表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
161/396

第百三十九話 「贈り物とは、距離を埋めるためのものではなく、その距離の中で誰かを想った時間そのものを手渡す行為である」という話

菜摘ちゃん健気

クレストフィールド学院

放課後。学園寮のラウンジ。


冬の午後は短く、窓の外はすでに色を失い、白と灰色のあわいだけで構成された世界へと沈んでいる。

遠くの景色は輪郭を曖昧にしながら溶け合い、どこまでが空で、どこからが地面なのかすら判然としない。


暖炉の火が、規則的に爆ぜる。

その乾いた音だけが、この場所が外界から切り離された「特権的な空間」であることを、

静かに証明していた。


「サエキ、また来てるよ。日本からの新規パケット」


ジョージが、いつもの調子で小包をひらひらと振る。


「……また、ってなんだよ」


拓海は眉を寄せながらそれを受け取る。

箱の表面に刻まれた名前を見た瞬間、指先がほんのわずかに止まった。


――菜摘。


(……あいつか)


吐き出したため息は、冬の冷気の中に溶けるはずなのに、どこか温度を残していた。


箱は軽い。

だが、その軽さとは裏腹に、そこには“誰かが自分のために費やした時間”という、計量できない重さが確かに宿っている。


「今度は何? 前回は対ハミルトン呪具セット(お守り)だったけど」


「違ぇよ。……そんな物騒なもん、何回も送ってこねぇよ」


言いながら、蓋を開ける。


中に収められていたのは、柔らかな色合いのセーターと、数冊の本だった。


拓海は同封されていた手紙を読む。


見慣れた、いつもの少しだけ跳ねるような字。


******************


たっくんへ


セーター編んでみたの。

でもサイズわからないでしょ?

だからね、たっくんのお母さんにお願いして、

家に置いてあったセーター貸してもらって、それ見ながら編んだんだ。


でも、もしかしたら少し小さいかも。

だったらごめんね!


あと、本も送るね。

なんか、たっくんが今ちょっと難しい顔してそうな気がして。

たまには、ゆっくり読んでね。


—菜摘


*******************


「……は?」


一瞬、言葉が抜け落ちる。


「おお……手編みっぽいね。愛が重いねぇ」


「……っぽいじゃなくて、手編みだろこれ」


指先で触れる。


編み目は、完全には揃っていない。

ところどころ微妙にズレていて、けれど雑ではない。


「……指先、痛くなりそうな編み方してんな」


ぽつりと漏れる。


少しだけ迷ってから、拓海はそれを頭からかぶった。

袖を通し、肩を軽く回す。


「あー……」


違和感が、すぐに分かる。


「どうしたの? 似合わない?」


「……小さいな」


肩のあたりがわずかに窮屈で、袖丈が数センチ足りない。

ほんのわずかな差。だが、その差は確実に“今の自分”から外れている。


それでも。


暖炉の火とは違う、もっと身体に近い温度が、ゆっくりと肌に馴染んでいく。


(……あったけぇ)


一拍。


(……けど、……足りねぇな)


手元の封筒を開く。


紙の上に並ぶのは、見慣れた、少しだけ跳ねるような文字。


『たっくんのお母さんに昔のセーターを借りて編んだ』


(……ああ)


小さく息が漏れる。


(……そりゃ、合わねぇよな)


視線が、自然と自分の腕へと落ちる。


以前よりもわずかに伸びた骨格。

筋肉のつき方も、ほんの少しだけ変わっている。


(……俺、……変わってたんだな)


実感はなかった。

ただ時間が流れていただけのはずだった。


だが。


(……ちゃんと、変わってた)


もう一度、袖を引く。


足りない。

ほんの数センチ。

だが、その“数センチ”が、妙に重く感じられた。


(……この分、知らねぇんだよな)


静かに思う。


(……今の俺のこと)


どこで何を考えているのか。

何を選ぼうとしているのか。


(……当たり前か)


距離がある。

時間も、確実に流れている。


それでも。


(……合わせようとは、してんだよな)


ズレている。

だが、そのズレは無関心から生まれたものではない。


(……ちゃんと、俺に向けて作ってる)


その事実だけが、残る。


「タクミ」


その瞬間、空気の温度が一段階下がる。


ラウンジの入口。

エドワード・ハミルトン。


距離は、正確に十メートル。


「……それが、日本からの贈与品か」


「……ああ」


短く返す。


「なるほど」


エドワードの視線が、セーターと本を順に精査するように動く。


「非効率だ」


一拍。


「サイズ誤差。品質の不均一。時間コストの過大消費。……あらゆる面で合理性を欠いている」


「……お前に言われる筋合いはねぇよ」


「否定する」


声は静かだが、揺らがない。


「その個体(菜摘)は、お前の『過去』から寸法を取得している。現在のお前ではなく、『記録されたお前』に基づいた適合だ」


一拍。


「それは、お前という現在リアルを観測していないのと同義だ」


沈黙。


エドワードの視線が、袖口に固定される。


「ならば」


「私は、“現在のお前”に最適化された形を提示する」


その声には、一切の迷いがなかった。


「骨格、筋肉、体温、心拍――すべてに適合した『完全な衣服』をな」


「いらねぇよ」


即答だった。


空気を断ち切るように。


「……ズレるに決まってんだろ」


視線を逸らしたまま言う。


「人間なんだから」


袖を、軽く引く。


「……ズレてていいんだよ」


言葉が、ゆっくりと落ちる。


「それでも、必死に合わせようとしてる方が」


一拍。


「……何もかも見透かして、先回りしてくるお前より」


わずかに声が低くなる。


「……ずっと、マシだろ」


沈黙。


暖炉の火が、大きく爆ぜた。


ジョージが、カップを手にしたまま小さく息を吐く。


「……いいね、それ」


軽い口調のまま、だが視線は鋭い。


「一方は“完璧に合わせる世界”」


エドワードへ視線を向ける。


「もう一方は“合わなくても、合わせようとする世界”」


そして、拓海へ。


「で、サエキは今、そのズレの真ん中に立ってる」


沈黙。


拓海は何も言わなかった。


ただ、もう一度、袖を引く。


少しだけ足りないその長さが、やけに現実的だった。


それは埋められていない距離であり、

同時に、まだ繋がりきっていない時間でもあった。


暖炉の火が、静かに、もう一度爆ぜる。


ジョージの記録(暖炉の影、火の揺らぎを見つめながら)


【サエキ事変・セーター(寸法誤差)編】


日本より、菜摘様の手編みセーターが到着。


現状:


・寸法誤差:過去のデータに基づく愛が、現在のサエキの変化を浮き彫りにした

・時間差:共有されていない時間が“ズレ”として可視化

・温度:不完全だが、確実に本人に向けられている


対ハミルトン比較:


・ハミルトン:完全最適化(誤差ゼロ)

・菜摘:不完全適合(誤差あり)


結論:


“どちらが優れているか”ではない。


「どちらが、サエキの“現在”に触れているか」


(追記)


ジョージは、ノートを閉じる。


「……サエキ」


静かに呼ぶ。


「その袖の足りなさ」


一拍。


「たぶん今の君にとって、一番リアルだよ」


暖炉の火が、ゆっくりと揺れた。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。


いいねや感想など、いつも励みになっています。

この話もゆるく続いていく予定なので、

また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ