東京ネズミーランド4
夕食後、雪子はホテルの一室で、ダブルベッドに腰を下ろした。
彼女の黒い髪も、白い肩も、後ろ手についたせいで差し出されているかのような赤いドレスのふくらみも、全てが俺の眼前にあった。
「さあ、私とベッドインしませんか?」
雪子は俺に向かって、そう言った。
俺は迷わずコルトを向けた。
「てめえ、気づいてねえなら教えてやる」
「なんですか?」
「クソみてえな笑い方になってるぜ」
雪子はクソみてえな笑みのまま、言った。
「もし、あなたが私だとしたら笑わずにいられますか?」
「俺はてめえじゃねえ。だから俺がてめえだったら笑わねえ」
「そうですか」
「それに俺は飯を食ってる時決めたんだ。俺は俺のちんこを舐めねえ女とベッドインしねえ」
「交渉決裂、ですか」
雪子は自嘲し、俺を見上げた。
「はぁ。私にここまで言わせて、手を出せないなんて。チキン野郎ですね、アカカス」
「へえ、やっと笑いやがったな。じゃあ、くたばるんだな!」
「『絶』」
俺は雪子に向けてコルトの引き金を引いた。
ダンッダンッダンッダンッダンッ!!
撃ち込んだ霊弾の数は五つ。
時間停止中に放った霊弾は、距離減衰はあれど、時間停止パンチと同様、ケタ違いの破壊力を有する。
俺は雪子を死に至らしめず無力化する必要がある。ゆえに、完全に勘だったが、撃ち込んだ五発は『絶対守護領域』を破りつつ、雪子を殺さない火力だ。
俺は『絶』を解除した。
瞬間、『絶対守護領域』は破れ、ぶち抜いた霊弾は、ホテルの部屋を吹き飛ばし、雪子は宙を舞った。
「『絶』」
俺は再び世界を止め、ぶち抜いた壁から飛び出した。
このまま雪子が地面に落下すれば、それこそ命を落とすかもしれない。だから受け止めたほうが良い。
俺の練度では『絶』の支配力が低く、着地により重傷を負う可能性があるため、念のため、着地する寸前に絶を解いた。
俺は落下してきた雪子の下に回り込んだ。
雪子は見るに堪えない姿をしていた。
赤いドレスはもちろん、顔を含む前面の皮膚が吹き飛び、赤い血肉がむき出しになっている。霊弾の威力は調整したが、『絶対守護領域』をぶち抜く必要があったため、この程度の怪我は避けられない。
俺は『絶』を解除し、落ちてきた雪子を受け止めた。
その時、腕の中で雪子が、肉の削げた赤い頬で、笑った。
「あなたなら、こうすると思いましたよ」
瞬間、氷の槍に俺の両脚が貫かれ、腕の中から雪子が転げ落ちた。
「あーあ、ドレス、気に言ってたんですけどね」
弾けた全身の皮膚から青白い光を放ちながら、雪子は立ち上がった。
「てめえも再生者か」
「なんのための治癒魔術だと思っていたんですか? 己を治すために決まってるじゃないですか」
雪子の傷は瞬く間に回復していき、その美しい顔貌を取り戻した。
肉体を再生させると同時に、氷のドレスを作成し身を覆い、青白く煌めく髪と青い瞳を持つ雪女の姿に変わった。
「ふんっ!」
俺は氷をぶち壊して、縫い付けられた両脚を自由にした。
体内に流れる鬼の血により痛みはすぐに引き、肉体が再生した。
「回復できるのお互いは様ですし、言いっこなしですね」
俺達が立っているのは、ホテル裏の広い芝生広場だった。
周囲に人はいない。だが、ホテルの一室をぶっ飛ばした以上、ドブネズミランドの警備隊が俺達の姿を見つけるだろう。
決着はすぐに付ける必要がある。
「ずいぶん余裕そうだな。『絶対守護領域』は無敵じゃない。『絶』で霊弾を重ねれば破れる」
「今の『絶対守護領域』はあなたが破れる程度に張りました。本気ではありません。それに、あなたは万久作さんを傷つけたことありますか?」
「ねえな」
「私は彼を傷つけたことがあります。つまり、魔法強度の点で霊弾では私の障壁は破れないと言えます」
「だからなんだってんだ? んなのやってみなきゃわからねえだろ」
「はい?」
首をかしげる彼女に、 俺はコルトを構えた。
「確かに俺は、久作の野郎に傷をつけたことはねえ。だが、それはあくまで魔法強度の話だ。今日この日、この場所において、俺はお前を倒しさえすればいい」
「攻撃の通せないあなたが、どうやって、私に勝つと言うんです?」
「知らねえのか? この世に最強の魔法なんてもんは存在しねえ」
俺は嘲笑し、『絶』を発動した。
時間が停止し、世界に静寂が訪れる。
俺は数歩歩いて、雪子の右側に回り込んで、絶を解除した。
「お前は勘違いしている。そもそも時間停止能力者の戦いは正々堂々とは程遠い。停止空間の中で、相手を一瞬で殺すことができるからだ」
雪子から俺は瞬間移動したようにみえるだろう。
彼女が俺を追おうとした瞬間、再び『絶』を発動する。
『絶対守護領域』に触れないように、迂回して歩いて雪子の背後に回り込んで、『絶』を解除する。
「お前はいつ来るともしれない俺の霊弾に対し、強力な『絶対守護領域』を使用し続けなければならない」
雪子が慌てて背後の俺に振り向いた。
「つまり、私が霊力を消耗し、敗北すると?」
「そうだ。霊力を消耗し弱体化した『絶対守護領域』は霊弾に破られる」
俺は冷酷にそう告げた。
楽しい。
こうして翻弄していると、時間停止能力を使ってる気分に浸れる。一月前、親父がどうのこうの言ってたのが分かる。
俺は再び『絶』を使い、時間を停止させた。
もう一度雪子の背後に回り込もうとした時、全身に小さな棘のようなものが突き刺さり、痛み走った。
「なんだこれ?」
俺は一歩下がって、腕を見つめた。よく見ると、微小なキラキラした物が突き刺さっている。そして、それが微小な氷の結晶であることに気づいた瞬間、俺は戦慄した。
やられた――。
目を凝らせば、闇夜の中、雪子が生成したに違いない微小な氷の結晶は芝生広場全体に蔓延っていた。
「くそが」
食らっちまったものは仕方ない。
覚悟を決め、『絶』を解除した。
俺の全身の肉が弾け、目の前が真っ赤に染まった。
「っ……てめえ!」
「かかりましたね。この一ヶ月、あなたは手の内を明かしすぎました」
雪子はゆっくりと俺に向き直った。
「時間が停止した状態で物にぶつかれば、あなたは高速で物にぶつかったことに等しいダメージを負います。動けないほど近くを氷で囲めばあなたは身動きを取れませんが、対峙していたら間に合いません。だったら、気づかれないような微小な氷で包囲すればいい。あなたは今、『絶』では抜けられない、氷の牢獄の中に捕らわれたんです」
「だったらよぉ……」
俺は『絶』を発動した。
俺は目に見えない結晶の中、数歩歩いて、雪子との距離を詰めた。
全身に小さな棘が刺さっていく感触があるが、ダメージは『絶』を解除する瞬間の後払いだ。全部食らってやる。
そして、結晶のない場所、雪子の二メートル手前が、おそらく『絶対守護領域』のエリアだ。
俺はコルトをそこに向けた。
『絶』を解除した。
全身の皮膚が弾け、飛び散った血肉が、『絶対守護領域』に触れて存在ごと消えていく。
突然目の前に現れた俺は彼女の予想を超えていたのだろう。
雪子が目を丸くした。
「なんで――」
「歯あ食いしばれ。今全部ぶち込んでやる」
俺は左手で印を刻んだ。
「『絶』」
俺は時間を停止し、ゼロ距離で、全力で霊力を込め、コルトの引き金を引いた。
ダンッダンッダンッダンッダンッ――!!
「これで、死んでたら知らねえからな……!」
ダンッダンッダンッダンッダンッ!!
突如、激しい頭痛がした。
これは反動だ。
『絶』の連発と霊力の消耗により、感覚がバラバラになり、目が回り、吐き気を催して来る。
ダンッ……ダンッ!! ダンッ! ……ダンッ!! ダンッ……
目の前が暗い。口渇がひどい。妙に冴えわたった舌に腐った血の味がする。
ダンッ、ダッ、ダダンッ……ダンッ……!
霊力の感覚がない。全身がブクブクに膨れグローブにでもなったような感覚がする。霊力が収束できなくなり、役に立たなくなったコルトを手放した。
あと、一発、ぶち込んでやる。
焦点が狂い二つの景色を映す瞳が、再び一つの世界を捕えた。全てが明瞭になった。歯ぐきからあふれた血の味、弾けた肉の痛みが、音のない世界の無音が、耳に届いた。
俺は『絶対守護領域』に拳をぶち込んだ。
瞬間、何の感触もなく、水に綿菓子を落としたように腕が溶け、消え去った。
『絶』の維持が限界を迎えた。
握った鋼鉄の扉が指の間をすり抜けていくような、時間の動き出す感覚がした。
瞬間、全ての事象が動き出した。
数十の霊弾と俺の拳が、『絶対守護領域』に衝突し、眩い青白い光が上った。
閃光が上ったのは一瞬で、その光の向こうに、無傷の雪子が居た。
彼女は目を大きく開いて、俺を見ていた。
……届かなかった。
……いや、んなわけねえ。
俺は残された左手で印を刻んだ。
「馬鹿な事しないでください!」
雪子が俺に飛び掛かり、俺を押し倒された。
「まだ、勝負は、終わってねえぞ……」
「負けです! あなたの負け負け!!」
雪子は馬乗りになると俺の顔面をぶん殴り、顔面を押さえつけた。その掌が青白く輝き、俺に治癒魔法をかけているようだった。
「なにをやってるんですか!? 死にたいんですか!!」
「死にてえのは、てめえのほうだろ……ゲホッゲホッ」
「血ぃ吐いて……馬鹿みたい!」
不意に、妙に冷たいものが頬に落ちてきた。
焼けるように痛みを癒すように、それは俺の頬で、じんわりと広がり、ぬるくなって形がわからなくなった。
それは彼女の涙だった。
「何泣いてんだよ」
「……わかんないですよ……そんなの」
俺は左手でさっき落としたコルトを探すのもやめて、されるがままにされていた。
雪子の治癒魔術も合わさり、時間停止で狂いかけた俺の感覚はすぐに明瞭になっていった。
「……首」
「……はい? 首がどうかしましたか?」
「首、飛ばされても、お前が治してくれれば、死なねえかもな……」
「馬鹿な事言わないでください!」
雪子は治癒魔術を止め、俺の頬を強くひっぱたいた。
時間停止で痛覚が狂ったせいで、痛みは感じなかったが、ぶたれた衝撃は芯に響いた。
そのせいか、こいつと暮らし始めてから、ずっと思ってた事が、するりと口から零れ落ちた。
「……お前さ、ユキオだろ」
「え?」
「会った次の日ぐらいに思い出したんだよ。そういやあいつ、おかしかったなって。夏休みと冬休みと春休みと夏休み、なんか四回くらい遊んだよな」
「そうですけど……、遊んだ回数数えるの雑過ぎません?」
「めんどくせえんだよ。なんでお前男だなんて嘘ついてたんだよ」
「それは……、ユキオと名乗った手前もありますが、ひと夏かけてもあなたが気づかないから、次会った時もそういうことにするしかなかったんですよ。女だってバレたら遊びに来てくれないと思ったから……」
「それはそうかもしれん」
「あなた、クソ馬鹿でしたからね」
雪子は微かに笑い、立ち上がった。
霊力が消耗していると俺の再生力は低下するが、彼女の治癒魔術のおかげで傷は全て治っていた。
俺は立ち上がり、千年桜の方角を眺める雪子に尋ねた。
「行く気か?」
「まだ、止める気ですか?」
「俺はてめえに負けた。だから、もう止めねえ」
彼女は一瞬、顔を強張らせ、それから柔らかく笑った。
「そうですか……」
「だが、てめえが行くより先に、千年桜をぶっ潰す」
「え?」
「てめえが犠牲にならなきゃ保てねえ平和なんて、いらねえ」
「正気ですか!? 私に勝てないくせに、そんなことできる訳ないじゃないですか!」
「うっせえ! 俺には考えがあんだ!! てめえは引っ込んでろ!!」
俺が雪子に怒鳴った時だった。
「——いいえ。桜花結界が滅びることはありません」
どこかから男の声が聞こえた。




