第66話:英雄の残骸と、悪魔の観劇
安嵩鴨ヶ岳の山頂は、耳をつんざくような爆音と、金属が激しく軋む絶叫によって、完全なる地獄の様相を呈していた。
「右翼展開! 弾幕を張れッ!!」
漆黒のパワードスーツ部隊を率いる小隊長の怒号が、通信機越しに響き渡る。
三機一組となった部隊が、岩場を蹴って立体的なフォーメーションを組み、白き御使い――セラフィムへと大口径アサルトライフルの火線を集中させる。毎秒数十発の徹甲弾が、暗闇を切り裂く光の雨となって純白の装甲に降り注いだ。
しかし、セラフィムたちは無機質な瞳を僅かにも揺らすことなく、重力を無視したような滑らかな軌道で弾幕をすり抜けていく。
「遅い」
美しくも冷酷な機械音声と共に、一体のセラフィムがパワードスーツの懐へと潜り込んだ。指先から放たれる高熱の粒子線が、分厚いチタン合金の装甲をバターのように溶かしにかかる。
「舐めるなッ!」
傭兵は間一髪でスラスターを吹かして後退し、両腕から青白いプラズマを纏った高周波ブレードを発生させ、セラフィムの首筋へと斬りかかった。
火花が散り、強烈な衝撃波が周囲の小石を吹き飛ばす。
裏社会から大金を積んでかき集められたプロの傭兵たちと、最新鋭のパワードスーツ。その連携と火力は凄まじく、神の代行者であるセラフィムたちを相手に、陣形を崩すことなく見事な拮抗状態を作り出していた。
だが、その死闘からわずかに離れた場所では、さらに常軌を逸した「怪物同士の遊戯」が繰り広げられていた。
ズガァァァァンッ!!
鴨ヶ岳の硬質な岩盤が、まるでビスケットのように砕け散り、巨大なクレーターが穿たれる。
「……チッ」
ミカラムが舌打ちをしながら、漆黒の外套を翻して後方へと跳躍した。彼の立っていた場所は、サングラスをかけた大男――1号の丸太のような右腕によって、完全に粉砕されていた。
「筋力解放、50パーセント」
1号の呟きと共に、彼の肉体が異様な蒸気を吹き上げる。異常に隆起した筋肉は、ただそれだけで一つの巨大な質量兵器であった。1号が大地を蹴るたびに、局地的な地震のような縦揺れが走る。
ミカラムは両手に青白いエネルギーの刃を形成し、一切の無駄がない神速の連撃で1号の死角へと斬り込んだ。しかし、1号は回避行動をとらない。分厚い大胸筋でエネルギー刃を強引に受け止め、被弾を前提とした重厚なカウンターの裏拳をミカラムの顔面へと叩き込む。
ミカラムが腕を交差させて防御するが、その圧倒的な質量の前に、彼の強靭な肉体すらも後方へと数十メートル弾き飛ばされた。
(この筋肉の塊……まだ全力を出していない。細胞の出力を抑え込んでいる)
ミカラムは靴底で岩を削りながら体勢を立て直し、冷静に1号のスペックを分析する。対する1号もまた、一切の感情を見せないサングラスの奥でミカラムを観察していた。
(この黒コート、本気の戦闘形態には変異していないな。……なるほど、互いにまだお遊びの段階というわけか)
戦場が爆炎と閃光に包まれる中。
そのすべての惨劇を、特等席の観客として眺めている男がいた。
アルカディアの絶対者、クロノス。
金色の髪を冷たい夜風に揺らし、感情を隠す無機質なマスクを被った彼は、精巧なゴールドの刺繍が施された重厚なダークネイビーのロングコートのポケットに両手を入れたまま、悠然と立ち尽くしていた。
彼に向かって飛んでくる流れ弾や、爆発で吹き飛んできた大岩は、彼を覆う不可視の重粒子シールドに触れた瞬間、すべて音もなく塵となって消滅していく。
神崎健人は、激しく動き回る戦場の中央に立ちながら、ただ一点、クロノスの仮面の眉間から愛銃の照準を外さずにいた。
「……お前も戦ったらどうだ、クロノス」
風鳴りと爆音を切り裂くように、神崎の低く冷徹な声が飛ぶ。
クロノスは、仮面の奥で呆れたように肩をすくめた。
「俺? 冗談。俺が今動いたら、このアクション映画、開始五分でエンドロールが流れちゃうじゃん」
クロノスは、激戦を繰り広げるパワードスーツ部隊を顎でしゃくった。
「せっかくおっさんが、全財産はたいてエキストラを集めてくれたんだ。ポップコーンでも食べながら、もう少しこの茶番を見させてもらうよ」
ズガァァァンッ!!
クロノスのすぐ横で、パワードスーツの一機がセラフィムの強烈な蹴りを腹部に受け、装甲をひしゃげさせて岩壁に叩きつけられた。中の傭兵が血を吐き出しながらくぐもった絶叫を上げるが、神崎の視線は微動だにしない。
「冷たいねぇ、神崎さん」
クロノスが、愉悦に満ちた声で笑った。
「あんたの言う『正義』とやらを守るために戦ってくれてる連中が、今まさに死にかけてるのにさ。助けに行かなくていいの?」
「彼らはプロだ。己の命に値段をつけてここにいる。俺が同情するいわれはない」
神崎の返答に、クロノスは「へぇ」とわざとらしく感嘆の声を上げた。
そして、ゆっくりと神崎の心を抉るように、言葉の刃を突き立て始める。
「変わったね、神崎健人。昔はもっと、青臭くて鬱陶しいくらい熱い男だったのにさ」
クロノスは一歩、神崎へと歩み寄る。神崎の銃口がピタリとクロノスの頭部を追従する。
「新聞記者気取って、真実を世の中に知らしめるんだとか、正義がどうだとか叫んでたあの熱血漢は、一体どこに行っちゃったの? 今のあんたのやってること、俺と何が違うわけ?」
クロノスは両手を広げ、周囲の惨状を示した。
「金で傭兵を雇って、自分は安全な場所から銃を構えてるだけ。彼らの命を、自分の復讐のための使い捨ての『玩具』としか思ってない。……結局、あんたも俺と同じ、空っぽの人間になっちゃったってことだよね」
神崎は否定しなかった。
図星を突かれたからではない。今の彼にとって、道徳や過去のプライドなど、クロノスを殺すという目的の前では塵芥ほどの価値もなかったからだ。
「……無駄口を叩く暇があるなら、遺言でも考えておけ」
神崎の冷たい返しに、クロノスはさらに意地悪く口角を上げた。
「そういえばさ、あんたの息子の勇樹くん」
その名が出た瞬間。神崎の右手が、ほんの僅かに、ミリ単位で銃のグリップを握り込んだ。
クロノスはその微細な変化を見逃さず、獲物を追い詰める蛇のように言葉を重ねた。
「聞いたよ。阿国――アトラス連邦の潜入部隊から、第一艦隊の『瑞穂武尊』を守るために、自ら爆弾を抱えて特攻して死んだんだってね」
クロノスは、まるで素晴らしい美談でも語るかのように、芝居がかった手振りで夜空を仰いだ。
「いやぁ、感動したよ。俺が作った『瑞穂』っていう箱庭の象徴を守るために、俺が定めた『名誉の戦死』っていう馬鹿げたルールに律儀に従って、瑞穂万歳って叫んで肉片になったんだから。最高の忠犬だよね」
「……」
「奥さんも、俺の洗脳で幸せな笑顔を浮かべたまま、あんたの手で殺された。息子は、俺の国のための捨て駒として綺麗に吹き飛んだ。あんたの愛した家族は、俺の玩具として完璧に機能してくれたよ」
クロノスの言葉は、鋭利なナイフのように神崎の鼓膜を切り裂いていく。
「ねえ、どんな気持ち? 自分が守りたかったものが、全部俺の手のひらの上でゴミみたいに死んでいった気分は」
クロノスは、神崎が激昂し、我を忘れて銃を乱射してくることを期待していた。
己の罪を突きつけられ、絶望に顔を歪ませる大人の顔を見るのが、彼にとって最高の娯楽だったからだ。
だが、神崎の口から漏れたのは、氷のように冷たい、静かな吐息だけだった。
「……勇樹は、自らの意思で生き、自らの意思で死んだ。俺が口を挟むことではない」
「へぇ……?」
「佳奈も、勇樹も、そしてかつての『英雄・神崎健人』も、すでにこの世には存在しない」
神崎の瞳の奥で、黒い炎が静かに揺れた。
「お前の薄っぺらい挑発で、俺が心を乱すと思っているなら大間違いだ、クロノス。俺の中にはもう、お前を殺すという目的以外、何の感情も残っていない。俺は空っぽだ。だからこそ……お前を確実に殺せる」
「……ふぅん」
クロノスはつまらなそうに鼻を鳴らした。
完全に壊れきった玩具は、突ついても面白い悲鳴を上げない。クロノスの目には、神崎がただの機能的な「殺戮マシーン」に成り下がったようにしか見えなかった。
「……まあいいや。せいぜい、最後まで楽しませてよ」
その時、背後でこれまでで一番大きな爆発音が轟いた。
パワードスーツ部隊とセラフィムの「偽りの拮抗」が、いよいよ崩れ去ろうとする決定的な音が、鴨ヶ岳の山頂に鳴り響いたのである。




