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第71話:神殺しの遊戯、一〇〇パーセントの虚無

安嵩鴨ヶ岳の山頂は、神崎健人の喉が引き裂かれんばかりの絶叫と、彼のすべてであった妻・佳奈の遺体を焼き尽くす激しい炎の爆ぜる音だけに支配されていた。

人体発火能力パイロキネシス

クロノスが指を鳴らしただけで生み出されたその超高熱の炎は、神崎が最後に残した「人間の尊厳」の欠片すらも、容赦なく灰へと変えていく。燃え盛る炎に手を伸ばそうとした神崎は、失われた左腕の幻痛と、どうにもならない絶望に打ちひしがれ、岩盤の上に無様に崩れ落ちた。愛銃であるデザートイーグルが手から滑り落ち、カラン、と虚しい音を立てる。

「あはははは! 最高の特等席だね、神崎さん! 愛する奥さんが綺麗な骨になっていくのを、その目にしっかり焼き付けておきなよ!」

炎の照り返しを受けながら、クロノスは腹を抱えて嗤っていた。金色の髪が熱風に煽られ、無機質なマスクの奥の瞳が、至上の愉悦に歪んでいる。精巧なゴールドの刺繍が施されたダークネイビーのロングコートが、炎の赤と夜の闇の中でひどく禍々しく揺らめいていた。

「……き、さまァッ……クロノスゥゥゥッ!!」

神崎は血の涙を流しながら、悪魔の名を呪うように叫んだ。だが、その絶叫すらもクロノスにとっては心地よいBGMでしかない。

「さてと」

クロノスはひとしきり笑い終えると、くるりと踵を返し、空中で硬直したまま全身の筋肉を限界まで軋ませている1号へと向き直った。

1号は、クロノスに仕込まれた『隠しコマンド』によって身体の自由を完全に奪われながらも、サングラスの奥の瞳には、制御不能の破壊衝動と屈辱の炎を燃えたぎらせていた。

「せっかく俺が直々にアップグレードしてあげたんだ。このまま操り人形のままじゃ、映画のラスボスとしてはちょっと物足りないよね」

クロノスは、ポケットに手を入れたまま、退屈そうに首をコキコキと鳴らした。

「いいよ。特別に、ご主人様から許可を出してあげる。……見せてみろよ、お前の一〇〇パーセントを」

クロノスが指先を軽く振ると、1号を縛り付けていた見えない鎖が、パチンと弾け飛んだ。

「オ……オオォォォォォォォォォォッ!!」

自由を取り戻した1号の口から、もはや人間のそれとは到底思えない、獣の咆哮が夜空を劈いた。

「筋力解放……一〇〇パーセントォォォォォォッ!!」

空間が、文字通り歪んだ。

九十パーセントの時とは次元が違う。1号の肉体が、自身の生命力すらも燃料として完全に燃焼させ始めたのだ。全身の皮膚が限界を超えて赤黒く変色し、そこかしこから毛細血管が破裂して血の霧を噴き出す。筋肉は異常なまでに肥大化し、鋼鉄どころか、神の領域の装甲すら凌駕する超高密度の鎧へと変異していく。

彼の体温はすでに数百度に達しており、足元の岩盤が熱と圧力でドロドロに融解し始めていた。1号がただ息を吐き出すだけで、周囲に熱風の暴風が巻き起こり、ミカラムの倒れている岩場までが吹き飛ばされそうになる。

「ほう」

クロノスは、熱風にロングコートをバタつかせながら、少しだけ感心したように口角を上げた。

「いいね。命を削ってまで俺を楽しませようとするそのサービス精神、評価するよ」

「死ねェェェッ!!」

1号の姿が、光すら置き去りにする速度で消失した。

純粋な物理的質量による、神速の踏み込み。九十パーセントの時にはコンマ数秒の反応を許したミカラムでさえ、今の一〇〇パーセントの速度には視線を追いつかせることすらできないだろう。

次の瞬間、1号の巨大な右ストレートが、クロノスの顔面を粉砕せんと完璧な軌道で叩き込まれた。

ドゴォォォォォォォォォンッ!!

安嵩鴨ヶ岳の山頂が、三分の一ほど吹き飛んだ。

1号の拳から放たれた物理的な衝撃波が、背後にあった巨大な岩山を一瞬にして粉塵へと変え、山頂の地形そのものを抉り取ったのだ。それは、核兵器にも匹敵する純粋な暴力の極致であった。

「……やった、か」

瓦礫の陰から、瀕死のミカラムが信じられないものを見る目で呟く。神崎もまた、炎の側で目を見開いていた。

だが。

土煙が晴れた後、そこに立っていたのは。

「……うん。威力はすごいね。山が一つ消し飛んじゃった」

ダークネイビーのロングコートに、埃一つ被っていないクロノスの姿だった。

彼は、1号の放った『一〇〇パーセントの全力の右ストレート』を、ポケットから出した左手の人差し指一本で、軽く受け止めていたのだ。

「……な、に?」

1号のサングラスの奥の瞳が、驚愕に見開かれた。

自身の全細胞、全生命力を賭した究極の一撃が、何の異能力も使っていない、ただの指一本に完全に止められている。

「でもさ」

クロノスは、ひどく退屈そうに、溜め息をついた。

「遅いし、軽いね。……やっぱり、全然退屈しのぎにならないや」

「ガアァァァァァッ!!」

1号は恐怖と屈辱を振り払うかのように、左腕で裏拳を放ち、さらに両腕による怒涛の連撃をクロノスへと浴びせかけた。

一撃一撃が、山を砕き、大地を割る破壊力。鴨ヶ岳の山頂が次々と崩壊し、谷底へと崩れ落ちていく。

しかし、クロノスはロングコートを翻し、まるでワルツでも踊るかのような優雅で超高速のステップで、そのすべての攻撃をミリ単位で躱していく。時には見えない重粒子シールドで弾き、時には指先で軽く軌道を逸らす。

「ほらほら、どうしたの? 一〇〇パーセントってそんなもん? 俺がハッキングで設計してやったパワーの源泉、ちゃんと使いこなせてないんじゃない?」

クロノスは、死に物狂いで拳を振るう1号の周囲を舞いながら、無慈悲な言葉でその存在を否定し続けた。

「あーあ、がっかりだよ。おっさんが全財産を賭けた最高傑作の化け物も、結局は俺の手のひらの上で踊るだけの、不出来な操り人形に過ぎなかったね」

「オオオォォォォォッ!!」

1号の肉体が限界を超え、皮膚が弾け、筋肉の繊維が断裂し始める。超再生能力すら追いつかないほどの過負荷。彼は自らの命を燃やし尽くしてでも、目の前の悪魔に一矢報いようとしていた。

だが、どれほど彼が命を削ろうとも、絶対者と造られた偽物の神との間には、永遠に超えられない絶対的な次元の壁が存在していた。

「もういいや。飽きた」

クロノスが、冷たく言い放つ。

その声には、先程までの嘲笑すら消え失せ、純粋な『無関心』と『虚無』だけが満ちていた。

1号が最後の力を振り絞り、両手を組んで渾身のハンマーナックルを振り下ろそうとした、その時。

クロノスは、ロングコートのポケットに両手を入れたまま、ふっと1号の懐へと滑り込んだ。

そして、仮面の奥の冷たい瞳で1号を見上げながら、ポツリと呟いた。

強制終了シャットダウン

クロノスが、ほんのわずかに、不可視の重粒子エネルギーを1号の胸の奥深く、彼自身が仕込んだブラックボックスへと送り込んだ。

その瞬間、一〇〇パーセントに達していた1号の巨体が、空中でピタリと硬直したのである。

「……ぁ……」

1号の口から、力が抜けたような虚しい音が漏れた。

暴走していた異常な筋肉の脈動が止まり、全身から吹き出していた赤黒い蒸気が嘘のように消え去っていく。

クロノスは、つまらなそうに背を向け、燃え盛る佳奈の遺体と、絶望に這いつくばる神崎の元へとゆっくりと歩き始めた。その後ろで、1号の体に最悪の「崩壊」が始まろうとしていた。

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