2-8
ふらつく頭を抱えながら小屋の外に出ると、そこには阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっていた。
集落を形作っていた小屋は倒壊し、住人であるゴブリンは子供が手荒く遊んだ人形のように無残な屍を晒している。
俺が新たな固有魔法を覚えている間になにがあったのか、問うまでもなく元凶が俺に迫っていた。
象ほどもある巨躯と、見覚えのある灰色の背中に残る醜い火傷の痕。
マルグリット達一行を襲った恐狼だ!
なぜアイツがこんな所に居る?
恐狼の生息域はもっと奥地のはずだろう?
まさか、魔獣寄せの香を使う者を襲う事に味を占めたのか?
しかし、ここ数日は香を使ってはいない。
まさか俺が弱ったからか?
分からない。分からないが、今はそんな事を考えている時間は無い!逃げなければ!!
「長を守れ!」
バグバの指示に従って、ゴブリン共が槍を手に突撃する。
しかし、恐狼相手に並みのゴブリンでは時間稼ぎにもならず、恐狼はそれをあっさりと蹴散らして走ってきた。
「一号ついて来い!二号は何とかしてあの狼の足を止めろ!!」
魔法の鞄から切裂き兎の小剣を取り出して二号に渡し、俺は出入り口の反対の壁を蹴破って小屋から脱出した。
破砕音に一瞬振り返った俺が目にしたのは、恐狼の左前脚に斬りつけた二号が、恐狼の右前脚に踏み潰されていく光景だった。
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背後では悲鳴と破壊音が連続するが、俺はもう、後ろを振り返る事もなく走り続ける。
クソ!すぐに息が上がるし、足がもつれる。無理をして『亜空間倉庫』を覚えた所為か、体力がかなり低下しているようだ。
どうする?どうする??どうする???
ゴブリン達を盾にしても逃げるのは無理だ。
そもそも、恐狼相手にゴブリンじゃ一秒も持たない。実際、バグバの指示に従って俺を守ろうとしているゴブリンは、止める間もなく蹴散らされて、時間稼ぎにもなっていない。
なら戦うのか?
一撃入れるくらいなら不可能じゃないだろう。だが、それが効かなかったら終わりだ。
二号に渡した切裂き兎の小剣はダメージを与えたものの、恐狼が元気に追って来ている事から皮一枚を切っただけで肉にすら届いていない可能性が高い。
だとすると俺が相打ち覚悟で火炎十字槍で突いても、毛皮を貫く事もできずに恐狼に喰われるのがオチだ。
クロスボウは準備ができてないので使えない。
コンポジェットボウじゃあ、当たったところで大したダメージは与えられないだろう。
頼みの綱はマシンガンか。
マガジンには狼牙弾が三十発。足止めくらいにはなってくれよ?
障害物を物ともせずに恐狼が迫る。
振り返りざまに魔法の鞄から取り出したマシンガンを腰だめに連射すると、一秒にも満たぬ時間で全ての弾丸が恐狼に当たった。
「キャイン!」
顔面に弾丸を受けた恐狼が動きを止める。
しかし、煩わしげに頭を振っただけで、何のダメージも受けた様子も見せずに追跡を再開した。
……嘘だろ?
いくらなんでも、貫通弾仕様のマシンガンで撃たれたのに傷一つ無く平気って、どんな面の皮だよ?
魔獣の素材で強化した魔法の武器でもなければ、皮一枚すら傷つけられないって言うのか?
だとしたら通用する武器は火炎十字槍しかない。
しかし、それだって致命傷を与えられる可能性は限りなく低い。
俺、死ぬ?
――クソどもは皆殺しにした……。
だからなんだ!?勝手に諦めるな!
――しかし、強者に食われるのは自然の摂理だ……。
うるせえ!余計な知恵で覚悟決めてねぇでぎりぎりまで生き足掻け!!
――追放され森の中で朽ち果てるはずだった俺が、前世を思い出したお陰で長の地位まで上り詰めた。これ以上何を望む?
生きてりゃ楽しめる事なんか山ほどある!!!
ダーーーー!こんな時に分裂してないで、今は生きる事だけを考えろ!!!
もう手は無いのか?唸れ脳細胞!弾けろ脳内スキーマ!!持てる知識と能力をフル活用して生存ルートを探し出せ!!!
味方は役にたたない。武器は効かないし、咄嗟に思いつくような策も無い。
使えそうな物でまだ試していないのは、ウルフフェイスバックラーに火炎十字槍。暴狼の投槍に『亜空間倉庫』の魔法。……それと、エアライフル用の圧縮タンクで作っていたアレ?
……なんとかなるか?
迷っている暇はない。何しろ、恐狼が目の前で爪を振り上げているんだからな。
「うお!」
咄嗟に転がるように避けながら魔法の鞄の中に手を突っ込み、その状態で『万能ツール』を発動!魔法の鞄の口から暴狼の投槍が発射され、近距離から恐狼を襲う。
「グルルルゥ」
何本もの槍が恐狼に当たるが、僅かな傷をつける事も無く槍は弾かれてしまった。
それでも衝撃で恐狼がのけぞる。効いていないのは予想内、時間が僅かでも稼げればいい。
立ち上がりながら砂を一掴み、それをマシンガンの上部スリットへ。
そして、銃口を恐狼の顔に向け、『万能ツール』を発動しながら引き金を引く。
「ギャン!」
音速を超えた砂粒が、散弾と化して衝撃波と共に恐狼の顔面を襲った。
さすがにこれなら多少は効いたか?
距離を開けるために駆け出そうとした俺は、瞑った左目から血を流す恐狼の、怒りに燃える右目に射すくめられる。
逃げないと!
そう思いながらも体を動かせない俺の視界から、恐狼が消えた。
な!何処へ行った!?
日の光がかげる。上か!
見上げた視線の先に、獲物を襲う猛禽のように、ありえないほどの高さから襲う恐狼が。
やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい!!!
間に合うか?
俺に牙が届く寸前、目の前に大きく『亜空間倉庫』の入り口を展開!
まるで光源を遮られた立体映像のように消えていく恐狼。
恐狼は亜空間に呑み込まれて行った。そして、入り口をを閉じる前に、鞄から取り出した圧縮タンクを、栓を開放して放り込む。
後は祈るだけだ。
まだ亜空間の大きさを把握していないので、恐狼が入りきるかが最初の賭けだった。
逆に広すぎて、ガスの濃度が必要量に達しなければ、これもまたマズイ。
閉じる事はできたが、内部で暴れられても維持できるかが問題だ。
脱出する為の固有魔法に目覚める可能性もある。
あの巨体が二酸化炭素で窒息するまでに、何分必要なんだろうか?
上手い具合に最初の一吸いで昏倒してくれればすぐに死ぬだろうが、危険性に気が付いて息を止められたら何分かかるか分かったものではない。
五分。
十分。
一時間。
時計なんか無いので俺の主観の時間だから、実際には数分しかたっていないかもしれない。
それでも、目に見えて日が傾いた気がするので『亜空間倉庫』を開放してみる。
大きく開いた『亜空間倉庫』の入り口から空気が流れ出した。
しかし、恐狼は現れない。
空気の流れが止まり、しばらく経ってから恐る恐る入り口に顔を突っ込んでみると、漆黒の空間の中でまるで浮いているように倒れ伏す恐狼が見えた。
『亜空間倉庫』から恐狼を出すように念じると、何も無い空間から目の前に巨大な狼が現れる。
地面に倒れたまま恐狼は動かない。
近寄って調べると、たしかに恐狼は死んでいた。
はっはははっ……。思っても見ないところで、圧縮タンクを使ってドライアイスの製造実験をしていたのが役に立ったようだ。
本当は、薬品を作る時の冷却材確保の為の実験だったんだけどねぇ。
常温保存には容器の強度が不安だったけど、もったいないから捨てずに取っておいて本当によかった。
「お、長。あんた、バケモノオオカミを殺せたのか?」
安心した所為か、少しばかり呆けていたようだ。いつの間にかバグバが近寄ってきていた。
「見ての通りだ」
恐狼の頭を殴りつけても、当然の事ながら反応は無い。
「お、おおぉぉぉ……」
魂が抜けていくかのように、力なくバグバが崩れ落ちる。
「おい、ぼさっとするな。まだ後始末が残っているだろう?」
さっきまで呆けていた俺が言う事でも無いが、このままぼうっとしてても始まらない。
「お、おお」
バグバがぼけた声で返事をしながら駆け出すのを見ながら、俺も歩き出した。




