桜花結界1
「目が覚めたか?」
走る車のエンジン音が聞こえた。
窓の外でオレンジ色の首都高速の街灯が過ぎ去っていく。
俺は後部座席で寝かさているようだった。身体を起こすと、皓月がハンドルを握っていた。助手席にはエメリアが座っている。
向かう先なんて、聞かなくても分かった。
上野千年桜だ。そこ以外、行く場所なんてない。
エメリアが後ろを振り向いて言った
「暁、情けないですねー。デート中に彼女を攫われるなんてー」
「うっせ」
「うるさくないよ。このままでは雪子は死にます」
エメリアが真面目な顔をして言った。
こいつのこんな顔は初めて見た。
「暁は雪子のことを知らなかったんですか」
「知ってたらとっくに手を打ったっての」
知ってたらずっとマシな話ができた。もっと良い解決策が見つけられたかもしれない。
「おい、クソ親父。説明しろ」
「人に教えを乞うて、クソを付けるんじゃないクソ息子」
「じゃあ、教えろよ親父様。千年桜のために、どうして雪子が死ななきゃいけないんだ」
「それを知って、どうする?」
「千年桜をぶっ潰すに決まってんじゃねえか」
「面白い事を言うな。どうやって壊すんだ?」
「千年桜にエメリアを括り付けて、結界が弱体化した状態でぶん殴ってりゃ、壊れんだろ」
「発想としては悪くないな」
「はあ? お前達親子は揃って頭おかしいのか?」
エメリアが俺を睨みつけた。
親父は口元に笑みを浮かべ、唐突に語り出した。
「少し前の話になる。千年桜は、俺と久作、轍、早池峰、リンネ、天照、ショウちゃんで創った」
「ショウちゃんって誰だ」
「ショウちゃんはショウちゃんだ」
親父はそれを説明する気はないようだった。
「千年桜のアイデアが浮かんだのは、俺が大学の頃だ。ふと思ったんだ。『穢れ』ってエネルギーにしたらやばくね、ってな。そもそも『穢れ』てのは、原爆が人間も妖怪も神も土地も、まとめて吹き飛ばしちまったせいで生まれた荒魂なんだが、とにかくやばかった。それを鎮めるために西京のやつらが、天照の身を三つに分かち、『穢れ』と合わせあたらなる神として鎮めようとしたんだが、見事に失敗した」
「そんなの、聞いたことないぞ」
「国家機密だからな。米カスに迫られてたからって、天照を生贄にしようって発想が雑魚なんだ。五年も本土決戦やってりゃ天才的な魔導士もいなくて、貧相な発想の奴らだけだったんだろうな。当時ガキだった俺や轍にやらせたほうがマシだっただろう」
親父は嘲けるように言った。
「結果『穢れ』は天照の神格を得てこの地に強く根付いた」
「国は何もしなかったのかよ」
「できなかったんだ。戦後でこの国は、米カスの息のかかった宮家の西京、天照の治める東京、露馬鹿に取られた東北の三つに分裂してたからな。朝鮮がドンパチした頃、露馬鹿は北に追い出されて、その後は東京の天照、西京の宮家で対立した。米カスは天照が実は露馬鹿に味方してると疑って、西京に東京を攻めさせた。米カスの支援を受けた西京があっという間に東京を奪ったが、米カスの支援を受けているってのが、西京のやつら以外全員気に入らなかったらしく、周りに掌を返されて、西京は負けて、結局この国は天照が治める神国となった」
「その間『穢れ』はどうなってたんだ?」
「ずっと、在ったさ。天照の神格を得たことで、荒魂のような激しさは無くなり、神としての形を得つつあった。東京と西京が戦っているうちに、穢れの産土神として、各地に神と眷属が産まれ、彼らの穢れた大地を守るようになり、最後に、穢れた大地の外の世界を求めるようになった」
「人を襲うようになったのか」
「そうだ。触らぬ神に祟りなしと言っている場合ではなくなった。天照の統一の下、神国は、『穢れ』を祓うことに力を注いだ。だがそれは上手くいかなかった。彼らの『穢れ』は通常の穢れとは性質が違った。多くの犠牲を出し、成功と失敗を繰り返し、徐々に祓い清めていったが、そのうち神国内部にも膿が溜まり、カルト宗教が産まれ、テロが起きた」
親父は苦虫を噛み殺したようにそう言った。
「敵が変わるだけの、終わらない戦いに俺はうんざりしていた。そんな時、リンネと出会った。期して、久作も帰ってきて、轍と早池峰も久作を見に来た。久しぶりに大学の旧友共の顔を見た時、俺はかつての空想を思い出した。三つ分けたに天照もまだ二人いる。さっそくショウちゃんに連絡を取った。そして、俺達は桜花結界および千年桜を創るために動き出した」
車は高速を降りて、緩やかな長いカーブを曲がり、一般道に下った。
「そして、できた」
「できた、じゃねえよ! 俺が知りたいのは雪子がなんで犠牲にならなきゃいけないかだ。桜花結界の作り方が肝心じゃねえのかよ」
「全く肝心じゃない。むしろ、計画はうまく行き過ぎて、簡単にできた。で、問題はできた後に生まれた」
一般道へ合流する信号で停車しながら、親父は続けた。
「桜花結界は感情に敏感な、混沌とした結界として完成した。しかし、『穢れ』が最も大きなエネルギーとなっている。そのため常に『穢れ』に含まれる苦痛や憎しみ、悲しみの感情に影響され続けることがわかったのだ。それを抑えるには、強靭で善良な精神を必要とする。お前の幼い頃、リンネが、次に早池峰が、『穢れ』に汚染される桜花結界を抑えるために犠牲となった」
「だからって、雪子が犠牲になる必要はないだろ」
「桜花結界をコントロールするには強大な魔力が必要になる。お前の女は早池峰と同じ、日本の原初の神に近い古の雪女の娘だ。ゆえに、轍たちは彼女を犠牲としたほうが、桜花結界に良いと判断したんだろう」
「轍が?」
親父の話に俺は少し疑問を持った。轍は頭こそおかしいが、神国の為に動いている人間だ。そんなやつが年端も行かない少女を犠牲にするだろうか……。
いや、するか。
普通にしそうだ。
「轍ならやるだろうな」
「それに彼女の精神が、善良であることも重要なファクターとなる。他者の為に自分の命を捧げようなんて、普通は考えない」
俺は沈黙した。
親父のいう事はもっともだった。
「この犠牲は、いつまで続くんだ?」
「『穢れ』の浄化はあと数年で終える。今回が最後の犠牲者だろうな」
「……だったら、俺でも良いって事なのか?」
言葉にしてから、はっとした。
親父は苦々しい顔をしていた。
「いや、そういう意味じゃない。魔術的な話を聞いただけだ」
俺は言い訳する様に口にした。
信号が青に変わったが、親父はアクセルを踏まなかった。
灰色の瞳が、俺を見据えていた。
「それはさせない」
後ろからクラクションが鳴らされた。
親父は俺を見つめ、強く言った。
「俺はもう二度と、大切なものを失いたくはない」
しびれを切らした後続車が隣のレーンに避けて俺達を抜いていった。
「それに、焦ることはない。今なら全てを手に入れることができる」
そう言うと、親父は前を向いて、それからアクセルを踏んだ。
ゆっくりと車が加速し始めた。
「俺は、リンネを取り戻すために、この国にやってきた」




