【小さな戦士たちの長い午後】
山火事の一件から数日後。
その日のウォーターシップダウンは、奇跡のように穏やかな陽気に包まれていた。
ミヒャエルとジェーンは街へ買い出しに出かけ、フリーテルとクラリスは研究室に篭もりきり。
ヘキサギアハンガー周辺は、完全な静寂に支配されていた。
いや、正確には彼らだけの天国だった。
「…………」
日当たりの良い芝生の上、数十羽のウサギたちが思い思いの姿勢で寝そべっている。
その中心に鎮座するのは灰色の毛並みを持つ巨大なウサギ、通称・大将だ。
かつての野良犬との戦いで失った左耳の半分が、彼の歴戦の証。
彼は瞼を閉じて微睡んでいるように見えるが、そのヒゲはレーダーのように周囲の気流を読み取っている。
その時。
群れの中で最も小柄で真っ白な毛並みを持つチビが、パッと顔を上げた。
ピンク色の鼻先をヒクつかせ、長い耳をパラボラアンテナのように旋回させる。
(……変な臭いがする。油と、焦げた鉄の臭い……)
そして、微かな羽音。
ブブブブブ……
チビが空を見上げる。
太陽を背にして降下してくるのは数機の黒い影。
ハエや蜂を模した、全長10センチほどの超小型偵察ドローンだ。
その複眼カメラが赤く点滅し、ウサギたちの背後。フリーテルが丹精込めて育てた高栄養バイオ人参の畑をロックオンした。
(敵襲ッ!!)
チビが鋭く鳴き声を上げたのと同時に、大将が動いた。
太い後ろ足で地面を激しく叩く。
ダンッ!!
強烈なスタンピングの音が響き渡る。
それはウサギたちの共通言語で『総員、戦闘配置!』を意味していた。
瞬間。
今までダラダラしていたウサギたちの目が、猛禽類のような鋭さに変わった。
脱兎のごとく散開し、草むらの影、資材の裏、掘っておいた穴の中へと姿を消す。
愛玩動物の時間は終わった。ここからは戦士たちの時間だ。
ドローン群が高度を下げ、人参畑へと侵入する。
そのアームが伸び瑞々しい葉を刈り取ろうとした、その瞬間。
バッ!!
地面に隠されていたトンネルの出口から、茶色い影が弾丸のように飛び出した。
大将の側近である屈強なウサギだ。
彼は空中で体を捻り、ドローンの死角である真上から強靭な後ろ足を叩き込んだ。
バシィィンッ!!
ラビット・キックの直撃を受けたドローンはプロペラを粉砕され、地面に叩きつけられて火花を散らす。
それを合図に、畑のあちこちからウサギたちが迎撃を開始した。
彼らはただ闇雲に跳んでいるのではない。
ドローンの飛行ルートを予測し、着地地点から逆算した完璧な放物線を描いて跳躍しているのだ。
次々と撃墜される鉄の虫たち。
だが、敵も学習する。
残ったドローンが高度を上げ、ウサギの届かない位置へ退避した。
そして腹部ハッチを開き、淡い黄色のガスを散布し始めた。
催眠ガスだ。
(まずい!みんな下がれ!)
大将が鼻を鳴らし、後退を指示する。
ガスを吸い込んだ数羽がフラフラと千鳥足になり、その場に崩れ落ちる。
畑が毒の霧に包まれようとしていた。
絶体絶命のピンチ。
その時、畑の隅にある給水栓の影で眼鏡のような模様が顔にあるウサギ・博士が動いた。
彼は普段からフリーテルの実験を観察し、人間が道具を使って世界を操作することを知っていた。
博士は給水栓のレバーに前足をかけ、全体重を乗せてぶら下がった。
硬い。動かない。
博士は「チッ」と舌打ちし、仲間を呼んだ。
二羽、三羽とウサギが加わり一斉にレバーにぶら下がる。
ギィィ……ガコンッ!
レバーが下がった。
プシャァァァァァァッ!!
畑に設置されたスプリンクラーが一斉に作動し、強力な水流が噴き出した。
人工の豪雨がガスを洗い流し、軽量なドローンたちを水圧で叩き落とす。
バチバチッ!
水浸しになったドローンがショートし、黒煙を上げて墜落していく。
ウサギたちは濡れた体をブルブルと震わせ、勝利の雄叫びを上げた。
だが、戦いは終わっていなかった。
全滅した偵察部隊からの通信途絶を確認した敵の母艦付近に潜伏している大型輸送機が、次なる手を打ってきたのだ。
ズシン……ズシン……
ハンガーの入り口から巨大な影が現れる。
それは中型犬ほどのサイズがある、クモ型の作業用メカだった。
鋭利な爪と、草刈り用の回転ノコギリを装備している。
ウサギのキックではビクともしない装甲と重量。
『ギギギ……ターゲット……排除スル……』
メカのセンサーアイが赤く輝き、ウサギたちを睨みつけた。
大将は一歩前に出た。
片耳をピクリと動かし、背後の仲間たちに目配せをする。
(野郎共、プランBだ。巨人たちの武器を使うぞ)
ウサギたちは一斉に散開し、ミヒャエルが置きっぱなしにしていた整備用工具箱の方へと走った。
『ギギギ……害獣、発見。排除スル……』
クモ型メカが回転ノコギリを唸らせ、大将に向かって突進する。
その速度はウサギの俊足でもギリギリだ。
だが、大将は逃げなかった。
彼は鼻先で挑発するようにピクつかせ、メカをハンガーの奥、資材置き場の通路へと誘導する。
(こっちだ、ポンコツ!)
メカがその挑発に乗り、狭い通路へと踏み込んだ。
その瞬間。
ピーンッ!!
通路の左右に隠れていたチビたち数羽がワイヤーリールを抱えて一斉に走った。
ミヒャエルがヘキサギアの固定に使う、高強度のカーボンワイヤーだ。
彼らは素晴らしい連携でメカの脚の間を駆け抜け、ワイヤーを交差させた。
ガシャァァンッ!!
勢いよく突っ込んだメカの脚がワイヤーに絡まり、バランスを崩して前のめりに倒れる。
(今だ!博士!)
大将が合図を送る。
頭上の棚の上で待機していた博士が、仲間たちと共に投下レバーを押し込んだ。
ガランッ、ゴロンッ!
棚の上から、巨大なモンキーレンチやハンマーが雨のように落下する。
それらは正確に転倒したメカの頭部や関節部を直撃した。
バゴンッ!!
メカのセンサーアイが叩き割られ、回転ノコギリのアームがへし折れる。
巨人たちが使う道具は、小さな彼らにとっては攻城兵器そのものだった。
『ピ……ピピ……Damage……Critical……』
視界を奪われたメカが狂ったように残った脚を振り回す。
まだ動くか。なんて執念だ。
ウサギたちは安全圏まで退避するが、このままでは暴れるメカに資材置き場を破壊されてしまう。
(トドメを刺す!)
大将が棚の最上段へ駆け上がった。
そこには、ジェーンが整備中に置いていったヘキサグラムが怪しく輝いていた。
高純度のヘキサグラムは直接回路に触れれば過負荷を引き起こす。
大将はヘキサグラムを口にくわえた。
ピリピリとした刺激が走る。
(いくぞ!)
彼は全身のバネを使い、棚からダイブした。
狙うはメカの背中にある放熱用のスリット。
ドスッ!!
大将は見事にメカの背中に着地した。
暴れる背中の上でバランスを取り、口にくわえたヘキサグラムを剥き出しになった排熱口へと押し込む。
バチチチチチッ!!
強烈な電流が逆流し、メカの内部回路を焼き尽くす。
『ピ、ガ……ガガ……Shutdown……』
クモ型メカは断末魔のような火花を散らし、ついに動かなくなった。
大将は煤けた顔でメカから飛び降り、誇らしげに髭を震わせた。
(作戦完了!)
勝利の余韻に浸っている暇はない。
遠くから装甲車のエンジン音が聞こえてきた。
ミヒャエルたちが帰ってくるのだ。
(撤収!痕跡を消せ!)
大将の指示で、ウサギたちは目にも止まらぬ速さで動き出した。
壊れたドローンやメカの残骸を深い穴に埋め、工具を元の位置に戻し、ワイヤーを回収する。
博士はスプリンクラーの水たまりに砂をかけて偽装した。
ウィィィン……
ハンガーのシャッターが開き、装甲車が入ってくる。
その頃には、ウサギたちは芝生の上で何事もなかったかのように丸くなっていた。
「ただいまー。……ん?」
車から降りたジェーンが、周囲を見回す。
「なんか、ここら辺焦げ臭くない?それに工具箱の位置がズレてるような……」
彼女の勘は鋭い。ウサギたちは心臓をバクバクさせながら、必死に可愛いペットの演技をする。
鼻をヒクヒクさせ、無垢な瞳で人間を見つめる。
「気のせいだろ。ほら、こいつらも平和そうにしてるし」
ミヒャエルが笑って大将を抱き上げた。
「いい子にしてたか?留守番ありがとな」
大将は「キュウ」と甘い声で鳴き、ミヒャエルの指をペロリと舐めた。
その口の端には、微かにオイルの味が残っていたがミヒャエルは気づかなかった。
その夜。
月明かりの下、ウサギたちは守り抜いた最高級人参を掘り出し、勝利の宴を開いた。
シャクシャクという小気味良い音が響く。
「あれ、人参が一本足りないような?」
ラボから出てきたフリーテルが首をかしげるが、すぐにまあいいかと戻っていく。
小さな戦士たちは顔を見合わせ、夜の闇の中でニヤリと笑った。
ウォーターシップダウンの平和は、今日も彼らの秘密の戦いによって守られているのだ。




