桜花結界内部1
轍の曼荼羅の上をエメリアが先に歩き、千年桜の洞にたどり着くと、『星霜』が解除された。
俺は早口で合言葉を唱えた。
「『0000 Alohomora0000』!」
どこかで隠し扉が開こうとしているのか、洞全体が震え出した。
「わっぱ、行かせはしまへんえ」
時間停止を解除した瞬間だというのに、赤い袿を広げ、俺達に覆いかぶさるように、俺達の背後には轍がいた。
「暁!」
エメリアが俺を守るように轍の前に飛び出した瞬間、俺は別の殺気を感じた。
「伏せろ!」
エメリアのザル頭をひっつかんで俺は彼女を覆うように大地に抑え込んだ。
ダダダダダダダダダダンッ!!!
洞の中でいくつもの弾丸が爆ぜ、俺や千年桜に当たったそれらは、全てスパゲッティになって弾けた。
俺は轍に殺意を覚えた。
「てめえ、エメリアを殺す気か?」
エメリアは桜花結界の影響を受けない。銃弾が当たれば、命を落としている。
「あぁ。惜しや」
心底楽し気な笑みを浮かべ、轍の姿をしたものは一枚の紙きれとなって消えた。
皓月の方を見れば、そこには轍と久作の二人と戦っている。さっきの轍は幻影だったわけだ。
ガコンッと大きな音が、足元の地面からした。
不意訪れる無重力感。
足元の地面が、まるでテレビ番組のドッキリの落とし穴のように、地の底への口を開いていた。
「な、なんだこりゃ!」
「あ、あかつき!」
地の底へと落下しながらも俺の方へ手を伸ばすエメリアを、俺は掴み、抱きかかえた。
「ん、ん、うぅ……」
腕の中のエメリアがうめき声を上げた。
「おい、どうした?」
「わかんないけど、苦しい……」
そう言い残して、エメリアはぐったりとして、動かなくなった。
「しっかりしろ! おい!」
暗闇の中を、十秒ほど落下しただろうか。
穴の先に明るい空間があるようだった。
俺はコルトを撃ち込む反動で速度を殺し、着地した。
だだっ広い、真っ白の空間だった。
上を見上げても落ちてきた穴は見えない。おそらく魔術により隠されたのだろう。
「エメリア! 起きろ」
抱いたエメリアを降ろし、頬を叩いたが反応がない。呼吸をしているから、意識を失っているようだった。
「非常口は強力な結界と罠がいくつも張られていますからね。いくらエメリア・スパゲッティモンスターが希代のマジックキャンセラーだとしても、それらを数秒で突破しようとすれば、相当の負荷がかかります」
白い空間に、真っ黒のスーツ姿を着てブラウン管テレビを被った変態野郎が立っていた。
親父にぶち抜かれた顔面も今はすっかり回復している。
「クソテレビ……」
俺はエメリアを寝かし、テレビ男と、もう一人の人物に向き直った。
「おい雪子。こんな何もねえ白い空間が、てめえの終着点か?」
「……」
テレビ男の三歩後ろにいる雪子が、クソみてえにまっすぐ俺を見つめていた。
「雪子、今すぐそのクソテレビをぶち殺すか、そいつから離れろ。俺がぶち殺す」
「ま、待ってください! 私は……私は、私の意志で、ここにいるんです」
雪子は俺を見つめて言った。
「桜花結界の必要性はあなただって十分理解しているでしょう? 桜花結界がなければ、『穢れ』が溢れ、国中の銃と爆薬は再び殺人の道具となります。人々を癒す力は失せ、『穢れ』の後遺症に苦しむでしょう。桜花結界は、今やこの国に無くてはならない存在なんです」
「うるせえな」
俺は雪子の言葉を一蹴した。
「桜花結界が無くて死ぬやつは死ねばいいし、殺し合うやつらは殺し合えばいい。『穢れ』に苦しむやつは苦しめばいい。そいつらの大半はこの国の為に、いや、人の為に何もしねえクソ野郎共だ。被害に遭ったか遭ってねえかねえかの違いだけで、この国にいるのは、他人を思いやれねえ、自分は何もしねえ、他人の努力や犠牲を平気で馬鹿にするクズ共だ。てめえはそんなクソ野郎共の為に命を捨てるのか?」
「……この一ヶ月、東京であなたと暮らして、いろんなバカみたいな事がありました。一月前まで、私は今のあなたと同じ事を考えていました。どうして、私がこんな人々の為に死ななければならないんだって」
雪子は懐かしむように俺を見つめた。
「私は私の為に治癒魔術を極めました。私の力で人を殺さないためにです。でも、目の前に命を落としかけた人がいた時、私はその人に死なないで欲しいと願いました。それは私にとって特別なあなただけでなく、他の人妖に対しても同じでした」
「……だからなんだってんだ?」
「私が人を助けたいという気持ちは、本物でした」
雪子は柔らかく微笑んだ。
それは昼間に見たようなクソみてえな笑顔ではなく、彼女が心からそう思っているような儚げな微笑だった。
「だから、私はこの身を犠牲にしなければならない運命を受け入れられたんです。きっと、お姉ちゃんもそうだったんです」
「クソみてえな理由だな」
吐き捨て、雪子を睨みつけた。
雪子は柔らかな表情を崩さなかった。
「てめえは死ぬのが怖くねえのか」
「怖いですよ」
「漫画家になるのが夢じゃなかったのか」
「夢でしたよ」
「エメリアと……、俺達と学校に行くのが、楽しくなかったのか?」
「楽しかったですよ」
雪子は微笑んだまま、瞳から一筋の涙をこぼした。
「だから、私は死ぬんです。私や、あなたや、エメリアのような愚か者の日常を守るために」
「お前が救うことになるこの国のゴミ共野郎になんの感謝もされなくてもか?」
「はい」
「……」
「あの年、あの夏、あなたに出会えて、良かったと思っています」
ああ、くそ。くそったれめ。
てめえは偉い。
他人の為に自分を捨てられるなんて、俺みたいな馬鹿じゃできねえ。
桜花結界は確かに日本に必要だろう。
だが、雪子の犠牲はくそったれだ。
くそったれはくそったれだ。バカは馬鹿だ。弱いやつは弱えし、強い奴は偉い。
この世にそれ以上の事は必要ない。
だから……だから、こいつのやろうとしてることは許せねえ。
『孫よ、強くなれ。力こそがこの世界の道理じゃ!』
あの日のババアの言葉が脳裏をよぎった。
俺は大きく息を吸い、長く吐き出して、それから雪子を見つめた。
「よくわかったよ」
雪子はほっとしたように、表情を緩めた。
そこに江戸川ドブネズミランドで見たような、寂しさや恐怖は無く、確かな決意だけがあった。
「そうですか。それはよかったです」
「よかっただろ。交渉決裂だ。てめえもテレビ男もぶち倒して、俺の正義をぶち通す」
「はあ? 私の話のどこを聞いてたんですか?」
「リベンジマッチだ。てめえの正義は、他人の為に死にてえ。俺の正義は、俺が死んでもお前に生きてて欲しい」
「はぁ!? 何言ってるんですか!?」
雪子が少し顔を赤くした。
だがそんなことは関係ねえ。
「俺は本気だ。構えろ。三秒やる。三秒後にてめえらを倒す」
「戦うのは良いですが、儀式の完了まで、あと三分です。それまでお待ちいただくことはできませんか?」
理解不能なテレビ男の言葉を無視し、俺は瞳を閉じた。
「一」
いつになく心は静かだった。
「二」
世界の全てが静寂に包まれているようだった。
「三」
周囲の全てが凍てついたのがわかった。
だがそんなこと、些細な事ですらなかった。
「『絶』」
世界の全てが静止した。
俺は瞳を開いた。
周囲の触れんばかりの位置に氷の矢が取り囲んでいる。
眼前にテレビ男がいた。
時間停止を克服し、自由に動くテレビ男の稲妻を纏った拳が、顔面に迫ってきていた。
俺は生まれて初めて感じる奇妙な感覚の中にいた。
糸を手繰るように、世界の全てが手に取るようにわかるようなそんな感覚だった。
自分の身に氷が突き刺さるのも気にせず、一歩、深く踏み込んだ。
稲妻の拳を頬を焼かれながら紙一重で躱し、俺の拳をテレビ男の顔面にぶち込んだ。
俺の拳がブラウン管に触れた瞬間、それらは電気に変わり、空気を殴ったような感触だけが残る。
だが、それも全て分かっていた。
ダンッダンッダンッ!!
全力のコルトを三発撃ち込みぶち抜くと、テレビ男の胴体と左肩と右足が吹き飛んだ。
「無駄ですよ。私のエネルギーは電力です。それはこの国に無尽蔵にありです」
テレビ男が無機質な面で言った。
だが、この一瞬、世界の因果が一か所に収束しかけているのを俺は感じていた。
砂漠の中の一粒の砂金を掴むように、俺はテレビ男の右わき腹に思いっきり手を突き立てた。
収束した因果をぶち抜くと、確かな物体を掴み取った。
「まさか……!」
俺が手を引き抜くと、稲妻を迸らせる硬い塊が取り出された。
それは、円筒状のプラグのようなものだった。
おそらく付喪神であるテレビ男の憑代としたブラウン管テレビの中枢パーツ、つまりは核だろう。
核を抜かれたテレビ男は膝をついたが、それでもなお雷撃を放った。
俺はそれを前方に飛び込んで回避する。
「無形になっても核が残るのか。不便だな」
「違いますよ」
膝を折ったテレビ男が腹部を押さえながら、ゆっくりと立ち上がった。
「あなたに憑代を生み出されたのです」
「俺に?」
「あなたは、リンネ様同様、『五道転輪』の力に目覚めたようですね……」
「『五道転輪』? なんだそれは」
「因果を司る力です。因を失くせば果を失くし、果を与えれば因を生む。それは桜花結界による置換の根本を成す力です」
「言ってることわからねえけど、大層な力見てえだな」
「恐るべき力です。ですが、あなたが取り出したのは私の核。千年桜と同等の強靭な結界で幾重も守られています。あなたには傷つける事ができません」
「そいつはなんとなく分かってたんだ。だがな、ここには最強の矛があるんだぜ」
俺は背後にいる雪子に、親指を立てた。
「ぬかりました」
俺は振り返って駆けだすのとテレビ男が稲妻に変わるのは同時だった。
空中に構えられた氷にぶち当たりながら駆けた。
雪子は人の状態から青白い髪と瞳を持つ、雪女の状態に移行していた。
さぞ、強固な『絶対守護領域』を展開しているに違いない。
「喰らえ! このバカ女!!」
稲妻が俺を打ち抜いた。頸椎が、爆発するような衝撃がした。
だが、それは一歩遅かった。
俺はテレビ男の核を、氷の配置されていない雪子の前方二メートル弱、『絶対守護領域』に、叩きつけていた。
瞬間、『絶』を解除する。
時間停止中に衝突したダメージが後払いで襲いかかり、肉体が弾けるのと同時に、『絶対守護領域』にぶつかったテレビ男の核が炸裂した。
とてつもない稲妻が爆ぜたのだけが分かった。




