第76話:深紅の増殖、帝都の黄昏
霞が関の財務省本館が、巨大な地鳴りと共に完全な瓦礫の山へと変わり果てた直後。
アルカディア本部の地下司令室でモニターを眺めていたクロノスは、通信機越しにミカラムへと帰還命令を出した。
「ご苦労様、村上。君は本部に戻ってきていいよ。……ただし、レッドセラフィムはそこに残せ。五体を新宿へ、残る五体を渋谷へ向かわせるように指示を上書きしろ」
その命令を聞き、クロノスの傍らでデータ分析を行っていた幹部の赤城が、怪訝な顔で顔を上げた。
「クロノス様。国家情報省と財務省の壊滅で、本日の軍事的・政治的目標は十分に達成されたはずです。なぜ、無関係な一般市民が密集する新宿と渋谷に、最高戦力であるレッドセラフィムを投入するのですか?」
赤城の問いに、クロノスは無機質な仮面の奥で、ひどく邪悪な三日月型の笑みを浮かべた。
「ただの殺戮じゃないよ、赤城。あれには鴨ヶ岳で失った分を補うための、とっておきの『追加機能』を積んであるんだ。……その実地テストさ」
クロノスがキーボードを叩くと、モニターの映像が、帝都の夜を象徴する二つの巨大な繁華街のライブカメラへと切り替わった。
深夜の渋谷、スクランブル交差点。
週末の夜を楽しもうとする若者や会社員たちで、街は異常なほどの熱気と喧騒に包まれていた。巨大な電子広告ビジョンが色鮮やかな映像を垂れ流し、流行の音楽がスピーカーから鳴り響いている。
その日常の風景は、上空から飛来した五つの「深紅の隕石」によって、突如として永遠に破壊された。
ズドォォォォォォォンッ!!
アスファルトを粉砕し、交差点の中心に五体のレッドセラフィムが着陸した。舞い上がった土煙と衝撃波で、周囲にいた数十人の歩行者が枯れ葉のように吹き飛ばされ、建物のガラスというガラスが一斉に砕け散る。
「な、なんだ!? 爆発!?」
「テロだ、逃げろッ!!」
パニックに陥り、悲鳴を上げて逃げ惑う群衆。しかし、レッドセラフィムたちは無機質な瞳を赤く発光させると、恐るべき演算速度で群衆の生体データをスキャンし始めた。
「ターゲット・オス。殲滅を開始」
機械音声が響いた瞬間、地獄の蓋が開いた。
レッドセラフィムたちは、逃げ惑う人々の波の中から、男性だけを正確に、かつ圧倒的な力で屠り始めた。
一体のレッドセラフィムが音を置き去りにする速度で跳躍し、人混みの中に突っ込む。その鋼鉄の拳が振るわれるたび、男性たちの身体は人形のように軽々と天高く吹き飛ばされ、アスファルトに叩きつけられて沈黙した。
「撃て! 撃ちまくれェッ!」
通報を受けた機動隊が装甲車で駆けつけ、アサルトライフルの弾幕を張る。しかし、旧型の三倍の装甲強度を持つレッドセラフィムには、徹甲弾すらかすり傷一つ与えることができない。
セラフィムの一体が、指先から超高熱の収束粒子砲を放った。深紅の熱線は装甲車をバターのように両断し、周囲にいた機動隊員たちを一瞬で炭化させた。そのまま熱線は扇状に薙ぎ払われ、スクランブル交差点から道玄坂へと逃げる男性たちの姿を、路面ごと綺麗に蒸発させていく。
「嫌ぁぁぁぁッ! やめて、彼を殺さないでッ!」
女性たちが泣き叫び、倒れた彼氏や家族の身体にすがりつく。だがレッドセラフィムは、女性たちを突き飛ばすことすら避け、ただ精密機械のように男性の命だけを徹底的に排除していく。
同時刻、新宿・歌舞伎町。
欲望が渦巻く眠らない街もまた、残る五体のレッドセラフィムによる圧倒的な蹂躙を受けていた。
金属バットや刃物を持ち出して抵抗を試みた裏社会の男たちは、セラフィムの放つ衝撃波だけで吹き飛ばされ、周囲のネオンサインをへし折りながら地面に転がった。
あるレッドセラフィムは、雑居ビルの支柱を次々と蹴り折り、ビルごと倒壊させて中にいる男たちをまとめて瓦礫の下へと沈めた。崩れゆくビルの轟音と、逃げ惑う人々の断末魔が入り交じる。
通りを埋め尽くしていた客引きも、酔客も、警察官も、区別なく屠られていく。
逃げ場はない。隠れる場所もない。
圧倒的な暴力のスケール。わずか一時間足らずで、渋谷と新宿にいた男性は、文字通り「一人残らず」その命を絶たれた。
異常な静寂が降りた破壊の跡地で、レッドセラフィムたちは、生き残り、恐怖で腰を抜かし、あるいは愛する者の死体の傍らで呆然としている女性たちへと、一斉にその無機質な顔を向けた。
「……殲滅フェーズ完了。これより、増殖フェーズに移行する」
レッドセラフィムたちの純白と深紅の装甲が展開し、その内部から赤黒い『ナノマシン』の霧が広範囲に散布された。
その霧に触れた瞬間、女性たちの動きがピタリと止まった。
「いやっ! やめてぇぇッ!……あ、ああ……」
悲鳴を上げていた女性たちの皮膚の下で、静脈が不気味な真紅の光を放ち始める。
アルカディアの最新技術である生体変換ナノマシンは、人間の有機たんぱく質を瞬時に分解し、無機質な金属繊維や電子回路へと強制的に再構築する恐るべきプログラムだった。
女性たちの衣服が融解し、その身体がドロドロとした赤い発光体へと変化していく。物理的な痛みを伴う間もなく、彼女たちの意識は真っ白に塗り潰され、肉体という殻だけが「苗床」として利用される。
赤い物質は急激に硬化を始め、女性たちの身体を包み込むような、金属質の巨大な「繭」を形成した。
渋谷のスクランブル交差点にも、新宿の歌舞伎町にも、何千、何万という真紅の繭が、まるで異星の果実のように不気味な明滅を繰り返しながら転がっている。
そして、わずか三十分後。
メキッ……バキィッ。
真紅の繭が内側から破られ、中から新しい機械の兵器が姿を現した。
それは、犠牲となった女性たちの生体エネルギーと有機物をすべて吸い尽くし、完全に金属の兵器として再構築されて羽化した、新たな「レッドセラフィム」であった。女性たちの元の肉体は完全に消費され、跡形もなく消滅し、ただ風に舞う白い灰だけが残されていた。
渋谷と新宿の焼け野原に、十体だったはずのレッドセラフィムが、何万体という途方もない大軍団となって、整然と立ち並んでいた。
***
アルカディア本部のモニターでその光景の一部始終を見ていた赤城は、背筋に氷をねじ込まれたような悪寒に襲われ、震える声で尋ねた。
「ク、クロノス様……。これは、一体……」
「あはは、面白いだろ?」
クロノスは、無機質なマスクを指先でトントンと叩きながら、極上のエンターテインメントを見たかのような笑顔の声で答えた。
「レッドセラフィムの動力コアを培養するためには、特殊なナノマシンと、XX染色体を持つ人間の生体構造が一番相性が良くてね。だから男性はただの障害物として駆除して、女性の体を『生産ライン』として使わせてもらったってわけ」
クロノスは、モニターに映る何万体もの深紅の悪魔の軍団を、満足げに見渡した。
「これで工場の手間も省ける。レッドセラフィムは、人間という資源がある限り、いくらでも自己増殖して大量生産できるからね。……どう? この箱庭の人間たち、俺の最高のおもちゃに貢献できて、本望だと思わない?」
(……所詮、人間なんてこの程度だ。俺の計算通りに壊れ、恐怖し、俺の思い通りに書き換えられる。ただの退屈な資源に過ぎない)
世界が絶望に染まり、物理的にも精神的にもクロノスの計算通りに支配されていくモニターの映像を眺めながら。クロノスはふと、地下の別室で今も呑気に過ごしているであろう少女の顔を思い浮かべた。
己の【絶対支配】のオーラや洗脳能力を完全に無効化する特異体質を持ち、世界が終わろうがポテトチップスをかじってマイペースを崩さない、星野くるみ。
すべてが予定調和で進む退屈な箱庭の中で、唯一、一切の計算を受け付けない彼女という『完全なイレギュラー』。だからこそ、クロノスは彼女に執着し、彼女のいる汚部屋だけが唯一の安らぎとなっているのだ。
命を苗床とし、絶望を餌にして増殖する悪魔の軍団。
神崎健人がすべてを失い、乃木が己の保身に震えている間に、クロノスの用意した盤面は、すでに人類の生存を根本から脅かす次元へと到達していた。
帝都は今、終わりの見えない真の暗黒へと沈んでいこうとしていた。




