旧友1
バリケードを通過し、爆発でガタガタになった道を走っていたが、親父は急ブレーキをかけて車を止めた。
「ここだ」
親父が車から降りたので、俺達は後に続いた。
そこは高架下のぼろっちい酒屋だった。
「こんなとこで降りてどうするんだ?」
「近道だ。どうせこの先にもバリケードがあるし、増援も来てるだろう。アメ横迷宮結界で上野公園に渡れば早い」
確かに、ここからはアメ横だ。だとしたら、迷宮結界で上野公園付近まで移動できるだろう。
「そういや、スパ子でも結界通れるんだな」
「我が通れてはいかんのか?」
「エメリアに開けさせなければ結界も影響を受けない。空間を繋げちまえば迷宮結界は魔術的な仕事をしてないからな」
皓月が扉を開けたその瞬間、詠唱した。
「『星霜』」
世界が静止した。
俺は神妙な顔をしている親父に尋ねた。
「なんだ? どうした?」
「エメリアから入れ」
「え? 我から!? なんで!?」
「念のためだ。おら」
「うあっ!」
エメリアが親父に押されて扉を抜けた。
続けて親父が、最後に俺が扉をくぐった。
扉を抜けた先は、上野公園の千年桜直下の広場だった。
千年桜の根元をぐるりと囲む広場は、競技場のように広い。
普段であれば、夜でも妖の絶えない人気の観光スポットだが、千年桜がスパモンに巣くわれてからは立ち入りが禁止されている。
こんな場所に扉なんてないはずだと振り返れば、どこでもドアのように広場に扉だけが設置されていた。
つまり、ここに誘導されたというわけだ。
「やっぱりな」
親父は広場の中央に立つ、二つの人影を見て、不敵に笑った。
一人は、この場に似つかわしくない煌びやかな和装の女だった。
金糸の刺繍の赤い袿、銀糸の施された黒の袴、一つ結び垂髪、豪奢な髪飾りに、踊り子のような精巧な装具。
三千院轍。
右手に金色の長い錫杖を持ち、彼女を中心として、広場全体に曼荼羅が描かれていた。曼荼羅は赤い粉のようなもので描かれており、赤い粉は何で出来ているのか知れない。
もう一人は、濃紺のスーツに白いシャツ、黒い中折れ帽をかぶり、丈の長いブラック・トレンチコートを羽織った男。
万久作。
オッサンは、いつもの変わらぬ服装で突っ立っていた。
轍の曼荼羅が何をしでかそうとしているのか不明だが、エメリアの周囲の地面の模様は消失している。
エメリアのマジックキャンセルが無ければ、俺達は轍の罠の上に足を踏み入れていた事になる。轍がエメリアを特に嫌う理由が分かる。
親父が時間停止を解除した。
五月の夜風に上野公園の葉桜が風に騒めいた。
親父が懐かしむように言った。
「久しぶりだな、久作」
「坊主。俺の警告を無視して、皓君の側についたか」
久作は親父を無視して俺に声をかけた。その隣で轍が嘆息した。
「はぁ~。久作、スパモン娘も居はる。仕舞うておきはったらええのに、どないしてくれはるん?」
「おいおい、轍はともかく久作、お前もガン無視か? 幼馴染との再会だってのになあ」
親父は両手を広げ、わざとらしく嘆いてみせたが、二人は無視した。
「このけじめ、ちゃんとつけてもらいますえ」
「わかってる」
久作の姿が消えた。
「『星霜』」
親父が時を停止させた。
コウゲツの眼前で、殴りかかる久作が静止していた。
久作には不意打ちされない限り、勝利は約束されている。
時間を止めてぶん殴ってぶっ飛ばせば、オッサンはなんの障害にもならない。
「あばよ! オッサン!」
俺はガラ空きのおっさんの顔面に拳をぶち込んだ。
「おい、ばかやめろ!」
親父が声を上げた。
久作を殴った、その瞬間、全てが見えなくなった。
何が起きたのか、全く分からなかった。
感覚がない。
なんだこれは?
目には何も映っていない。
視覚と言うものが全く感じられない。
漆黒だった。
まるで、ゲームをしていて、突然電源が切れてしまったかのような、そんな突然の静寂。
……死?
死んだのか?
俺が?
だとしたら、今考えている俺はなんだ?
我思うゆえに我在りだ。
俺はおそらく、存在している?
じゃあ、この暗黒はなんだ。
何も動かない、感じない、これは、なんだ。
広大な宇宙に放り出されたらこんな感じなのだろうか。
孤独で、拠り所の無い、俺の思考が動くことでしか、時の流れを感じられない。
俺以外、何も存在しない、漆黒——。
「ってめえ馬鹿野郎!」
「暁!」
「っぷはぁっ!!」
喉が爆ぜそうなくらい、ものすごい量の息を吐いて、目を覚ました。
千年桜のうすく輝く桃色の空を背景に、親父とエメリアが俺を覗き込んでいた。
親父はボロボロで、エメリアも生傷を追っている。
「なにが、どうなったんだ……?」
「この馬鹿野郎!」
親父が激怒していた。時間停止中でなければ殴りつけられていただろう。
「轍を相手にしてんだぞ! 下手に手を出せばこっちが取られんだよ!」
「時間停止の最中にか?」
「あいつはな、魔法の天才なんだよ。空想力と技術が人間の域じゃない。時間停止しても物体の干渉は受けるだろ? それと同じで、時間停止中に術者に干渉する魔法を造り上げたんだよ。てめえが受けたのは全感覚を奪う魔法だ。喰らってると身体から受ける情報がなくなった精神がオーバーフローして自壊する」
「は? 狂ってるだろ。なんで時間停止能力者専用の魔法を編み出してんだよ」
「あいつは俺の事が嫌いだからな。なぜかって、轍は天才だが、俺の方が天才だからだ。あいつとは大学で知り合ったが、俺が常に一番であいつが二番だった」
親父は自慢げにそう言った。
多分、親父のこういうところがうざくて、こんな魔法を編み出したんだろう。
「そんなわけで、一度時間停止を解いて再停止することで魔法の浸食を止めて、エメリアに解呪させた所だ」
「それは、悪かったな」
だから二人は怪我をしていたのか。おそらく絶パンチの爆風に当てられ、吹き飛ばされて怪我をしたのだろう。
だとしても皓月のほうはボロボロすぎる。
「親父は何でそんな怪我してんだよ」
「『星霜』を解除した一瞬で久作にボコられたに決まってんだろ。てめーのせいでなあ」
「え? 久作にボコられた?」
「そうだよ」
「でも、オッサンは俺がぶっ飛ばしただろ」
「は? 久作がてめえごときにやられるわけねえだろ」
「いや、でもさっき――」
俺は周囲を見回した。
少し離れた場所に、停止した久作がいた。
「え、なんで?」
親父が一度時間停止を解除したからか、先ほどとは少し位置が違うが、久作はこの場に存在していた。
「『不動』だ」
親父が言った。
「『不動』?」
「『不動』を発動している久作はその場から動かされない。ゆえに無敵だ」
「なんだ無敵って、ガキかよ」
「無敵は無敵だろ」
オッサンとはガキの頃からの付き合いだが、知らない技だった。
どんな技だよ。ズルすぎんだろ。
「んなの、どうやって倒すんだよ」
「がんばって倒すしかねえだろ」
「無敵なら倒せねえだろ」
「倒せなくてもいいじゃねえか。久作と戦うのは楽しいぞ。魔法をどれだけぶち込んでも死なねえからな。好き放題ぶっ放せるぞ」
皓月は心底楽し気にそう答えた。
こいつも、イカれてやがる。
「とはいえ、今は久作と遊んでる暇はねえ。千年桜に入るにはあの洞穴から転移できるんだが、エメリアは転移魔法を無効化しちまって通れない。だから非常口を使う。それで千年桜の中心に向かえ」
「非常口なんてあんのか」
「無いと困るだろ。お前達が洞に辿りついたら『星霜』を解除する。そしたらすぐに合言葉を言え。そうすれば非常階段への道が開ける」
「わかった」
「合言葉は『0000 Alohomora0000』だ」
「なんだのその手抜きパスワードみてえな合言葉は」
「覚えやすい上に、こんな単語観光地で誰も言わねえだろ?」
それはそうだ。
「というか、親父は一緒に行かねえのか」
「轍と久作を無視して千年桜に入ったところで、中で邪魔されるだけだ。ここで片付けて行く」
「一人で倒せるのか?」
「お前みたいな足手まといなんぞ、いないほうがマシだ」
親父は平然とそう言った。
悔しいが、親父のいう事は正しかった。
この場は、次元が違う。
轍も久作も、俺を相手にして、本気など一度も出したことは無かったのだ。
『絶』を扱えるようになったことで、追いついたと思っていた俺は、自惚れも甚だしかった。
「行こう暁」
エメリアが俺の手を取った。
いつの間にか拳を強く握りしめていたようだった。
エメリアは俺のやるせなさを慰めるように言った。
「雪子を取り戻さないと」
「……ああ、そうだな」
俺は顔を上げ、皓月を見た。
「任せたぞ、親父」
「余裕」
親父は俺達にピースを返した。




