第70話:忠盾の崩壊、そして最悪の種明かし
「警告。機体損傷率、八十五パーセント。戦闘継続に甚大な支障あり」
ミカラムの脳内に、戦闘用装甲のシステムから無機質なアラートが鳴り響いていた。しかし、彼はその警告を意思の力でねじ伏せ、紫色のエネルギーブレードの出力を限界突破まで引き上げた。
彼の背後には、絶対的な主であるクロノスが立っている。その御前で、どこの馬の骨とも知れない筋肉の化け物に敗北するなど、ミカラムのプライドと忠誠心が絶対に許さなかった。
「……おおおおおッ!!」
ミカラムの裂帛の気合いと共に、彼の装甲から余剰エネルギーが紫色のプラズマとなって噴き出す。
同時に、生き残っていた最後のセラフィムが、特攻めいた突撃を1号へと仕掛けた。自らの動力炉を暴走させ、自爆による道連れを狙ったのだ。純白の装甲が赤熱し、凄まじい熱量を放ちながら1号の巨体に抱きつこうとする。
「……小細工を」
1号はサングラスの奥で冷たく言い放つと、九十パーセントまで解放された規格外の右腕を、セラフィムの胸部装甲の中央へと無造作に突き入れた。
ガガォォォォンッ!!
暴走寸前だった動力炉を、1号は直接その巨大な掌で掴み出し、握り潰した。断末魔の機械音すら上げられず、最後のセラフィムが瞳の光を失い、完全に機能停止して崩れ落ちる。
その瞬間。セラフィムを囮にして死角に回り込んでいたミカラムが、最大出力のエネルギーブレードを1号の首筋へと振り下ろした。
「死ねぇッ!!」
ギイィィィィンッ!!
けたたましい金属音と、強烈な閃光が鴨ヶ岳の山頂を照らす。
ミカラムの渾身の一撃は、確かに1号の首筋を捉えていた。しかし、刃は極限まで密度を高められた1号の僧帽筋に数センチ食い込んだだけで、完全に停止していた。
「……な、に……?」
驚愕に見開かれたミカラムの目の前で、1号がゆっくりと首を回した。傷口から噴き出した血は瞬時に蒸発し、蠢く肉芽がすでに刃を押し返そうとしている。
「……速さは認める。だが、俺の肉体を断つには、質量が圧倒的に足りない」
1号の左腕が、ミカラムの首を万力のように掴み上げた。
「ガ、ハッ……!?」
そのまま、ミカラムの巨体を軽々と宙に浮かせ、足元の岩盤へと容赦なく叩きつける。
ドガァァァァンッ!!
クレーターがさらに深く抉れ、ミカラムの戦闘用装甲が粉々に砕け散った。紫色のエネルギーブレードは消失し、ミカラムは大量の血を吐き出して完全に戦闘不能となった。
「これで、終わりだ。黒コート」
1号は、足元で虫の息となったミカラムを見下ろし、トドメの右拳を高く振り上げた。その拳には、岩盤ごとミカラムの頭部を粉砕するだけの、莫大な物理エネルギーが込められている。
神崎健人は、クロノスに銃口を向けたまま、その結末を見届けようとしていた。自分の復讐の刃が、ついにクロノスの右腕を完全にへし折る瞬間を。
だが。
「――はい、そこまで」
パンッ、と。
夜風の中で、ひどく軽薄な、乾いた拍手の音が一つ鳴った。
クロノスが、ダークネイビーのロングコートのポケットから手を出し、軽く柏手を打ったのだ。
その瞬間。
振り下ろされようとしていた1号の巨大な拳が、ミカラムの顔面のわずか数センチ手前で、ピタリと空中に停止した。
「……なにっ!?」
神崎が、初めて驚愕の声を上げた。
1号は、自らの腕を振り下ろそうと必死に筋肉を隆起させている。全身から赤黒い蒸気が噴き出し、血管が破裂しそうなほど膨張しているにもかかわらず、見えない分厚いガラスの壁に阻まれたように、腕がピクリとも下に動かないのだ。
「……ぐ、おぉぉぉッ!? な、ぜだ……身体が、言うことを……!」
1号の重低音の唸り声に、困惑と焦燥が混じる。
「いやぁ、素晴らしい出来だ。俺のプログラミングに狂いはなかったみたいだね」
クロノスは、楽しそうにクスクスと笑いながら、絶句する神崎と、硬直した1号に向かってゆっくりと歩み寄ってきた。
金色の髪が風に揺れ、無機質なマスクの奥の瞳が、至上の愉悦に三日月型に歪んでいる。
「教えてあげるよ、おっさん」
クロノスは、神崎の突きつけるデザートイーグルの銃口をまるで意に介さず、神崎の真横まで歩み寄った。
「その1号ってやつ。あんたんとこの研究所で、高田って所長が作ってたんだっけ? ……あんた、あんな三流の技術で、本気で俺の足元に及ぶ化け物が作れると思ってたの?」
「貴様……何を言っている……」
神崎の声が震える。決して認めたくない、最悪の予感が彼の脳裏を過っていた。
「あの研究所のAI調整段階でさ、俺、ちょっとだけハッキングして『手伝って』あげたんだよね。独自の改良データを送り込んで、その無骨な筋肉に、俺と遊ぶための『パワーの源泉』を密かに与えてやったってわけ」
クロノスは、硬直して動けない1号の巨大な胸板を、コツン、と指先で軽く叩いた。
「だってさ、あんたが必死に用意した切り札が、開始一秒で瞬殺されちゃうような雑魚だったら、映画としてつまらないでしょ? だから俺が、最高に退屈を潰せる『最高のライバル』になるように、こいつをアップグレードしてやったんだよ。もちろん、俺の命令には絶対服従する『隠しコマンド』付きでね」
その言葉は、鴨ヶ岳の凍てつく風よりも冷たく、神崎の魂を根底から凍り付かせた。
全ては、初めからこの悪魔の手のひらの上だったのだ。
妻を手に掛け、部下を囮にし、すべてを捨てて手に入れたと思っていた最強の復讐の刃。それすらも、クロノス自身が「退屈しのぎ」のために与えてくれた、ただの精巧な玩具に過ぎなかった。
最初から、神崎健人がクロノスに勝てる可能性など、万に一つも、億に一つも存在していなかったのだ。
「あっはははは! いいね、いいよその顔! 最高の絶望だね!」
クロノスは、呆然と立ち尽くす神崎の顔を覗き込み、腹を抱えて笑った。
「自分が心血を注いだ復讐劇の主役が、実は憎き敵の操り人形だったなんて! こんな陳腐で残酷なバッドエンド、三流の脚本家でも書かないよ! あー、笑いすぎてお腹痛い!」
「そうやって……貴様は、すべてを……人間の尊厳のすべてを、馬鹿にしてッ!!」
神崎の右腕に、かつてないほどの力がこもる。
「死ねェッ!! クロノス!!」
神崎が、至近距離からデザートイーグルの引き金を引こうとした。
だが、それよりも早く。
クロノスが、笑いながらパチン、と指を鳴らした。
ボウッ!!
神崎の足元に横たわっていた、愛する妻・佳奈の遺体が。
突如として、何の前触れもなく、天を衝くような激しい火柱に包まれた。
「……え?」
神崎の動きが、完全に停止した。
人体発火能力。クロノスが放った超高熱の炎が、佳奈の肉体を、服を、そして彼女の張り付いた笑顔を、一瞬にして炭化させていく。
「や、やめろォォォォォォォォッ!!」
神崎健人の、喉が裂けるほどの悲痛な絶叫が、鴨ヶ岳の夜空に木霊した。
彼が自分の手で撃ったとはいえ、せめて形として残しておきたかった、愛した女の最後の生きた証。それが今、悪魔の嘲笑と共に、無慈悲な炎によって灰へと変えられていく。
「あははっ! 火葬代はサービスしとくよ、おっさん!」
燃え盛る炎の照り返しを受けながら、精巧なゴールドの刺繍が施されたダークネイビーのロングコートを翻し、クロノスは地獄の底で嗤う悪魔そのものだった。
神崎の復讐は、完全に、そして徹底的に、踏みにじられたのである。




