旧友2
新たに生まれた魔法のゲートを背後に、俺の前に、一人の少女が立っていた。
肩甲骨あたりまであるセミロングの漆黒の髪、細めの身体付きはエミリアの体格に近いが、身長は雪子より少し低いくらいか。
そこらへんの大人が運動着として着てそうな袖の長い白いTシャツに、アディダスのズボン。
彼女は俺を指さして意外な一言を言った。
「それ、わたしの息子」
「え? それ先に伝えてくれないと困るじゃないか」
「わたしは言ったけど、水名が、妹の名前効いた途端すっ飛んで行っちゃったんでしょ!」
「あー、それは申し訳ないなー」
雪子姉——水名は現れた少女から目線を逸らした。
「母さん……?」
俺は知らず知らずのうちに、その人をそう呼んでいた。
彼女は振り返った。
母と呼ばれ、振り向いたその人は、若くは美しい少女の姿をしていた。
快活そうな血色の良い唇に、笑顔が似合いそうな明るい頬、魅惑的な黒く赤い瞳が、俺を見つめた。
「暁、元気だった?」
彼女はからっと笑って、そう言った。
母さんは、今まで俺がどうしていたとか、俺と会えなくて申し訳ないとか、そういう感情は一切なさそうで、あっけらかんとしていた。
「母さん……、桜花結界の為に犠牲になったんじゃ……」
「え? それ誰が言ってたの?」
「お、親父……」
俺がそう言うと母さんは腕を組んで悩み始めた。
「やっぱり皓月くんか~。桜花結界に攻め込もうなんて考えるのは皓月くんくらいだよな~。やっぱアレが良くなかったかな~」
「アレ? アレって、なにがあったんだ?」
「それはね――」
母さんが話そうとしたその時、俺の眼前に赤い輝きが生まれたかと思うと、ぱっと、轍が現れた。
そして轍は母さんを抱きしめ、高い悲鳴のような歓声を上げた。
「リンネ! 会いたかったわぁ~」
「うあー。轍だー。わたし、轍怖いんだー。水名助けてー」
しがみつく轍を母さんは引きはがそうとしていた。
母さんの要望を水名は拒否した。
「やだよ轍すぐ怒るもん。しつこく突っかかられるの嫌なんだよねー」
「あー、ほんと水名は能力以外使えないなあー」
母さんは頬にキスしてくる轍に目を細め、睨みつけた。
「で、皓月くんは捕まえたの?」
「あんなゴミ、どーでもえーやんか。リンネ私と子作りしよ?」
「轍。皓君から目を離すんじゃない」
恐らく轍と共に現れていた久作が、簀巻きにした親父を地面に転がした。
が、母さんは転がされた親父にあまり興味はないようだった。
「久作―。轍どうにかしてよー」
「すまん、リンネ。俺はまだ死にたくないんだ」
「久作死なないじゃん。ってか、老けた?」
「お前達と違って俺は人間だからな。年も取るし体力も衰える」
「嘘じゃん」
母さんはなんとか轍を引きはがして、白い地面に転がされた親父を見下ろした。
親父は簀巻きになるほどしめ縄で縛られ、ひたすらベタベタとたくさんのお札が全身に張られていた。
母さんは楽しそうに親父を見下ろした。
「で、また皓月くんが悪いんだ?」
「リンネ……。まだあのことを怒ってるのか?」
「怒ってないよー? 巨乳のあの女と浮気してた事なんて」
母さん笑みを浮かべながら、冷たく親父を見つめていた。
手足を失ったままの俺は、同じような状態の親父に尋ねた。
「おい、これはいったいどういうことだ? 親父は桜花結界の犠牲になった母さんを取り戻すためにやってきたんじゃないのか!? どうして母さんがピンピンしてるんだ!」
「とうとう、この時がやってきたか……」
親父は俯き、呟くように詠唱した。
「『星霜』」
世界の全てが停止し、母さんも、水名も、全ての人物が静止した。
「なっ、時間停止してどうするつもりだ!」
「お前と二人で話がしたい」
親父は簀巻きになりながらも、真剣な表情で俺を見つめた。
「な、なんだよ……」
「息子よ。白状しよう。車の中で話した話は全部嘘だ」
「はあ!? なんだって!?」
「江戸川ドブネズミランドでお前を見つけた時、早池峰の妹がどうとかで深刻そうな感じになっているっぽいから、お前にしゃべらせたんだ。そしたら桜花結界について、ガチトーンで全く見当違いなことをベラベラ喋るから大層驚いて笑っちまいそうになって堪えるのに大変だったんだ。まあ、お前と再会した時に、味方に引き込めないかと、それっぽい感じでしゃべっといたのが功を制したわけだが」
「じゃあ、本当に、全部デタラメなのか?」
「そうだ。『穢れ』についても全部嘘だ。桜花結界は上手くいき過ぎて『穢れ』の感情も上手く処理できてる。それどころか余力があるせいで適当な人妖の願いを拾うことがあって困るから、リンネがデバックに入ったんだ」
「そんな……」
「俺とは全く関係ない早池峰の妹が千年桜の生贄にならないといけないとか、俺が吹き込んだわけでもないのに、おかしな勘違いしてくれたおかげで、かなり都合が良かったんだよなあ。車の中でお前が、自分を犠牲にしたらどうなるか、なんて言い出してきた時なんて、危うく吹き出しそうになって、やばかった」
「このクソ親父!」
ぶん殴りてえ!!
「怒るんじゃない」
「怒るだろ!」
「だが、お前はまだ俺の本当の目的を知らない」
親父は堂々と、そう言った。
「どうせ下らねえ理由なんだろ」
聞く気にもならなかった。
「それはお前がどう思うか次第だ。お前は時間停止能力者の最終系を何だと思う?」
愚問だった。俺はすぐに答えた。
「そりゃあ、ババアだろ」
「そうだ。おふくろのように時間停止状態で全ての物に好きなように干渉することだ」
「まさか、てめえ、その力を手に入れるために、桜花結果を操ろうとしていたのか?」
「浅いな息子よ。そんなわけないだろう」
親父は鼻を鳴らした。
「与えられて手に入れた力など本物ではない。己の努力で手に入れてこそ、本当の力だ」
「なら、てめえの目的はなんだってんだ」
「目的か。今回の行動など、俺の目的の第一段階、いや、前提条件にすぎない。……俺には夢がある。それは誰も抱く平凡な夢だ。そして、それはお前の夢でもある」
親父は俺を見透かすように灰色の目を細めた。
「お前も心の底では望んでいるはずだ」
「俺が望んでいること……だと?」
重苦しい空気が俺達の間に漂っていた。
親父はゆっくりと口を開いた。
「わからないか、息子よ。俺達の夢は、時間停止空間で女の子に好き放題エッチなことをすることだ」
「……は?」
親父が何を言っているのかわからなかった。
親父は切なげに語った。
「俺は孤独だった。この世で唯一無二の時間停止能力者の男である俺は、長い間、孤独だった。だが、息子よ。お前は息子であると同時に戦友だ。時間停止能力者で男であるお前なら分かるだろう。時間停止して好き放題エッチなことをしたいという欲望が」
「はあ? わかんねえな。エッチなことって勝手にやっちゃだめだろ。犯罪だろそれは」
「照れるな息子。お前の目の前に居るのはお前の父親であり、この世で唯一の理解者であり、ただ一人のお前の戦友だ。お前は何のために時間停止物のアダルトビデオを見ている?」
「普通に女優さんの身体がエロいのと、なんか我慢してるのが面白いから」
「人格破綻者かお前は!」
親父は突如激怒した。
「何のために実家に新品の時間停止もののアダルトビデオを見つかる場所に隠していたと思う!? お前をエロスに目覚めさせるためだぞ!」
「知らねえよ! 俺、、普通のアダルトビデオも持ってるし!」
「許せん! 時間停止能力者として、あってはならない思考だ!! 俺が何のために桜花結界を生み出したと思う?」
「ああ? どうせ下らない目的だろ?」
「くだらなくない!」
親父はマジな怒声を上げた。
「桜花結界は創造者である七人の願望を叶えている。神と人間のあいのこである俺は、畜生のラバと同じように神とも人間とも、子を成す能力が無かった。それは生き物としての敗北だ。生命の本質は何だと考える? 自分の存在した証明を、この世に残することだ!」
「ってことは、妖怪と人間の間に子供が生まれやすくなったのも、半神が子供を授かることができるようになったのも、お前の願いだってことか?」
「違う。間違っているぞ息子。それは轍の願いのせいだ」
「轍の?」
「ああ、あいつはレズ野郎だから、同性同士でも子供を賜ることができる世界に、なんて願いを桜花結界にねじ込んだ。その後、桜花結界が国民の感情に影響されて、人外共との子供も賜れるようになったんだ」
「じゃあ、てめえは何を願ったんだ?」
「愚問だな。男が願うものなど決まっているだろう。異種族でも孕ませられる絶倫で大きな一物が欲しいと願った」
「そんなこと真顔で言うんじゃねえ!」
こいつの息子であることが、今ほど嫌になったことはなかった。
っていうか、人外との子供が生まれるようになったのは、どう考えても親父の願いの影響が大きいだろ。
「だが、その願いの代償は大きかった。リンネが妊娠中だったが、調子に乗った俺は、おっぱいの大きい女に誘われたせいで、やばいと思ったが性欲に負けてしまった」
「ああ、そう……」
同情の余地は無かった。
「リンネは因果を操る。俺は大切なものを奪われ、桜花結界を操る轍によって国外追放された」
そう語り終えると、しめ縄により簀巻きになっていた親父は、突如形を失くしスライムのようにとろけ、白い煙を上げて消えた。
そしてどこにいたのか、親父は久作の背後から現れ、ゆっくりとした歩調で、俺の眼前にやってくると立ち止まった。
そして、突如、常軌を逸した行動を取った。
「な、何をしてるんだ!」
「見るがいい、これが全てを失った男の姿だ」
親父はベルトのバックルを外し、ズボンを降ろした。
そこには驚愕の光景が局所的に広がっていた。
「チ、チンがねえ! タマも!」
そこにはなにもなかった!
「てめえ、てめえの息子をどこにやった!?」
「これはリンネの為した悪行だ。鬼の力で因果ごとを奪われたせいで、下半身を吹き飛ばして治癒魔法をかけても、新たなる息子は生えてこなかった」
親父はゆっくりとズボンを上げてベルトを締めながら言った。
「わかったか? 俺は桜花結界を掌握し、大切な息子がこの国のどこに隠されたか調べるために来たのだ」
「……そ、そんな、嘘だろ? 俺はこんな下らねえやつと一緒に、命賭けで戦ってたってのか?」
「そうだ。だが、リンネが姿を現した以上、桜花結界を使役するなんてまどろっこしいことをする必要はない。力ずくで取り戻せばいい」
親父は時間停止を解除し、母さんに向き直った。
雪子以外は、誰一人、コウゲツの出現に驚かなかった。
親父は隙のない鋭い瞳で母さんを見つめた。
「さあ、リンネ。俺の息子を返してもらおうか」




