エピローグ1
石神前駅から電車で三十分ほど、山奥の方へ向かうと奥多摩駅に到着する。
そこから私鉄小河内線に乗り換えると、十五分かけて、奥多摩湖隣接の新小河内駅にたどり着く。
午前九時、俺と久作は、ダム湖である奥多摩湖に釣り糸を垂らして座っていた。
「なんで母さんのこと、黙ってたんだ?」
「皓くんか、おばさんが話してるもんだと思ってたからな」
五月の水引の水神祭のため、駅から地元の人妖や観光客がバスに乗っていく姿が見られた。
遠くからは、神楽の笛の音が、微かに聞こえる。
「じゃあ、俺がガキの頃、親父のことはなんであんないい風に教えたんだよ」
政府の発表では皓月は死亡したことになっている。
けれど俺がガキの頃、久作は皓月が生きている事を教え、偉大な魔術師であると讃えた。
久作が顔を顰めた。
「いくら親が悪かろうとその子供の前で悪くは言えんだろう」
ごもっともな理由だった。
「それに嘘はついていない。皓くんは比類なき魔術師だし、実際かっこいいからな」
久作は少しの憧憬を浮かべながらそう言った。
「それより、俺の忠告を聞かないお前が悪い。皓くんを信じるなと忠告しただろう」
「そりゃそうだけどよ。もっとしっかり説明してくれねえとわからねえだろ」
俺が言い返した時、久作の胸元で、赤ん坊が泣き声を上げた。
「よしよし。ミルクかな」
久作は、抱っこ紐を緩めて、保冷バックから取り出して常温に戻しておいた哺乳瓶を、赤ん坊に咥えさせた。
早池峰空。
俺の妹であり、雪子の姪にあたる。
早池峰姓にしたのは、母さんの私生児であり、琴平家の血が流れていないからだ。
「そういや、俺には、こいつ以外にも妹がいるらしいな」
「そうだな」
「なんて名前だ?」
「それはお前が知るべき情報ではない」
「なんだそれ。俺の妹だぞ?」
「時間停止能力者の血筋同士を接触を誘発する情報など与えるものか。国に良いことなどありはしない。どうしても知りたければ皓くんにでも聞くんだな」
「じゃあよ、親父は今どこにいるんだよ?」
テレビ男を撃破した後、桜花結界の力かはたまた別の力か、千年桜は上野に転送され、上野公園の元の位置に戻った。
けれど、あの後、皓月は姿を現さなかったし、轍も戻ってこなかった。
「わからん」
「戸籍上死亡扱いだとしても、指名手配犯だろ? そんな適当でいいのかよ」
「時間停止能力者である皓くんを追跡することなど不可能だからな。だが、国外に出たら桜花結界に阻まれて再び侵入するのは難しいだろうから、国内にいるんじゃないのか」
「っていうか、桜花結界って、なんでもできんのか? 親父だけじゃなく、轍のかけたババアの行動制限も桜花結界使ってんだろ?」
ちなみに、スパモンから解放された千年桜は、数日をかけて修復されたようだ。銃弾をパスタに置換するなどの全ての凶行は収まり、桜花結界は以前と同じ働きに戻った。
「お前の言う通り、なんでもできる。ゆえに、リンネと早池峰を千年桜に置かざるを得なかった。でなければ轍がこの国を乗っ取りかねないからな」
「桜花結界は、天照大御神も関わってたよな? 天照大御神は何も言わねえのか?」
「それをお前が知る必要はない」
「なんだよ。さっきからケチな野郎だな」
「国家機密を話しているのだ。我慢しろ」
久作はミルクを飲み終わった空に二度ゲップをさせてから、抱っこ紐を掛け直した。
「結局、親父は何がしたかったんだ?」
「桜花結界で自分の一物を探し出して、己の手で取り戻したかったんだろ」
「んなの、最初から母さんに謝って返してもらえばいいじゃねえか。結局そうなったしよ」
「坊主」
久作は釣り竿を一度上げた。
魚がかかることのない真っすぐな釣り針を放って言った。
「それが素直に出来たら、皓くんは皓くんではないよ」
水面を見つめ、久作はいつも通りの疲れ切ったような顔に、少し微笑を浮かべていた。




