第57話:狂気の壮行会と、神々しき処刑人
第一帝都高校の体育館は、異様な熱気に包まれていた。
壇上には、防衛予備隊として前線への召集がかかった生徒たちが並び、全校生徒からの割れんばかりの拍手を浴びる『学園壮行会』の主役となっていた。
彼らの中には、恐怖と不安で涙を堪えきれない者もいる。そして見送る側にも、召集された者の親友や恋人たちが、ハンカチで口元を押さえて泣きじゃくっていた。
そんな悲痛な空気の中、一人だけ異質な熱を帯びている少女がいた。
「泣くことなんてないよ! これは、瑞穂国のために戦う最高の名誉なんだから!」
紀伊国屋優子だった。彼女は、涙を流す生徒たちを捕まえては、熱心に国への忠誠と戦死の誇りについて力説して回っていた。
「お兄ちゃんたちも、瑞穂の礎になれることを心から喜んでる! 悲しむなんて、国のために命を懸ける彼らへの冒涜だよ!」
それは、昨夜の密室で司に吹き込まれた「狂気の論理」そのものだった。
優子自身は本心から彼らを励まそうとしているのだが、血の通っていないプログラムのようなその瞳と極端な発言に、周囲の生徒たちは完全にドン引きしていた。本気でそんなことを口走ること自体、平和な時代に育ったこの世代の人間には考えられないからだ。
教員たちでさえ、表向きは彼女の言葉に同意しつつも、どこか腫れ物に触るような、薄ら寒いものを見る目を向けていた。
一方、司の周りには、今回召集がかかった同級生たちが縋るように群がっていた。司がかつて『蒼半島戦』を生き抜いた英雄であることは、すでに学園中の周知の事実だったからだ。
「御堂……! 前線って、やっぱり地獄なのか……?」
震える声で質問してくる同級生に、司は完璧な『優等生の仮面』を被って優しく微笑みかけた。
「大丈夫だよ。僕の時も、本当はすごく怖かったし必死だったけど……予備隊に回されるのは安全地域での後方支援任務がほとんどだからさ。死ぬなんてこと、絶対にないよ」
司の温かい言葉に、生徒たちは目に見えて安堵の息をつき、「そ、そうだよな!」「ありがとう、御堂!」と涙ぐみながら笑い合った。
(……まぁ、今回の戦争の規模なら、君たちのほとんどは名誉の戦死だろうけどね)
司は心の中で、冷酷に笑っていた。
安心しきった顔で自分に感謝する彼らは、誰一人として知らないのだ。彼らが相談し、神のように崇めているこの完璧な優等生こそが、この第三次世界大戦を『ただの暇つぶし』で引き起こした張本人であるという事実を。
***
それから2ヶ月。
機械兵器vs生身の人間という地獄の構図の中、瑞穂軍は『機械化部隊』と『世界最強の海軍』を擁し、南方を中心に領土を爆発的に拡大し続けていた。負けなしの快進撃は、もはや止まることを忘れた暴走機関車のようだった。
だが、大鷹宰相はこの異常な領土拡大を「危険」と判断し、絶対防衛圏の構築と『侵略から防衛への転換』へと舵を切ろうとしていた。
しかし、これに猛反発したのが、現在の閣僚内で最大の実力者である海軍大臣・乃木宏樹であった。乃木は、元々の『暁のXデー』のメンバーではなく、純粋に実力だけでこの地位に上り詰めた、軍国主義の申し子のような男だ。
皮肉なことに、乃木の主張する「拡大路線」は、かつて大鷹自身が叫んだ革命の『大義名分』そのものであった。大鷹の強硬な教育方針が、乃木という若き怪物を生み出してしまったのだ。
乃木の強烈な正論に押され、大鷹は初めて、自らの内閣を自らの意識で制御できなくなってしまったのである。
***
「――お困りのようですね、ご老体」
アルカディアの執務室から、クロノスはハッキングを通じて大鷹宰相の極秘通信回線へとコンタクトを取った。
防空シェルターの生命維持装置に繋がれた大鷹は、動揺することなく、静かに、そして優しい口調で返した。
『……クロノスか? いや、司君と言った方がいいかな?』
神崎からすでに正体についての報告を受けているであろうと予測していた司は、特に驚きもせず、仮面の奥で薄く笑った。
「どちらでも構いませんよ。ところで大鷹宰相、一つ取引をしませんか? 私が、あなたの政敵である『乃木宏樹』を猟犬にて仕留めましょうか?」
『……で見返りは?』
「特にありませんよ。お年寄りに親切にするのは、若者の務めですから」
司は、これ以上ないほど人を馬鹿にした口調で笑った。
大鷹は、静かに目を閉じてから、余裕のある声で返した。
『……であれば、この大戦を止めることの方が、年寄りへの親切ではないかな? 司君』
「ムカつく爺さんですね。交渉決裂ですか?」
『君のような悪魔に助けられるほど、私もまだまだ老いぼれてはいないつもりだ』
大鷹の声に、かつての革命の英雄としての威厳が宿る。
『この国を変えた人間として、最低限の国民の犠牲でこの戦いを終わらせなければならない。……乃木は、アトラス連邦との全面衝突を恐れず、さらに羅州への同時侵略まで目論んでいる。これでは犠牲者が増えるばかりだ』
大鷹は、深く息を吐いた。
『私は、この国が最低限維持できる資源が確保できた今こそ、引き際であると考えている。……そのためには残念だが、乃木君には死んでもらうしかない。瑞穂の、未来のために』
大鷹とクロノスが通信でそんな会話を交わしていた、まさにその時。
神崎率いる精鋭の特殊工作員50名が、乃木を暗殺すべく、彼の宿舎への奇襲作戦を実行していた。
音もなく扉を爆破し、乃木の寝室へと雪崩れ込む神崎たち。
しかし、そこにターゲットの姿はなかった。
代わりに、アンティークの椅子に深く腰掛け、鋭角のサングラスをかけた男が一人、静かに彼らを待ち受けていた。
「ご苦労だったね、神崎」
かつて一番の仲間であった村上――ミカラム・レクイエムは、労いの言葉をかけた。
「その老いた身体でここまでの潜入は疲れただろ? 君たちが入りやすいように、警備は手薄にしておいたがね」
「……村上さん、目を覚ましてください!!」
神崎はアサルトライフルを構えながら、悲痛な声で叫んだ。
「あなたほどの人なら、司ごときの洗脳は解けるでしょう!? あいつはいまや、昔の李鉄海以上の『敵』ではないですか!!」
「……李、か。懐かしい名前だ」
ミカラムは立ち上がり、静かに首を振った。
「あの男も結局、己の実力以上のものを求めて殺された愚かな男だよ。神崎、君も同じだ。私や大鷹によって作られた『英雄』は、飾り物として黙っていればいいのだよ。既に大鷹の時代は終わった。これからは、クロノス様こそが真の正義なのだ」
「それが分からない君は、もう英雄失格としか言えないな」
ミカラムの冷徹な殺気に、神崎の生存本能が「逃げろ」と警鐘を鳴らした。
「……逃がしはしないよ」
ミカラムが鋭角のサングラスを外す。
そこには、黄金に光り輝く恐るべき瞳があった。
次の瞬間、ミカラムの肉体が限界を超えて肥大化し、衣服の形状がそれに合わせて変形する。額からは神々しい角が伸び、背中からは『白き御使い(セラフィム)』に似た、光り輝く巨大な翼が展開された。
悪魔の科学によって生み出された、神々しくも冒涜的な変異形態。
「迎撃しろォォッ!!」
神崎の号令と共に、50人の精鋭工作員が一斉に銃闘術でミカラムへと襲いかかる。
しかし、結果は一方的な『蹂躙』だった。
ミカラムは、元々の洗練された銃闘術の技術に、人間を遥かに超越したスピードと破壊力を上乗せし、文字通り一瞬のうちに50人の精鋭たちをすべて肉塊へと変えてしまったのだ。
血の海となった部屋の中央で、ミカラムが神崎の前に立ち塞がる。
神崎は、ライフルを取り落とし、すでに抗うことを諦めていた。昔の若き頃であれば、恐怖で尻餅でもついて命乞いをしていただろう。だが、彼もまた変わっていたのだ。
「……ふっ。昔のお前なら、既にそこで命乞いでもしていただろうな。お前も、変わったということか」
ミカラムは、神崎のその静かな瞳を見て、かつての親友としての微かな笑みを浮かべた。
「クロノス様からの伝言だ。……『まだあんたが死ぬと面白くない。今日はスパッと、腕一本で終わりだ』とのことだよ」
言うが早いか、ミカラムは高速で神崎の懐に飛び込み、自らの左腕を日本刀のような鋭利な刃に変形させ、神崎の『左腕』を肩の付け根から一息に斬り落とした。
「ガァァァァァァァッ!!」
激痛に神崎が絶叫し、その場に崩れ落ちる。
血だまりの中でのたうち回る神崎を背に、ミカラムは翼をしまい、再び人間の姿へと戻った。
(……クロノス様。あなたのお心のままに、私は動きます)
ミカラムは、サングラスをかけ直し、静かに部屋を出る。
(しかし……私は、あなた様の心の内にある『底なしの悲しみ(虚無)』を……)
その瞳には、洗脳された操り人形にはあるはずのない、どこか哀れみのような、悲しそうな色が微かに浮かんでいた。
***
同時刻、アルカディアの執務室。
「――だそうだよ、乃木先生」
クロノスがPCのモニターを見ながら笑うと、その後ろで、死んだはずのターゲットである『乃木宏樹』が腕を組んで立っていた。
『……な、どういうことだ!? 乃木君、なぜ君がそこにいる!!』
通信の向こうで、大鷹が驚愕の声を上げる。
「瑞穂のためを考えれば、当然の同盟ですよ、大鷹宰相」
乃木は、冷酷な目で通信機を見下ろした。
「彼がいなければ、エネルギー問題も食料問題も解決していませんし、今の瑞穂の大進撃もできなかった。つまり、閣下の掲げた『瑞穂の繁栄』という理念を最も忠実に実行しているのは、クロノス君ということになります。……大鷹閣下、あなたの時代はもう終わったのですよ」
『乃木君! 君はまだ若すぎる!』
大鷹は、最後の力を振り絞って説得を試みた。
『瑞穂を彼のような悪魔に任せては、決していけないのだよ! 私たち暁のクーデターは、世界を破滅させるためではなく、瑞穂や世界の安定のために行ったことだ。こんな破滅の世界をつくるための行動では、決してないのだよ! 何故君はそれが分からないのかね!? 君のような――』
「あー、もう」
カチャッ。
クロノスは、心底退屈そうにため息をつき、手元のキーボードのエンターキーを軽く叩いた。
『――う、ぐ、ぐぁ……ッ!?』
通信の向こうで、大鷹の苦悶の声が響く。クロノスのハッキングにより、大鷹の命を繋いでいた防空シェルターの生命維持装置が、完全に停止させられたのだ。
「爺さんは、ほんと話が長くて飽きちゃいました」
通信から大鷹の生体反応が消えたのを確認し、クロノスは仮面の奥でニヤリと笑った。
「さあ、乃木先生。これからは……先生の時代ですよ」
悪魔のささやきに、新たな独裁者が歓喜の笑みを浮かべる。
こうして瑞穂国の中枢は、完全にクロノスの掌握する「絶望の箱庭」へと作り替えられたのであった。




