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第65話:開戦と偽りの拮抗、あるいは悪魔の観劇

「……やれ」

神崎の短く、一切の感情を排した号令が夜風を切り裂いた。

それが、鴨ヶ岳山頂を地獄の坩堝へと変える引き金となった。

「オオオォォォッ!!」

神崎の背後に控えていた20機の漆黒のパワードスーツ部隊が、一斉に背部のブースターを点火した。青白い推進炎が夜闇を焦がし、重装甲の巨体が嘘のような速度で宙を舞う。彼らは三機一組のフォーメーションを組み、それぞれが手にする大口径アサルトライフルと対装甲用バズーカの火線を、純白のセラフィムたちへと集中させた。

「排除します」

ミカラムの氷のような声が響く。

10体の白き御使い、セラフィムたちは、降り注ぐ弾雨を前にしても一切の乱れを見せなかった。彼女たちは背中の純白の装甲翼を展開し、まるで重力など存在しないかのような滑らかな軌道で空中へと飛び上がる。

ズドドドドドンッ!!

パワードスーツ部隊の放った無数のロケット弾が岩場に着弾し、凄まじい爆発と土煙が山頂を覆い尽くした。

しかし、煙の中から無傷のセラフィムたちが音もなく降下してくる。彼女たちの指先から放たれる高熱の粒子線が、パワードスーツの分厚い装甲を焼き焦がす。だが、裏社会のパイプを総動員して神崎が用意した最新鋭のスーツは伊達ではなかった。特殊コーティングされた装甲は粒子線をギリギリで弾き返し、傭兵たちは両腕に内蔵された高周波ブレードを起動させ、セラフィムの懐へと肉薄していく。

火花が散り、金属の軋む絶叫が山頂に谺する。

黒い重装甲と、白い流線型の悪魔。両者の戦力は、この時点では完全に拮抗していた。いや、数に勝るパワードスーツ部隊が、セラフィムを相手に互角以上の立ち回りを演じていたのである。

そして、その激戦のさらに中心で、次元の違う激突が起きていた。

「……行くぞ」

1号である。彼はサングラスの奥でミカラムの姿を捉えると、首をゴキリと鳴らした。

「筋力解放、50パーセント」

ゴアッ……!!

1号の全身の筋肉が異様な音を立てて膨張し、皮膚の下で太い血管がミミズのようにのたうつ。ただ筋肉が膨らんだだけではない。その肉体から放たれる圧倒的な質量の気配が、周囲の空気を重く沈み込ませた。

ダンッ!!

1号が踏み込んだ瞬間、鴨ヶ岳の硬い岩盤が爆発したかのようにクレーター状に陥没した。

「……チッ」

ミカラムは舌打ちをし、漆黒の外套を翻して迎撃の体勢をとった。

常人の目にはもはや残像すら映らない速度で、1号の丸太のような右ストレートがミカラムの顔面へと迫る。ミカラムはそれを両腕を交差させてガードしたが、50パーセントまで解放された1号の純粋な「暴力」は、ミカラムの強靭な肉体をも後方へと数十メートル弾き飛ばした。

ズサアアアアッ!と足元の岩を削りながら体勢を立て直すミカラム。

「筋肉の塊が。……少しはやるようだな」

ミカラムは両手に青白いエネルギーの刃を形成し、一切の無駄がない神速の連撃で1号へと斬りかかる。だが1号は、自らの肉体を斬り裂かれることを一切意に介さず、被弾を前提とした重厚なカウンターをミカラムへと叩き込んでいく。

肉が斬れる音と、骨を砕こうとする打撃音が交錯する。

本気の戦闘形態に変身していないミカラムと、50パーセントの力に抑え込んでいる1号。互いに底を見せず、相手の力量を測り合うような恐ろしく高度な殺し合いが続いていた。

戦場が爆音と閃光に包まれる中。

アルカディアの絶対者であるクロノスは、まるで特等席でアクション映画でも観賞するかのように、ダークネイビーのロングコートのポケットに両手を入れたまま、悠然と立ち尽くしていた。

彼に向かって飛んでくる流れ弾や瓦礫は、彼を覆う不可視の重粒子シールドによって、触れる前にすべて空中で塵となって消滅していく。

神崎は、激しく動き回る戦場の中央に立ちながら、ただ一点、クロノスの仮面の眉間から愛銃の照準を外さずにいた。

「……お前も戦ったらどうだ、クロノス」

風鳴りと爆音を切り裂くように、神崎の声が飛ぶ。

クロノスは、仮面の奥で呆れたように肩をすくめた。

「俺? 冗談。俺が今動いたら、この映画、開始五分でエンドロールが流れちゃうじゃん」

クロノスは周囲で死闘を繰り広げるパワードスーツとセラフィムを指差した。

「せっかくおっさんが、全財産はたいてエキストラを集めてくれたんだ。ポップコーンでも食べながら、もう少しこの茶番を見させてもらうよ」

ズガァァァンッ!!

クロノスのすぐ横で、パワードスーツの一機がセラフィムの強烈な蹴りを腹部に受け、装甲をひしゃげさせて吹き飛んだ。中の傭兵が血を吐き出しながら絶叫を上げるが、神崎は微動だにせず、クロノスだけを見据えている。

「冷たいねぇ、神崎さん」

クロノスが、愉悦に満ちた声で笑った。

「あんたの言う『正義』とやらを守るために戦ってくれてる連中が、今まさに死にかけてるのにさ。助けに行かなくていいの?」

「彼らはプロだ。己の命に値段をつけてここにいる。俺が同情するいわれはない」

神崎の返答に、クロノスは「へぇ」とわざとらしく感嘆の声を上げた。

そして、ゆっくりと神崎の心を抉るように、言葉の刃を突き立て始める。

「変わったね、神崎健人。昔はもっと、青臭くて鬱陶しいくらい熱い男だったのにさ」

クロノスは一歩、神崎へと歩み寄る。神崎の銃口がピタリとクロノスの頭部を追従する。

「新聞記者気取って、真実を世の中に知らしめるんだとか、正義がどうだとか叫んでたあの熱血漢は、一体どこに行っちゃったの? 今のあんたのやってること、俺と何が違うわけ?」

クロノスは両手を広げ、周囲の惨状を示した。

「金で傭兵を雇って、自分は安全な場所から銃を構えてるだけ。彼らの命を、自分の復讐のための使い捨ての『玩具』としか思ってない。……結局、あんたも俺と同じ、空っぽの人間になっちゃったってことだよね」

クロノスの嘲笑に満ちた言葉が、鴨ヶ岳の冷たい風に乗って神崎の耳に届く。

普通であれば、己の信念を全否定された怒りで我を忘れるか、あるいは図星を突かれて動揺する場面だ。

だが、神崎の瞳には、ほんの微かな揺らぎすら生じなかった。

「……その通りだ」

神崎は、感情の消え失せた声で肯定した。

「俺は、すべてを間違えた。正義も、真実も、守るべき家族も、すべてこの手から滑り落ちた。今の俺には、なんの価値もない」

神崎の足元で、佳奈の亡骸が静かに冷たくなっていく。

「だがな、クロノス。俺が空っぽの悪鬼に成り果てたのは、他でもない。お前という絶対的な『悪』を、この世から確実に消し去るためだ」

神崎の右手が、銃のグリップを強く握りしめる。

「俺はもう、生き残るつもりなど毛頭ない。お前を道連れにして地獄へ落ちる。そのためだけの怨念だ」

その重く、暗く、底知れない覚悟の言葉を聞いて。

クロノスは、マスクの奥の瞳を恍惚と見開き、腹の底から楽しそうに笑い声を上げた。

「くくっ……あっはははは! いいね、最高だよ神崎さん!」

クロノスは腹を抱えるようにして笑う。

「重いねぇ、暗いねぇ! でも、そういう一切の希望を捨てた絶望の顔、俺は一番大好きだよ。……あぁ、少しだけ、本当に少しだけだけど、最高の退屈しのぎになりそうだ」

パワードスーツとセラフィムの金属音が響き渡り、1号とミカラムの死闘が大地を揺らす中。

何もかもを失った復讐鬼と、すべてを玩具として嘲笑う悪魔の、狂気に満ちた問答はさらに熱を帯びていく。

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