第29話:英雄の茶番劇と、玉座の亡霊
次の朝。俺(御堂司)はいつものように制服を着て、朝食の席についていた。
父も母も、まるで宝物でも見るかのように、昨日よりも一層誇らしげな眼差しで俺を眺めている。
ピーンポーン。
その時、いつものようにチャイムが鳴った。紀伊国屋優子が迎えに来たのだ。
「じゃあ、行ってくるね」
両親に爽やかに挨拶をして玄関を出ると、優子は昨日のキスを思い出したのか、顔を限界まで真っ赤にして俯いていた。
(……朝から発情してんのかよ。ウザいなぁ)
内心で盛大に毒づきながらも、俺は完璧な笑顔を作った。
「優子ちゃん、おはよう」
「お、おはよう……司くん……っ」
優子はさらに顔を赤くして、消え入りそうな声で答えた。
(青春ってやつは、どうしてこうも退屈で面倒くさいんだろうな)
俺は心の中でため息をつきつつ、昨晩ネットで調べておいた『女子中学生に人気のスイーツ』や『流行りのアイドル』の話題を口に出し、少しずつ彼女の緊張をほぐしていった。
そして、頃合いを見て、彼女の小さな手をそっと握りしめた。
「あっ……みんなに、見られちゃうよ……?」
「気にしないよ。それに……今日は優子ちゃんと、手をつないで登校したかったんだよね」
少し照れたような、最高の「純情な少年」の笑顔を向けると、優子は嬉し恥ずかしそうに頷き、手を振り払うことなく俺の歩幅に合わせて歩き出した。
***
校門前に到着すると、そこには異様な光景が広がっていた。
学校中の生徒、教師、そして校長までもがズラリと並び、俺を待ち構えていたのだ。十五歳にして最前線で国家勲章を授与された「奇跡のヒーロー」を、一目見ようと集まったらしい。
その異様な熱気に気圧されたのか、優子は顔を赤くして慌てて俺の手を離した。
(うわぁ……馬鹿がいっぱい集まってんなぁ)
俺は内心で嘲笑しながらも、全校生徒に向けて、優等生らしく深く一礼して見せた。
「おお、我が校の誇り! 御堂司君!」
校長が涙ぐみながら駆け寄ってきて、俺の手を両手で握りしめた。
「君の偉業はすでに教育委員会からも通達が来ている! これから臨時の全校集会を開くので、ぜひ生徒たちに『前線での体験談』を語ってくれないか!」
(うっわ、めんどくせぇ……)
だが、断る理由もない。俺は「僕でよろしければ」と謙虚に頷いた。
体育館の壇上に立ち、全校生徒の尊敬の眼差しを浴びながら、俺は『演説』のスキルを軽く解放した。
とはいえ、俺自身はクロノスとして最前線で敵兵を肉片に変え、要塞ごと更地にしただけなので、「安全な後方支援での苦労」など知る由もない。
「えー……戦場は、想像を絶する過酷な環境でした。私は物資の運搬や、負傷兵の皆様の包帯を替える手伝いをしていましたが……時折、頭上をかすめる榴弾砲の音に、足がすくむこともありました」
俺は適当に考えた『後方支援のテンプレエピソード』を、いかにも悲痛な声で語り始めた。
「ですが、そんな恐怖の中でも、瑞穂の未来を守るために命を懸ける兵士の方々の背中を見て、私は勇気を振り絞りました。弾薬箱が重くて手が擦りむけても、泥水しか飲むものがなくても、決して諦めませんでした」
嘘八百の苦労話に、生徒たちの目からポロポロと涙がこぼれ始める。
「瑞穂の繁栄は、偏に大鷹宰相閣下のご指導の賜物です。私もこれからも瑞穂のために自ら学び、身体を鍛え、国に貢献していきたいと思います。ありがとうございました」
カンストした演説スキルが乗ったその言葉に、体育館は感動の渦に包まれ、校長も教師もハンカチで顔を覆って号泣していた。
(……ほんっとに、くだらない退屈な時間だ)
俺は感動的な一礼をしながら、早く昼休みにならないかということだけを考えていた。
***
昼休み。いつものように屋上で優子と弁当を食べていたが、彼女はひどく元気がなかった。
「優子ちゃん、どうしたの? ご飯、進んでないよ」
俺が優しく声をかけると、優子の目からポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「だって……司くんが、どんどん遠くに行っちゃう気がして……っ。私、司くんと離れたくないよぉ……ッ」
ヒーローとして祭り上げられる俺を見て、不安になったのだろう。
「そんなことないよ」
俺は甘い声で囁きながら、ポケットから『わざと泥水と血のり(偽物)で汚してボロボロにした、優子の手作りお守り』を取り出して見せた。
「……あっ、それ……!」
「優子ちゃんのこのお守りのおかげで、何度も命が助かったんだ。俺の活躍は、全部優子ちゃんのおかげなんだよ」
そう言って優子を強く抱きしめ、彼女の汚れていない綺麗な唇に、俺の唇を重ねた。
「愛してるよ、優子ちゃん」
耳元で甘い猛毒を囁くと、優子は真っ赤になりながら、ようやくいつもの純粋な笑顔を取り戻した。
――ピリリリリッ。
その時、俺のスマホが空気を読まずに鳴り響いた。液晶には神崎の名前。
(……タイミングの悪いおっさんだなぁ)
舌打ちを堪えながら電話に出ると、「司。今日学校が終わったら、すぐに諜報局へ来い」という短い命令だけが告げられ、一方的に切られた。
「誰からだったの?」と首を傾げる優子に、俺は困ったような笑顔を向けた。
「ごめんね、優子ちゃん。戦場で一緒に戦った人たちの、歓迎パーティーがあるらしいんだ。今日は一緒に勉強して帰れなくなっちゃった」
「ううん、全然大丈夫だよ! 楽しんできてね!」
優子の無邪気な笑顔を見送りながら、俺は内心でどす黒い感情を吐き出していた。
(神崎の野郎、今度は何を押し付ける気だ。くそめんどくせぇ……)
***
放課後。諜報局に到着した俺は、すでに『クロノス』の姿へと変身していた。
「今日はいったい何のご用でしょうか? 局長様」
嫌味たらしく尋ねる俺に、神崎は苦々しい顔で答えた。
「大鷹宰相閣下が、貴様に直接お会いしたいとのことだ。これから首相官邸に向かう」
神崎と共に高級車に乗り込み、帝都の中心にある首相官邸へと向かう。
戦後に建て直されたというその官邸は、もはや要塞を通り越して『宮殿』のような豪奢な作りだった。
(庶民は軍備拡大の重税で苦しんでるってのに、こんな悪趣味な宮殿に住んで何が『救国の王』だか。だいたい、もうくたばり損ないのクソジジイに会って何が楽しいんだよ)
宮殿の最奥、だだっ広い謁見の間に通された俺は、一人で退屈な時間を潰していた。
やがて、重厚な扉が開き、大鷹宰相が数名のSPを引き連れて入ってきた。
その足取りは年齢を感じさせず、肌のツヤも異様に良く、まるで不老不死のようだった。
「クロノス君。今回の活躍、瑞穂の国の長として大変感謝している。ご苦労様であった」
威厳に満ちた声が響く。
「これから君には、瑞穂においてどんな望みも叶えられるほどの『特権』を与えよう」
だが、俺はその言葉を完全に無視し、コツ、コツ、と大鷹宰相に向かって歩み寄った。
「止まれッ!! それ以上近づけば撃つぞ!!」
SPたちが青ざめた顔で銃を構え、警告を無視した俺に向けて無数の弾丸を撃ち込んできた。
ダダダダダダッ!!
だが、俺はカンストした能力で銃弾の軌道を全て読み切り、欠伸をしながら歩みを止めず、すべての銃弾を紙一重で躱しきった。
そして、SPたちが唖然とする中、大鷹宰相の目の前に立ち、その肩へと手を伸ばした。
――スカッ。
俺の手は、宰相の身体に一切の感触を得ることなく、空を切った。
「……やっぱり。随分と精巧に作られた『ホログラム』みたいだねぇ」
俺は仮面の下で冷たく嗤い、幻影の宰相を通り抜けて、玉座の背後にある「隠し扉」へと手をかけた。
「や、やめろ貴様ッ!!」
SPたちの絶叫を無視し、俺は力任せに分厚い鋼鉄の扉をこじ開けた。
そこに広がっていたのは、宮殿とは不釣り合いな、無機質な医療カプセルが並ぶ部屋。
そして中央の巨大な円柱状の水槽の中には、おびただしい数の生命維持装置のチューブに繋がれ、培養液の中に浮かぶ「ミイラのように干からびた老人の肉体」があった。
それが、瑞穂の絶対権力者・大鷹宰相の真の姿だった。
『……なぜ、分かったのかね?』
部屋のデジタルスピーカーから、合成された宰相の声が響いた。
「勘ですよ、勘」
俺は肩をすくめた。
「それにしても……なぜそこまでして『生』にしがみつくんですか? 培養液漬けになってまで」
『……この国は、まだ未発達だ。私が、この国を完全なる姿に導くために、生き続けなければならないのだよ。もう私には、その目標しか残されていない。だからこうして、無様な姿を晒してでも生きようともがいているのだ』
スピーカー越しの声には、狂気にも似た執念が宿っていた。
だが、その国のトップの重すぎる覚悟を聞いても、俺の心には欠片ほどの感情も湧かなかった。
「……あっそ。つまらなそうですね」
俺は心底退屈そうに笑い飛ばした。
「まぁ、俺には関係ないことなんで。ここで見たジジイの姿は公言しませんよ。……どっちにしろ、俺を殺せるような面白い刺客でも送ってくれるなら言いふらしますけど、そんな奴、この国にはいないでしょうしね」
俺は背を向け、扉に向かって歩き出した。
「せいぜい頑張って、いい国ってやつを作ってくださいよ。また戦力が必要になったら呼んでください。ちょっとは『暇つぶし』になるんで。よろしくっす」
俺は唖然とするSPたちを残し、悠然と首相官邸を後にした。
外で待機していた神崎が、血相を変えて詰め寄ってくる。
「貴様! 中で何もしなかっただろうな!?」
「もちろんですよ。ちょっと世間話をしただけです」
俺は軽く手をひらひらと振りながら答えた。
(……あーあ。今日も一日、ほんっとに退屈な日だったな)
俺は帝都の夜空を見上げながら、次に現れるであろう「少しはマシな玩具」の存在を待ちわびていた。




