首都結界外郭外回り環状線五等車両6
「? 誰ですか?」
雪子が立ち上がって、クソ女を振り返った。
そいつは、この街のどこにも似つかわしくない煌びやかな和装をしていた。
金糸の刺繍で紋様を施された赤い袿を羽織り、銀糸の紋様の施された黒の袴を履いている。長い黒髪を現代風に崩した一つ結びの垂髪を、豪奢な髪飾りで留め、それ以外にもシャラシャラと、金出てきた軽やかで精巧な装具を、東洋の踊り子のように身に纏っている。
三千院轍。
主より目立ちそうな恰好は、とうてい天照大御神の女官とは思えない姿だった。
彼女は心を読ませない柔和な笑みのまま、唇を動かした。
『六道——』
開眼した赤い瞳が俺を見据え、狂喜の色に輝いた。俺達に手を向け、長く伸びた赤い爪を広げた。手首に通した金の輪環が中空に浮かび、宝石が光り輝いた。
『赤日、黄金の穂、紫紺の帳、天山の緑雷——』
「詠唱!?」
雪子は俺を振り返って叫んだ。
「あなたいったい何連続殺人鬼なんですか!?」
「うるせえ、逃げろ! 殺られるぞ!」
俺の忠告に雪子は落ち着いた声で否定した。
「死にませんよ」
「はあ!?」
「あなたには生きて罪を償ってもらう必要があります」
雪子は俺に背を向け、轍に左手を向けた。
いや、俺は何も罪なんか犯してないんだが?
轍は雪子の行動をいたく気に入ったようだ。いつも俺に向けるようなゴミを見るような目ではなく、愉快そうに瞳を細め、唇を弓のように引いて笑みを浮かべた。
「名は?」
「早池峰雪子」
「早池峰? ……ああ、早池峰か」
轍は笑みを深くした。
何がクソ女に火をつけたのか、轍は霊力を強くした。袿と袴の紋様が輝き、装飾の金月の輪が浮かび、背に光輪が現れる。
『滅せ。天道ケ矛、玉赤花』
赤い閃光が、轍の掌に収束していく。
玉赤花は六道の滅却する光だ。あらゆる物体を焼き切ってぶち抜く。
この少女がいくら氷の魔術に長けていたとしても、玉赤花は止められない。
その上、こいつはおそらく、リスボンできない。
こいつが言っていたように、人間も妖怪も殺したことが無ければ、リスボンできる。桜花結界のアホみてえなルールだからだ。
だが、こいつは誰か一人くらい殺したことはある。初手で俺の腹をぶち抜く行動力は、一般人じゃねえ。殺人の穢れと罪を、桜花結界は赦さない。
だったら、俺がやれるとこまでやってやる。
氷で縫い付けられていた腕をぶち抜いて、俺が詠唱しようとした、その時——、
「動かないでください」
さっきまでのギャーギャー騒いでいた調子とは打って変わって、胸の奥にまで自然と届いてしまうような真摯な声だった。
瞬間、轍から玉赤花が放たれ、赤い閃光が、ワンピースの少女を呑み込んだ。
見たことがないほど、強烈な赤い瞬きだった。
俺ですら、死を覚悟する輝きだった。
だが、終末をもたらす滅却の閃光を前に、少女は在り続けた。
少女は玉赤花を、弾いていた。
いや、弾いているのではない。目に見えない障壁が、玉赤花を相殺し、消し去っている。
思えば俺の霊弾も、こいつによって無効化された。それと同じ力を使っているに違いない。
だが、それは異常な力だ。
無詠唱でありながら、霊力を高めた轍の玉赤花を凌ぐのなら、それは神に近い力だ。
だが、こいつの障壁も一歩考えが及ばなかったようだ。
俺と彼女は相殺する力に守られていたが、玉赤花は障壁の及ばぬ、電車までを焼き切った。
「あ、やば――」
赤い閃光は一瞬で過ぎ去り、俺達は玉赤花を耐え抜いたが、足元が崩れ、電車の一部とともにホームとは反対側に転げ落ちた。
俺は線路の上に縫い付けられたドアと共に転がった。
「ああ、くそったれが!」
俺は腹の氷の槍を引っこ抜いた。アホみたいに血が出てきた。クソみてえな一日だ。
とはいえこいつのおかげで命拾いした。
轍に出会って五体満足なら上出来だった。
「ああ! なんなんですかこの街は!」
声のほうを見ると雪子は線路で立ち上がり、額を抑えていた。
「おいてめえ!」
俺は大きく右腕を振って知らせた。
「飛べ!」
雪子のすぐ背後に、特急列車が迫っていた。
「え?」
だが彼女は理解しなかった。列車の金属を引き裂くようなブレーキ音が鳴り響き、彼女は振り返った。
「避けろっつったんだ!」
俺は飛び出し、片手で印を結び、詠唱した。
「『絶』」
瞬間、全てが静止し、世界から喧騒が消え失せた。
雪子も、彼女の背後の電車も、全てが静止していた。
時が停止した。
時間操作能力者だけが持つ、全てが静止した世界。
それが『絶』だ。
だが、最強の力である『絶』は印を結んでも数秒しか使えない。そして、奇妙な相対論が適応される。
『絶』の世界で、俺が触れたものは破壊され、同時に、俺の身体も吹き飛ぶ。
これは相対速度を用いると解釈が容易だ。
『絶』の世界の行動は、通常の世界で光速に等しいスピードで動いていることになる。ゆえに物体などと衝突すると、光の速度でぶつかったことになるからだ。
まあ、この理論は、時間停止状態でも空気中を歩ける時点で破綻しているわけだが。
自由に物を動かせる俺のババア曰く、時と世界の支配力が低いからだそうだ。じゃあ、どうすれば自由になるか尋ねたら、知らんらしい。クソが。
ゆえに『絶』を発動している間は雪子に触れられない。
俺は彼女に飛び掛かり、触れる直前、『絶』の解除と共にその身体を攫った。
電車が彼女のヒールを吹き飛ばしたが、どうにか俺達はホームの緊急退避所に転がり込んだ。
「おい! クソ女! てめえ馬鹿か!?」
「はっ、はっ……! 死にかけました……。え? 私、死にかけてましたよね!?」
雪子は明らかにパニクっていた。俺の罵声なんて聞いていないようだった。
「いいから、逃げるぞ」
「いいからって……、なんなんですか!? 東京では人に出会ったら殺そうとするのが日常なんですか!?」
彼女は、瞳に涙を浮かべていた。
人の腹ぶち抜いたやつが何言ってんだと思ったが、ゴチャゴチャ言ってる場合じゃねえ。駅のホームにはまだ轍がいる。やることは決まっている。
「死にたくなけりゃついてこい。こっから逃げんぞ」




