【魔術師の家出】
ヘテロドックス集落、ウォーターシップダウン。
朝霧が立ち込める大樹の根元で、一人の少女が頭を抱えていた。
「おかしい、3日だぞ?もう3日も連絡がない!」
集落の長、フリーテルである。
彼女は自分の身長ほどもある巨大な通信端末の前を、行ったり来たりしていた。
リトルベースにいる娘、フレンダからの定期連絡が途絶えているのだ。
「まさか、任務中に怪我をしたんじゃ。いや、もっと最悪の事態だ。空腹のあまり行き倒れて野垂れ死んでいるかもしれない!」
「長、落ち着いてください」
背後から洗濯物を抱えたクラリスが呆れ顔で声をかける。
「フレンダはもう立派な大人ですし、今は大尉ですよ?それにリトルベースはここから遠いです。通信障害の一つや二つ、よくあることです」
「君は冷たいなクラリス君!あの子は寝るのを忘れて食事を取るような子なんだよ!?ダメだ、僕が直接行って安否を確認してくる!」
フリーテルが杖を掴んで飛び出そうとする。
しかし、クラリスがその襟首をむんずと掴んだ。
「ダメです、却下します」
「なっ!?放せクラリス君、僕は長だぞ!」
「長だからです。貴女がうろつけばMSGVFやリバティー・アライアンスに見つかって大騒ぎになります、大人しく研究でもしていてください」
クラリスは問答無用でフリーテルを部屋に押し込み、外から鍵をかけた。
「ぐぬぬ!覚えてろよ、鬼妹め!」
その夜。
月明かりがラボの窓を照らす頃。
「ふふふ、クラリス君は甘いな」
フリーテルはベッドの上にある物をセットしていた。
それは、自身の細胞培養技術で作った野菜製の身代わり人形だ。
布団を被せれば寝ているようにしか見えない。
「完璧だ、これで朝まではバレないはず!」
フリーテルは窓の鍵をピッキングで開け、音もなく外へ滑り出した。
目指すは北の荒野、リトルベース。
「待ってておくれ、フレンダ!お母さんが今行くからね!」
小さな影が夜の闇へと消えていった。
白堊理研第8基地、リトルベース。
その正門前の荒野にある岩陰から、フードを目深に被った小さな人影が様子を窺っていた。
「ふむ、警備は厳重だね」
フリーテルは双眼鏡を下ろした。
LA正規部隊のヘキサギアが巡回し、監視カメラが目を光らせている。
だが、自称数百年を生きた彼女の科学力と、魔法と称する技術をもってすれば、潜入など造作もない。
「光学迷彩マント、起動。さあ、風のように、影のように……」
フリーテルが忍び足でゲートに近づいた、その時だった。
「おい、そこの君!」
背後から太い声がかかった。
巡回中の歩兵に見つかってしまったのだ。
「しまっ!?」
(マズい、迷彩のバッテリーが切れていたか!?ええい、こうなったら強行突破で!)
フリーテルが杖を構えようとした瞬間、兵士が彼女の前にしゃがみ込んだ。
「どうしたんだ、お嬢ちゃん。こんなところで」
「は?」
兵士の顔には敵意ではなく、純粋な心配の色が浮かんでいた。
彼はフリーテルの幼い容姿と可愛らしいウサギ耳の帽子を見て、完全に迷子の子供だと勘違いしていたのだ。
「ママとはぐれたのかな?それとも、近くの集落から遊びに来たのかな?」
「ち、違う!僕は偉大なる魔術師、フリーテル・マーキュむぐっ!?」
反論しようとした口に、包み紙を剥いたキャンディが突っ込まれた。
「お腹空いてるんだな?大丈夫、ここには怖い人はいないぞー。おい、誰か!戦災孤児の保護だ、ゲストルームへ案内してやれ!」
「むぐぐー!!」
フリーテルの抵抗虚しく、屈強な兵士に高い高い状態で抱き上げられ、基地の中へと連行されていった。
自称数百年生きる長としての威厳は、ペロペロキャンディの甘さと共に崩れ去った。
「屈辱だ」
基地内のゲストルーム。
ふかふかのソファに座らされたフリーテルは、山積みのお菓子とジュースを前に震えていた。
兵士たちは彼女を可哀想な迷子として丁重に扱ってくれたが、それが逆にプライドを傷つけた。
「だが怪我の功名だね、まんまと中に入り込めた」
フリーテルはドアの隙間から廊下を確認する。
見張りはいない。
彼女はちょっとトイレ!という書き置きを残し、部屋を脱け出した。
排気ダクトを通り、物陰を移動すること数十分。
彼女は広い演習場を見渡せる物資搬入用デッキに辿り着いた。
「いた!」
フリーテルの目が輝く。
演習場の中央。
砂埃舞うグラウンドにひときわ目立つ金髪の女性が立っていた。
フレンダ・ディーコン大尉だ。
「声が小さいッ!!」
フレンダの怒号が響く。
彼女の前には疲れ切った顔の新兵たちが整列していた。
「いいか、よく聞け!戦場で一番大事なことは何だ!?敵を倒すことか、任務を遂行することか、違う!!」
フレンダは手にした教鞭をビシッと振るった。
「『生き残ってご飯を食べること』だ!!」
新兵たちがポカンとする中、フレンダは真剣な顔で続ける。
「死んだら、ステーキの味も、プリンの甘さも分からない!空腹は最大の敵だ!お前たちは兵士である前に、メシを食う『人間』であれ!晩ご飯を美味しく食べるために死ぬ気で走って生き残れ! 分かったかァァッ!!」
「イ、イエスマム!!」
奇妙な訓示だが、そこにはフレンダなりの哲学と、部下を死なせたくないという強い想いが込められていた。
物陰で見ていたフリーテルは、目元を袖で拭った。
「うん、うん。立派になったね、フレンダ。僕の教えをちゃんと受け継いでくれている」
娘の成長した姿に胸がいっぱいになる。
ここまで来てよかった。
そう思った、その時。
「ん?」
演習場の脇を歩いていた女性士官がふと足を止めた。
基地司令官、ミカ・フォルクス少佐だ。
「今、あそこの資材置き場のドラム缶が不自然に動いたような?」
ミカの鋭い視線が、フリーテルの隠れているドラム缶に向けられる。
(ひぃっ!あの子は相変わらず勘がいいね!)
フリーテルは慌ててドラム缶の中に身を沈め、蓋を閉めた。
「気のせいっすか?最近、ネズミが多いっすからね」
ミカが去っていく足音を聞きながら、フリーテルは冷や汗を拭った。
バレたら不法侵入でお仕置き確定だ。
「ふぅ。さて、安否は確認できた。でも、せっかく来たんだ。母親らしいことの一つくらいしてあげたいね」
フリーテルはニヤリと笑い、懐から怪しい小瓶を取り出した。
「次の目的地は、厨房だ!」
昼食の準備で賑わうリトルベースの厨房。
調理兵たちが目を離した一瞬の隙をつき、排気ダクトから小さな影が降り立った。
「ふふふ、ここが心臓部だね」
フリーテルは煮込み中の巨大な寸胴鍋に近づいた。中身は金曜恒例のカレーライスだ。
「フレンダの顔色が少し悪かった。栄養バランスが偏っている証拠だね」
彼女は懐から、怪しげな緑色の小瓶を取り出した。
『特製栄養エキス・ヘキサハイパー』。
ウォーターシップダウンの薬草と野菜とヘキサグラムを濃縮し、魔術的なバイオ処理を施した滋養強壮剤である。
「これを入れれば疲労回復、活力増強、ついでに美肌効果も間違いなしさ!」
ドボドボドボ……
鍋の中に謎の液体が注がれる。
カレーが一瞬虹色に輝いた気がしたが、すぐに見慣れた茶色に戻った。
「よし、そしてメインイベントだ」
フリーテルは司令官用の配膳カートに近づき、持参した風呂敷包みを素早く置いた。
「しっかり食べるんだよ、フレンダ」
数十分後、食堂。
「「「いただきまーす!」」」
訓練を終えた兵士たちがカレーを口に運ぶ。
その瞬間。
「……ッ!?」「う、美味い!?なんだこの深いコクは!?」
兵士たちの目がカッと見開かれた。
ただ美味いだけではない。
身体の底から灼熱のようなエネルギーが湧き上がってくる。
「うぉぉぉぉ!身体が熱い!力がみなぎってくるぞ!」「午後からの訓練は20周追加だァァァ!」
食堂は一種の興奮状態に包まれた。
フリーテルの魔法のスパイスは、彼らにとんでもない活力を与えてしまったようだ。
執務室。
フレンダは激務の合間の昼休憩を取ろうとしていた 。
「ふぅ、お腹すいたー。今日はカレーだね、なんか外が騒がしいけど、ん?」
彼女はデスクの上に見慣れない包みが置かれていることに気づいた。
基地の配給品ではない。
花柄の風呂敷。そして、懐かしい土と太陽の匂い。
「これ、まさか」
フレンダは震える手で包みを解いた。
現れたのは重箱サイズの特大弁当箱だ。
蓋を開けると、そこには鮮やかな野菜たちが詰まっていた。
ニンジンのグラッセ、カボチャの煮付け、ブロッコリーの森。
それらが精巧に配置され、ご飯の上に笑っているフレンダの顔を描いていた。
「キャラ弁だ」
フレンダの瞳から、不意にポロポロと涙がこぼれ落ちた。
添えられたメモには見慣れた文字で一言だけ。
『ちゃんと噛んで食べるんだよ』
「うん、いただきます!」
一口頬張る。
甘くて、優しくて、とびきり美味しいお母さんの味が口いっぱいに広がった。
フレンダは椅子を蹴って立ち上がり、窓を開け放った。
「お母さーーーん!!ありがとーーー!!美味しいよーーー!!」
その声は、荒野の風に乗って遠くまで響いた。
基地の外れ、岩陰にいた小さな人影が満足げに手を振るのが見えた気がした。
「ふぅ、ミッションコンプリートだね」
後日、ウォーターシップダウン。
フリーテルは上機嫌で帰還した。
誰にもバレずに娘の顔を見て、手料理も振る舞えた。完璧な作戦だった。
「ただいまー!いやぁ、散歩が長引いてしまってね」
ラボのドアを開ける。
そこには、仁王立ちのクラリスが待ち構えていた。
背後には異様な色に変色し、異臭を放つ身代わり人形が転がっている。
「おかえりなさいませ、長」
クラリスの声は氷点下よりも冷たかった。
「あの野菜人形、防腐処理が甘かったようです。腐敗してとんでもない異臭騒ぎになりました。説明していただけますね?」
「ひぃっ!?いや、あの、その!」
フリーテルは後ずさりするが、背後のドアは既にロックされていた。
「無断外出、不法侵入、そして集落への環境汚染。罰として今後一週間はおやつ抜き、および実験禁止、畑の草むしり100回です」
「そ、そんなぁぁぁ!娘の顔を見に行っただけなんだよぉぉぉ!」
「問答無用」
ズルズルズル。
平和な隠れ里に魔術師の悲鳴がこだまする。
けれど、その騒がしささえもどこか愛おしい日常の一部だった。
遠く離れたリトルベースでは、元気いっぱいのフレンダが今日も大盛りカレーをおかわりしていることだろう。




