第67話:終焉への秒読み、偽りの幕引き
鴨ヶ岳の夜空を真っ赤に染め上げた巨大な爆炎は、追い詰められた漆黒のパワードスーツ部隊が、残存するすべての火力を一点に集中させた決死の一斉掃射だった。対装甲用バズーカと大口径アサルトライフルの弾幕が、一体の白き御使い――セラフィムを完全に捉え、岩盤ごと吹き飛ばしたかのように見えた。
「やったか……ッ!」
通信機越しに、傭兵の一人が希望に縋るような叫びを上げた。
しかし、そのかすかな希望は、爆煙が風に流された次の瞬間に完全な絶望へと変わった。
もうもうと立ち込める黒煙の中から、純白の装甲に傷一つ、煤一つの汚れすらつけていないセラフィムが、音もなく姿を現したのだ。彼女の無機質な瞳が、暗闇の中で冷たく発光する。
「……出力不足。脅威度、最低ランクに下方修正。これより掃討フェーズに移行します」
感情の欠落した機械音声が響いたのを合図に、戦場の空気が一変した。
これまで「互角の立ち回り」を演じさせていたのは、単にセラフィムたちが敵のデータを収集し、最適な処理手順を計算するための『観察期間』に過ぎなかったのだ。
「う、撃て! 撃ちまくれェッ!!」
パワードスーツが恐怖に駆られたように弾幕を張るが、本性を現したセラフィムたちの動きは、先程までとは全く別の次元へとシフトしていた。
重力を無視したような異常な加速。十体のセラフィムが、白い残像だけを残して漆黒の部隊へと殺到する。
「ぎ、ああああっ!!」
右翼で防衛ラインを構築していた三機のパワードスーツが、瞬きをする間に解体された。
一体のセラフィムが機体の懐に潜り込み、分厚いチタン合金の装甲をまるで濡れた紙でも引き裂くように素手で貫通し、内部のパイロットの肉体をジェネレーターごと握り潰したのだ。血とオイルが混ざり合った黒黒とした液体が、鴨ヶ岳の冷たい岩肌にぶちまけられる。
「化け物ッ……!」
高周波ブレードを振り下ろした別の傭兵は、セラフィムの指先から放たれた高熱粒子線によって、ブレードごと両腕を蒸発させられ、そのまま首を撥ね飛ばされた。
もはや戦闘ではなく、一方的な蹂躙、あるいは極めて事務的な『処理作業』であった。人間の反射神経と、機械による最適化された殺戮プロトコル。その間にある絶対的な壁が、裏社会のプロフェッショナルたちを次々と肉塊に変えていく。
飛び交う悲鳴と弾丸、そして爆発の衝撃波。
その地獄の只中にあって、神崎健人は一歩も動かなかった。真っ白なコートを激しい爆風に煽られながらも、彼の残された右腕はピタリとクロノスの眉間にデザートイーグルの照準を合わせ続けている。
神崎に向かって飛んでくる致命的な流れ弾や、爆発で吹き飛んできたパワードスーツの鋭利な装甲片。それらはすべて、彼に届く前に「巨大な肉の壁」によって弾き落とされていた。
1号である。
彼はミカラムとの死闘を繰り広げながらも、常に神崎の射線と死角をカバーする位置取りを完璧に維持していた。50パーセントまで解放された1号の異常な筋肉は、大口径の徹甲弾を浴びても皮膚の表面で弾き返し、かすり傷一つ負うことがない。
「……チッ、鬱陶しい筋肉だ」
ミカラムが、青白いエネルギー刃を両手に展開し、神速の踏み込みで1号の喉元を薙ぐ。
だが1号は、回避するどころか自らその刃に向かって分厚い胸板を突き出し、刃が肉に食い込んだ瞬間に筋肉を硬直させてミカラムの動きをコンマ一秒だけ拘束した。
「なっ……」
「……遅い」
1号の丸太のような左腕が、ミカラムの腹部を深く抉り込むように直撃した。
ドゴォォォンッ!!
衝撃波が背後に抜け、ミカラムの巨体が再び岩壁に向かって弾き飛ばされる。しかし、ミカラムも空中で体勢を立て直し、靴底を削りながら無傷で着地した。
ミカラムは、額に微かな汗を滲ませながら、サングラスの怪物を見据えた。
(この男……わざと力を抑えている。いや、互いの底を探っているのか。このまま私が本気を出さなければ、永遠にこの状態を維持する気か)
1号もまた、無言のままミカラムを観察していた。
(黒コート。まだ細胞を変異させていない。だが、基礎スペックはクロノスの側近に相応しい。……互いのお遊びというわけだ)
本気モードの『戦闘形態』になっていないミカラムと、筋力解放を50パーセントに留めている1号。二人の怪物は、周囲で虫けらのように人間が死んでいく状況下にあっても、冷徹に互いの「手札」を測り合う恐ろしいチェスゲームを続けていたのである。
やがて、山頂に谺していた銃声と絶叫が、一つ、また一つと消えていった。
「た、助け……」
這いつくばり、命乞いをする最後のパワードスーツのパイロット。その背中に、セラフィムが無慈悲に純白のブーツを振り下ろした。
グシャッ、という湿った音と共に、機体ごとパイロットの脊髄が粉砕される。
沈黙。
安嵩鴨ヶ岳の山頂は、吹き荒れる冷たい風の音と、機械が燃えるパチパチという炎の音だけが支配する、完全な死の世界へと変貌した。
裏ルートで大金をはたいて雇い入れた20人の非正規戦闘員は、一人残らず全滅した。パワードスーツの無惨な残骸が広範囲に散乱し、そこかしこから黒い煙が立ち上っている。
対するセラフィム10体は、一機の損失もないどころか、その純白の装甲に返り血の一滴すら浴びることなく、音もなくクロノスの背後へと帰還し、整列した。
圧倒的なワンサイドゲーム。神崎が用意した「時間稼ぎ」の駒は、クロノスたちにとっては文字通り、ただの退屈しのぎの標的に過ぎなかった。
クロノスは、足元に転がってきたパワードスーツの装甲の破片を、仕立ての良い革靴の爪先で軽く蹴り飛ばした。カラン、と虚しい音が響く。
「……ふぁあ」
そしてクロノスは、この凄惨な死体と鉄屑の山を前にして、大きく、ひどく退屈そうに欠伸をした。
精巧なゴールドの刺繍が施されたダークネイビーのロングコートを風に靡かせながら、彼は首をコキコキと鳴らし、両腕を頭の後ろで組んで大きく背伸びをする。
「いやぁ……長い前座だったね。映画で言ったら、まだタイトルロゴが出て、ダラダラと世界観の説明をしてるあたりかな。……正直、眠くなってきたよ」
クロノスの仮面の奥の瞳が、微動だにせず銃を構え続ける神崎と、その傍らで静かに筋肉の熱を逃がしている1号へと向けられる。
絶対的な死の空間において、クロノスだけがまるで休日の公園にでもいるかのような、異様で狂気じみた日常感を漂わせていた。
「どうやら、エキストラは全員退場しちゃったみたいだね」
クロノスが、面白半分に口角を上げた。その笑みは、ようやく訪れた「本番」に対する、純粋な捕食者の喜びだった。
「で?」
クロノスは、神崎と1号を交互に見比べながら、冷酷で澄んだ声で告げた。
「お互い、ウォーミングアップは終わりかね」
その言葉が、鴨ヶ岳の凍てつく空気を完全に一変させた。
偽りの拮抗、前座の茶番劇は終わった。ここから始まるのは、出し惜しみの一切ない、本当の怪物たちによる神話的な殺し合いである。
クロノスの合図に応えるように、神崎の右手が、ゆっくりとデザートイーグルの撃鉄を起こした。そして1号の肉体が、不気味な脈動を打ち始める。




