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第百一話 「選択という現実は、静かな場所ほど逃げ場を失う」という話

拓海君にげて!

放課後の進路指導室。


窓の外、秋の低い陽光がグラウンドを赤く染め、長い影を室内へ引き込んでいた。

昼間の喧騒は遠く、重厚な扉に遮られた空間には、沈殿したような静けさがある。


「サエキ」


ミスター・アイアンサイドが、老眼鏡越しに視線を上げた。


「進路についてだが。貴様は、日本の大学に進学する予定だと聞いている」


一拍。


「相違ないか」


「……はい」


拓海は、椅子の背にもたれながら頷いた。


「そのつもりです。……元々、この国で暮らすために来たわけじゃないですから」


言い切る。


だがその声は、どこか軽く、わずかに浮いていた。


「……そうか」


アイアンサイドは短く返す。


「では確認する」


視線が、まっすぐ向けられる。


「こちらでの進学は、考えていないのか」


わずかな沈黙。


拓海は視線を落とす。


机の木目に映る夕日が、妙に眩しかった。


「……ない、ってわけでもないですけど」


言葉が、少しだけ鈍る。


「この間の試合とか」


一拍。


「……この街の空気も」


「悪くないなとは、思ってます」


正直な言葉だった。


その瞬間。

半開きの扉の外。

何かが、完全に動きを止めた。


「……なるほど」


アイアンサイドは資料に目を落とす。


「現実的な話をしよう」


指先で紙を軽く叩く。


「貴様の成績、身体能力、適応力」


「いずれも問題ない」


「上位校も視野に入る」


一拍。


「残る場合、どの水準を想定する」


「……正直、あまり分かってなくて」


拓海は少しだけ考えた。


「……現実的なラインって、どのあたりになりますか」


初めて、自分から“こちら側の未来”に触れた。


扉の外。

影の中で、エドワードの視線が静かに落ちる。


理解した。


拓海は、単純な計算の中で揺れているわけではない。

別の、もっと曖昧で、しかし強固な何かに引かれている。


夜。寮の自室。


机の上に、一通の手紙。

拓海はそれを開いたまま、しばらく動かなかった。


『たっくんへ』


その呼び方が、少しだけ遠く感じる。


『高校は離れちゃったけど』


『大学は一緒がいいなって思ってる』


当たり前のように書かれた言葉。


決めつけではない。

でも、疑ってもいない。


「……そうだよなぁ」


拓海は、背もたれに体を預ける。


「……戻るのが普通か」


小さく、呟く。


「……一緒、か」


その言葉は軽い。

だが、どこか確定した未来のようにも聞こえた。


その背後、カーテンの影。

エドワードが、立っている。


音はない。

呼吸すら、意識的に落とされている。


”ただ、見ている”。


手紙を読む視線。


声の揺れ。

言葉の温度。


すべてを、静かに拾い上げていた。


「……なるほど」


小さく。


「理解した」


拓海は気づかない。

何かが、ここで切り替わったことに。

それは激しいものではない。

むしろ逆だった。


「……接続」


一拍。


「……優先度、最大」


言葉は淡々としている。


「……排除ではない」


わずかに、視線が細くなる。


「……上書きする」


それだけだった。


感情は、ほとんど乗っていない。

だからこそ、明確だった。


やがて。


影は、音もなく消える。


机の上には、開かれた手紙。

拓海はまだ、それを見ていた。


何も知らずに。


ジョージの記録(寮・廊下)


【サエキ事変・沈黙の宣戦布告編】


ハミルトン様、サエキ拓海の「帰還要因」を特定。


観測:


・発話量:減少

・思考速度:上昇

・感情出力:極小


(追記)


この状態の方が危険。


(継続)


(次は、静かに来る)

ここまで読んでいただきありがとうございます。


悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。


いいねや感想など、いつも励みになっています。

この話もゆるく続いていく予定なので、

また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。

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