触れているか」
(追記)
ジョージは、ノートを閉じる。
「……サエキ」
静かに呼ぶ。
「その袖の足りなさ」
一拍。
「たぶん今の君にとって、一番リアルだよ」
暖炉の火が、ゆっくりと揺れた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




