5-6
蒼の森は大きく分けて、外層、中層、深層に分かれている。
明確な区分がある訳ではないが、境界線と言うべき地帯を抜けると格段に危険度が跳ね上がるので、否応無く理解できた。
前世の記憶を持つ俺にしてみれば、ゴブリン達の住む外層ですら十分人外魔境だ。
草食動物の筈のリスやウサギですら他の動物を襲って肉を食い、魔獣なんてバケモノも存在するんだからな。
中層は外層と比べても遥かに危険度が高く、油断していれば植物にすら襲われて殺されかねない。
深層の事を知るまでは、それが蒼の森の恐ろしさだと勘違いしていた。
だが森の深層は、外層や中層とは桁違いに異質な場所だった。
集落を出てから三日間自転車を走らせて深層に到達したが、三日目の昼頃から深層に近づくにつれて空気が重くなるような違和感を感じていた。
最初は気のせいかと思っていたのだが、移動の時に使っていた魔法の負荷が軽くなっている事に気がつき、周囲の空間を『自在工房』で解析してみたら、予想通り高濃度の魔力が漂っていた。
リサと契約した前任者達の中には蒼の森の奥深くにまで入り込んだ変人もいたので一応深層についての知識も得てはいたが、実際に空気中にまで高濃度の魔力が満ちている状況を目の当たりにしてみると、酷く場違いな場所に来てしまったかのような不安を感じた。
魔力自体は全ての生き物が持っているし、微量であれば無機物に宿っていた事もある。
しかし、何の用意も無く魔力を放出すればあっと言う間に霧散し確認できないレベルにまで希薄化してしまう筈なのに、それが中層に生息する魔獣クラスの魔力濃度で空気中を漂っているのだから、どれだけ異常なのか分かってもらえるだろう。
三日目の夜は、ショウトラに見張りをさせて安全を確認したと言うのに、木の上で寝ようとしても一切眠る事ができなかった。たぶん、周囲に満ちる濃密な魔力の気配に神経が過敏に反応してたんだと思う。完徹したってのに朝になっても全然疲労を感じないんだから、どんだけ興奮してんだよって話だよなぁ。
そもそもダークエルフでさえ深層には近づかないと言うのに、ゴブリンの俺がこんな所に来ているのがすでに無茶なので、そうなるのも仕方が無いのかもしれない。
四日目、深層を探索する。
蒼の森の深層は、大地そのものから染み出すような魔力があらゆる生き物を変質させ、空間すら歪ませていた。
草木が軒並み巨大化している所為で自分が縮んだかのような錯覚を感じる程度なら笑い話だが、木々の発散する揮発成分の中には様々な毒性を示すものがあったり、地面に生えている何の変哲も無い草ですら油断をすれば絡まって哀れな獲物を縊り殺したりもしていたし、攻撃的な進化をした動物達は魔法式を持たないってだけで中層の魔獣並みの魔力を宿し、魔法式を持たない分それ以上に身体能力が強化されていて油断をすれば俺でも梃子摺るレベルだった。
空間の方もきちんと測定された訳ではないらしいが、森の深層部は蒼の森全体より広いようだ。
自分で言っておいて何だが、理解しがたい話だ。
しかし深層に入った者達の話を総合するとどう考えてもそう言う計算になってしまうと、前任者が深層に入る為の計画を立てる時に悩み。そして実際深層に入ってみれば、聞いた話どおりに空間は歪んでいて何日も彷徨う羽目になっていた。
それでも無茶をするだけあってバイタリィは異常なほどで、彷徨いながらも森の深層を満喫している辺り、やはりリサの契約者として相応しい人物ではあったが。
お陰で前任者……、名前をルーテシアと言うんだが、ルーテシアの深層に対する知識はかなりのモノだ。
特に魔獣の素材を原材料とした魔法の道具の製作者と言うのもあって、深層の魔獣はほぼ全て調べ上げられ、深層の最奥に住むと言う幻獣の戦う姿すら目にしていた。
まぁルーテシア自身は戦闘能力が皆無だったので、隠蔽用の道具で身を隠し、観察用の道具で離れた場所から隠れて見ていただけではあるが。
それでも持ち帰ったその情報の値打ちは極めて高く、深層の探索に協力したオーガ達にも感謝されていたりする。
なにしろ、ルーテシアと一緒に深層に入り魔獣を狩っていたオーガは全員が幻獣に消し炭にされてしまったから、ルーテシアから話を聞くしかなかったんだよなぁ。
ルーテシアは一人で森の深層を彷徨いながら何とかオーガの集落にまで帰り着き、一連をオーガ達に報告し、後にルーテシアの作った対幻獣用の装備を身につけた若きオーガが幻獣を討伐したりもするんだが、まぁ今は関係ない話だな。
なにしろ材料が足りないので、対幻獣用の装備が作れなかったからなぁ。
魔獣用の対策は幾つも用意してきたし、幻獣対策も無くは無いんだが、桁違いに強力な相手なので保険の意味合いが強い。
もし幻獣に出会う事になったら、適当に相手をしてから隙をついて逃げるのが得策だろう。
俺は『風使い』を使って音と臭いを漏らさないように気をつけつつ、姿隠しの外套で身を隠しながら、魔法の靴の力で空中を走って移動している。
高濃度の魔力が満ちている所為か、深層では魔法を使ってもあまり疲労感が無かったのでできた事だ。
でなければ、さすがに四六時中『風の結界』を維持し続ける事はできなかっただろう。
ちなみに魔法の靴だが、魔法式が読めるようになってから確認したところ、叫兎の小剣と同じ様に魔法式が破損していた。
しかし魔法が上手く発動しない原因がわかっても、魔法式の残っていた空跳び栗鼠の皮は全て靴に融合してしまったので修復は不可能だった。
それで後回しになっていたのだが、集落を出る数日前にゴブリンの狩人が空跳び栗鼠を捕まえてきたので、魔法式を上書きしたら空中を地面と同じ様に歩く事が可能になった。
前に魔力の量が関係しているんじゃないかと仮説を立てていたんだが、間違っていたようだ。
――で、今更なんだが何でこんな所にまで来たのかと言えば、黒戦槌の調整が上手くいったので、その試し切りの為だったりする。
それに、前任者の記憶から得られた知識で作りたいモノの一つに、魔力の高い生き物の死骸が必要だったのもある。
ついでに素材も色々採取したかった。
深層には魔力が満ちている所為か、そこら辺に生えている外では何の変哲の無い草や木の中にも、魔法の道具に使えそうな素材が山ほどあるんだよな。
だが、まぁ、なんだ。
自分でもこんな最高危険地帯に来る理由としてはどうかなぁ、と思わなくも無い理由で森の深層にまで足を運んだのは、色々と溜まっていた所為かも知れない。
トーラスの街では不完全燃焼な事が多かったし、集落に戻ってからもそれを引きずっていて、今一すっきりとしなかったんだよなぁ。
肝試し感覚で来るには危険すぎる場所だが、やはりこのひりつくようなスリルは癖になる。
それでも死ぬつもりは無いので、逃げる準備は万端だがな。
少なくとも、この距離なら『外部記憶』と『直通回線』の有効範囲のようなので、最悪の場合でも何とかなる。……と思う。
・
手当たり次第に素材を採取した後、安全を確認しながら森を奥へと移動していると、やがて、丁度良い獲物に出会う事ができた。
戦闘の音に釣られて移動し、枝の間から見下ろすと、クマの魔獣が食事中だった。
戦いは俺の到着する前に終わり、今は倒したばかりの獲物で食事をしている最中なのだろう。
大きさは中型のトラックくらいか。
恐狼よりは一回り小さいが、それでも全身を金属の質感を持つ鎧甲で覆った姿は俺の知るクマではない。
名前は鎧熊。
鎧熊は全身に強靭な生体鎧甲を生成する固有魔法を持つようだが、その魔力の強さによって覆う範囲が変わるらしい。
目の前の鎧熊はほとんど全身を鎧甲で覆っているので、かなり高レベルの魔力を持つ鎧熊なのだろう。
攻撃力で牙猪に劣り、速度と行動範囲では恐狼に劣るとは言え、見た目通り防御力は深層でも最高クラスである。
劣っていると言っても攻撃力と速度も中層の浅い場所で相手をしてきた魔獣なんかとは桁が違うので、あの鎧熊に勝てるのなら、他のどんな魔獣にでも勝てる筈だ。
試し切りの相手としても、道具の素材としても、最高の相手だな。
幸いな事に鎧熊はまだお食事中のようだし、ここは入念に準備をさせてもらおうか。
・
俺は武道を習ったり格闘技の経験がある訳じゃあないが、戦い方や殺し方には興味があったので、その手の本や動画なんかを見て、少しばかり研究をした事がある。
更にこの世界で何度も野生動物や魔獣と戦う事で、前世で得た知識の中で使える知識と使えない知識の取捨選択もできた。
お陰で何とか生き残ってこれたが、前の世界でもこの世界でも通用する真理が一つ、理解できた気がする。
それは“先制攻撃で相手を完膚なきまでに叩きのめせば確実に勝てる”と、言う事だ。
逆に言えば、どちらも相手を殺傷できるだけの攻撃力があるのなら、片方が圧倒的な有利な状況であったとしても勝負の行方は分からないだろう。
例えば歩兵相手に無双していた戦車が、携帯ロケットランチャーの一発で大破するなんて動画も前世では見た事があるしなぁ。
それどころかラッキーパンチで勝敗が決したり、苦し紛れの攻撃が相手の急所に当たって逆転したり、様々な偶然が重なって大番狂わせが起こり最弱チームが大きな大会で優勝したなんて話も、ネットじゃ転がっていた。
負けた方も最善を尽くさなかった訳では無いのだろうが、それでもあらゆる面で勝っている方が勝つとは限らないのが現実だ。
だからこそ、戦闘が始まる前に勝敗を決する事ができる先制の一撃は、最も重要な攻撃になる。
まぁ理想論がそのまま通用すると言う事も滅多に無いが、それでも先に大きなダメージを入れる事ができれば戦闘を有利に進める事ができるのは間違い無い。
ゲームと違って現実は、ダメージを受ければその分行動に支障が出るしなぁ。
しかし…………。
まぁ、なんだ。いざヤルとなると、ちょっと、腰が引けるな。
準備は入念にしたとは言え、相手は恐狼と同格の魔獣だ。
本当に、黒戦槌が通用するんだろうか?
防御力の劣る恐狼にさえ、暴狼の投槍は弾かれたし、切裂き兎の小剣も皮一枚を切るのがやっとだった。
もちろん黒戦槌が効かなかった時の備えもしてあるから、効かなかったら即詰むと言う訳じゃあない。
だが鎧熊の姿を見ていると、どうにも襲い掛かってくる恐狼の姿が思い出されて気持ちが挫けてきた。
先制で一撃入れりゃあ格段にコチラが有利になるのが分かっているのに、背中を向けて食事に夢中になっている鎧熊の無防備な姿を見ているだけで、もう試し切りはやめて帰ってしまっても良いんじゃないかと思えてくる。
――――イヤ、帰る前に一つ試してみるか。
ついでに、実証実験もしておきたいので丁度良いと言えば丁度良い。コイツは自分で使った事がなかったので、一度戦闘中に使ってみる必要もあったしな。
何しろ、絶体絶命の状態で強敵と戦う必要がある時に使う事を想定したモノだから、半端な相手に使っても意味が無いんだよなぁ。
最悪戦えなくなるような事態になる危険性もあるが……。
その時は『亜空間倉庫』に隠れて効果が消えるのを待てば良いだろう。
『亜空間倉庫』から小さな包みを取り出して、その中身を思いっきり吸い込むと、脳味噌が一回ドクンと跳ねた。
頭の中を、ミント風味の炭酸水で洗い流したような爽快感が走る。
体の奥底から、冷たく熱いナニカが体中を駆け巡っていく。
最初の変化は耳に来た。
普段は意識していない無数に交じり合った音の洪水が、今なら一つ一つはっきり認識できる。
次は目だ。
ついさっきまで薄暗かった森の中が妙に明るい。
さらにカメラのピントが合った時のように、世界が色鮮やかに見え、輪郭がはっきりと分かるようになった。
息を吸うと、大気に含まれている臭いの成分が鼻の奥をこするのが分かる。
体を動かせば、骨格の動きどころか筋繊維一つ一つの伸び縮みまで感じられる様な気がした。
ハハハハハハ!
全身に、活力が漲る!
さっきまでの弱気が嘘のようだ!
この高揚感は癖になりそうだが、幻覚や酩酊したような感覚は特に感じられない。
一応マコラに使わせて安全性は確認しておいたが、これならどんなに体調が悪い時でも最高の戦闘能力を発揮できるだろう。
しかし、こんな興奮状態で戦っていればナニカをやらかす可能性もあるので、緊急事態でもなければ二度と使う気は無い。
元々絶体絶命の状況でもなけりゃ、使う予定の無い薬だったしな。
さぁて。そんじゃ、そろそろ行きますか。
深呼吸をして筋肉中に酸素を取り込み、肺の中の空気を吐ききった後、『風使い』で自分の周囲に真空状態を作り出す。
そのまま鎧熊に向かって落下しつつ、『万能ツール』を使って鎧に仕込んだ暴狼の固有魔法を連続起動させて加速する。
本来ならレッドアウトでもしそうな加速だが、魔法の加速だけあって加速Gは一切感じられない。
瞬く間に迫る鎧熊の頭部に向かって、黒戦槌を振り下ろす。槌頭が音速を超えたかも知れないが、衝撃波は真空中なので発生しない。
そして攻撃が当たる寸前、自分の体と黒戦槌に恐狼の固有魔法を発動させ重量を限りなく増大させる。
質量エネルギーを増大させた黒戦槌は極限まで威力を高め、いまだに獲物を貪っていた鎧熊の頭をほとんど抵抗も感じさせずに消し飛ばした。
おっやぁ?
やりすぎた、かな……?
いや、深層最硬の魔獣なんだから、もっと、こう、なぁ?
は、ははは……、随分と俺も強くなったもんだ!ってのは冗談だが、思った以上に黒戦槌の威力が高かったようだ。
黒戦槌は、素材の魔力を凝縮したお陰で魔力の濃度だけなら国宝クラスにまで高める事ができているし、素材にしたって強度を追求した炭素素材なので、その威力はこの世界の人間が振るう武器の中でも最高クラスだと言うのは間違い無い。
仕込んだ二つの魔法式のうち、原材料である恐狼の魔法式は重量を自在に増減させ最大にまで重くすれば自重だけで岩をも砕き、もう一つの切裂き兎の固有魔法を改良した魔法式は、激突の瞬間に発生するエネルギーを全て衝撃波に変換して一点に集中させるので、一切のロス無く破壊力を獲物に叩き込む事が可能だ。
結果的に打撃武器と言うよりは何か別の破壊兵器になった気がしないでも無いが、威力が高い分には良い事なのでそこら辺は気にしないでおこう。
ただ、やはり鎧熊の頭が吹っ飛ばしたのは少しもったいなかったかな。
最低限首から下があればアレは作れるとしても、脳味噌を食えばもう少し魔力が増えただろうし、食わないにしても前任者達の知識を活用して魔法の道具を作る事も可能だったのになぁ。
まっ、今更後悔してもどうしようもないか。
やっちゃった事はどうにもならないし、とっとと鎧熊を解体して素材に必要な処理を施そう。
・
少し時間はかかったが、作業は無事終了した。
血の臭いは『風使い』で外に洩れないようにしていたので、他の獣に邪魔をされずにすんだな。
しかし、あっけなかったなぁ。もしかして、これなら行けるんじゃねぇか?
深層で魔獣寄せの香を使ってもよ。
鎧熊は手ごたえがなさ過ぎて拍子抜けだし、素材にしたってあればあるほど良い。
もう少し、遊びたいよなぁ?
「ちょ、ちょっと!レドちゃん!こんな場所でなんてモノ出してんのよ!!」
あー……?
「まぁ、良いじゃねえか。こんなに気分が良いんだ。派手に行こうや?」
「なに言ってんの!こんな場所で魔獣寄せの香なんか使ったら、ナニが出てくるかわかんないわよ!?」
「でもよ?この森に住む魔獣の中では一番硬い鎧熊を一撃で殺ったんだ。他の魔獣だってナンとかなるんじゃねぇか?
それによ、オマエだって俺が深層に来る為に色々と準備をしてたのは知ってるよな?
オマエに貰った知識を使って、魔獣どころか幻獣相手でも戦えるような準備をしてきたんだぜ?どうせなら試してみたいじゃねぇか」
「そんなの魔獣寄せの香を使う理由にならないでしょ!もう!……あ!もしかして、さっきのクスリでオカシクなってんじゃないでしょうねぇ!?」
「使ったのは、興奮作用のある薬物と覚醒作用のある薬物のカクテルだけだ。
並の人間なら中枢神経に重大な障害が出るかもしれねぇが、俺なら魔法で回復できるから問題ねぇよ」
興奮作用で筋肉のリミッターを外し、覚醒作用で感覚は鋭敏化する。
ヤバイ状況なら自然と脳内麻薬でそうなるのを外部からの薬物で再現したに過ぎないから、別段リサが騒ぐほどの事でもない。
体が回復しても自律神経の方はすぐに調子を取り戻せないかもしれないが、それもしばらくすれば元に戻るだろうしな。
まぁ結果的にはクスリを使ったのは余分だった気もするが、それは無事に終わった後だから言える事だろう。
「……うわぁ!エンジェルモールドにクリスタルクイーンって!アンタなんてモノを!?」
リサは一瞬目を閉じて顔をしかめた後、すぐに大きな声で叫んだ。エンジェルモールドにクリスタルクイーンってのはクスリの原材料になったカビとキノコの名前になる。
リサが叫んだ理由は、カビとキノコの毒性の所為だろう。
麻薬的な依存性は少ないのだが、使い方を間違えなくても脳や中枢神経に障害がでかねない強烈な薬物だからだ。
もっとも、肉体的な依存性が無くても精神的に依存してしまえば意味は無い。だが、この程度の快感なら俺は大丈夫だ。
これよりも、もっと強い快感を俺は知っているからなぁ。
そう、今から始まる宴が呼び起こす生と死の狭間の快感は、こんなもんじゃあないんだからよ。
作者・酔っ払いの言う「酔ってない」って言葉ほど、当てにならないモノは無いと思いませんか?(笑)




