東京ネズミーランド3
彼女は長いドレスを摘まんで俺に一礼した。
「どうです? 声も出ないくらい綺麗じゃないですか?」
日が暮れ、夜の帳が降り始めていた。
ホテルの最上階のレストラン前に現れた雪子は、赤のドレスを身に纏っていた。
控えめの照明の下、彼女の黒髪が、赤いドレスの上で露わになった白く細い両肩が、目を引いた。動くたび浮き上がる首筋と、影を作る鎖骨が、息を呑むほど美しかった。
江戸川ドブネズミランドの高級店で雪子はドレスを即決した。その後旅行代理店に向かい、何やら話をしていた。
俺は一億二千万入ったジェラルミンケース持ちとして、彼女についていったが、支払いを済ませ旅行代理店を出てきた雪子は、店員に俺を預け、どこかへ姿を消した。
店員はコーヒーショップに連れてきて、しばらくお待ちくださいと言い残してどこかへ行き、俺は店にあった漫画を読んで時間を潰した。
そして、日が沈みかけた頃、ホテルの最上階に案内された。
目の前の雪子は、言うまでもなく綺麗だった。
なんとか声を振り絞った。
「声くらいはでるわ」
「へー。なら少しは褒めたらどうです?」
雪子はからかうように目を細めて俺を見つめた。
化粧でもしてるのか、いつもより鮮やかなアイラインに、キラキラした微粒子が彼女の魅力を高めるようにささやかに煌めいていた。
「綺麗なんじゃねえの」
「はっはー、ざこー。褒め下手ですね」
「うっせえ」
「行きますよ」
雪子は笑いながら、俺の手を取り、レストランの中へ引いていった。
背中の大きく開いたドレスのせいで、彼女の歩幅に合わせて肩甲骨が揺れ、甘い良い香りがした。
「良い席を、予約してます」
窓際の席に案内された。
窓の外には夕暮れに陰っていく東京が一望でき、スパモン桜が見えた。
スパモンと一体化した千年桜は、一ヶ月かけ元の形に戻ったが、その桜の花の上には、コミカルな二つの丸い眼球が付いている。
今は夜となり、スパモン桜もまどろみと共に瞳を閉じ、闇に沈んでいっているように見えた。
雪子は窓の外を眺めながら言った。
「エメリアもなかなかに顔が良いですけど、私の方が美少女ですからね」
「確かにな、俺はてめえのほうが面が良いと思うぜ」
「え? ほんとですか!?」
喜び振り向いた雪子に、俺は封筒をぶつけた。
雪子は膝の上に落ちたそれを拾い、顔を顰めた。
「なんですかこれは?」
「依頼料九万六千円だ」
俺の苛立った声音に、雪子も声を低くした。
「どういうことです?」
「わかんねえか? 取り繕ったてめえと話してても、面白くねえ」
「一日ただ働きして、今頃返すんですか」
「昨日はデートに誘ってきた女にする態度じゃなかったと反省して受け取ったんだ。だが、こんなクソみてえな気分じゃ飯を食う気にもならねえ」
雪子は、不機嫌に瞳を鋭くした。
「帰りたいんですか?」
「てめえ、何を隠してる?」
質問で質問を返す俺に、雪子は表情を無くしさらに質問を重ねてきた。
「今日は、つまらなかったですか?」
「つまらなくはなかったぜ。目の前で一億稼がれた時は他人事でも、手に汗握ったな」
「それだけですか? 私は今日一日かなりのかわいい美少女だったと思いますが」
「別に今日に限らずてめえは美少女だぜ。なんせ面が良いし、細身でスタイルもいいからな」
「じゃあ、何がダメだったんですか」
「全然ダメじゃねえ。すげえ良い」
「なら、どうしてそんな不機嫌なんです?」
雪子は苛立たしげに眉間にしわを寄せた。
「今日一日、つまらなかったのはてめえだろ」
「私が?」
「そうだ」
俺は、今日一日溜め込んだ、クソみてえな苛立ちを吐き出した。
「今日、一度でも心から笑ったか? 詐欺師みてえな笑顔ばっか浮かべやがって。人をデートに誘っておいて、何がしてえのか、全く分からなかったぜ」
「……一生懸命可愛くなるように笑ったんですけどね。可愛くなかったですか?」
「さっきも言ったように、てめえはクソほど面が良いから、クソ可愛かったな」
無感情に、雪子は鼻で笑い、窓の外に目を向けた。
「ならよかったじゃないですか」
「てめえじゃなければな」
俺は遠くを眺める彼女を見つめた。
「てめえじゃねえクソ面の良い女が、今日のみたいに笑ってくっついてきたら、間違いなくホテルでベッドインしてもいいくらいだが、てめえにやられるとクソほど頭に来るんだ。なんだ、あれは? 何が楽しくて笑ってんだ? てめえは何も楽しくねえだろ」
俺たちの間に、沈黙が訪れた。
遠くのスパモン桜があくびして、それから口を閉じた。
少しして、雪子は髪を掻き、深くため息をついた。
「はぁーあ。これじゃあ、今日の努力は無駄じゃないですか……」
自嘲と俺への軽蔑が混じった声だった。
今日、初めて、こいつの声を聞いたような、そんな気がした。
「知らねえよ。てめえが気色悪いから悪いんだろ」
「さっきは可愛いって言ってくれたじゃないですか」
雪子は不貞腐れたようにテーブルに肘をついて外を眺めた。
「可愛くても気色悪いんだよ。てめえが取り繕ってると」
「そうですか……。あーあ。このあとベッドインさせる予定だったのに……」
「は?」
俺は耳を疑った。
「てめっ、ふざけてんのか!?」
「ふざけてないですよ。ベットインする日くらい、可愛い女でいたかったんですけど。で、いつもの私ならベッドインしてくれるんですか?」
「嘘だ。俺を騙そうとしてる」
「そんなわけないじゃないですか。ダブルベッドの部屋も取ってあります」
雪子はホテルのキーをテーブルの上に置いた。
668号室。
ガチだ!
俺は印を切らず無詠唱で『絶』を発動した。
世界の全てが停止した。
恋人同士囁き合うように話をする瀟洒なレストランから、全ての音が消え去り、世界に静寂が訪れた。
「はあ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」
そして、俺は、大きく深呼吸した。
今こいつはなんて言った?
ベッドインしてくれますか? だって?
ちょっと待て、こいつは今日おかしい。だが、今はおかしくない。張り詰めていた何かが消えて、いつものように戻った感じがする。となると、これはいつものこいつの発言だ。じゃあ、なんだ、こいつは俺とセックスしたいってことか? いや、そんなわけねえ。そんな雰囲気じゃねえ。でもさ、今なら、セックスできるんじゃないのか? セックス。してみてえよなあ。なんか、どんな感じなんだろう。やべえのか? でも付き合った女としたほうが絶対気持ち良いよな。イチャイチャしてさ、照れ合って互いの身体に触れあって……。いや、でもちょっと待て、そう言う話じゃねえだろ。今日のこいつは様子がおかしい。雰囲気はいつも通りに戻ったとはいえ、言ってることがおかしい。なんだベッドインって? ベッドに入ってなにすんだ? やっぱりセックスか? セックスしてえのか? いや、こいつに限ってそんなことはない。いや、セックス以外同じベッドに入ってすることねえか。つまり、これは罠か? 罠ってなんだ? こいつが俺とセックスしてなんの得があるってんだ? ちょっとしたことでキレる潔癖処女みたいな野郎だぞ。セックスする前に、男のちんこなんて口に入れられるのか? 断言できる。こいつには絶対無理だ。ってことは、こいつはセックスしてえわけじゃねえんだ。だとしたら、何か他に理由があるんだ。今日一日、クソみてえに普通の女みてえな笑顔を浮かべて笑わなきゃいけない理由が!
俺は『絶』を解除した。
「てめえ、ちんこしゃぶれんのか?」
雪子の拳が俺の顔面をぶち抜き、俺は椅子ごと後ろにひっくり返って倒れた。
「ちんっ……、そんなものっ、しゃぶれるわけないじゃないですか!!」
「だったらセックスできねえじゃねえか!!」
嘘つきやがったなこいつ!
「ち……なんてじゃぶらなくてもセックスはできます! そんなもの口にしなくても!!」
「は? じゃあ舐めんのか?」
「舐めなくてもできますって!!」
俺は『絶』を発動した。
椅子ごと後ろに倒れたまま俺は考えた。
どうやら、ちんこはしゃぶらなくてもセックスはできるらしい。アダルトビデオでは必ずちんこは口にしてるが、そうしない場合どうするんだ? でもまあ、女がそう言うなら、どうにかなるらしい。だったらベッドインしといたほうがいいんじゃないか。こいつは結局クソ面が良いからなかなかこうも可愛い女を相手にできる機会は人生で限られるかもしれない。いや、まあ俺はババアの血筋だから寿命が長いだろうことは置いておくとしても、こんな面の良い女はなかなかいない。ホテルの部屋も取ってくれてる。完全に据え膳だ。なんだこれ。いっときゃいいんじゃねえか? 別に悪い事じゃない。雪子だってベッドインしてえって言ってるんだ。じゃあ、ベッドインすればいい。なんか問題を抱えているっぽいが、とりあえずベッドインしてから解決すりゃあいいだろう。
俺は『絶』を解除した。
「わかった。飯食い終わったらセックスするぞ」
「え? 急に落ち着いてる。こわ」
俺は椅子を起こして、俺達に注意しに来たであろう店員を手で制して、丁寧に謝った。
その直後別の、店員が前菜を持ってきた。
店員が戻っていき、雪子が口を付けたのを見て、俺も一口食べて、尋ねた。
「で、いいのか?」
「いいのかって?」
雪子が何気ない様子で問い返した。
俺は緊張しながら口にした。
「セ……ベッドインだよ。こういうのは好きな奴とやるもんじゃねえのか? ほんとにいいのかよ」
「いいですよ。どうせ私今日死にますし」
「は?」
俺の手が止まった。
雪子は何でもない事のように続けた。
「今日、私は千年桜に身を捧げ、一つになりますから。今日あなたをデートに誘ったのは最後の思い出作りです」
思わずテーブルを強く叩いた。
気づけば俺は立ち上がっていた。雪子の白い肩が見下ろせた。
「おい、なんだよ、それ」
「静かにしてください。お店に迷惑ですよ」
店員に目を配りながら、冷静に雪子は続けた。
「決まっていた事です。私の姉も数年前に同じように千年桜と一つになりました。そして私が次に命を捧げることも決まっていました。千年桜を維持するにはそうする必要があるんです」
「なんだそれ。てめえは今まで死ぬために生きてきたってのか?」
「違います。死ぬのが分かってて、生きてきたというだけです」
俺は席に腰を下ろした。
「てめえはそれでいいのか?」
「いいですよ。千年桜が無くなれば、この国の平和が失われます」
彼女は食事の手を止めて言った。
「桜花結界が弱体化したあの日の混乱を覚えていますか? あれが私達の生まれる前に人々が戦っていた『穢れ』。桜花結界が必要とされる本当の意義です。仮に弾丸と爆薬をミートパスタに、米をコメヌードルに置換するとしても、桜花結界はこの国に欠かすことができないんです」
「だとしても、てめえが犠牲になる必要はねえ。桜花結界を生み出したのは、俺の親父や轍、久作を含む七人がいるはずだ。そいつらが勝手に作ったんだからそいつらがケツを拭えばいい」
「あなたは、優しいですね」
雪子は微笑んだ。
認めたくないが、こいつらしい今日一番のクソみてえな笑みだった。
「でも、代わることはできません。それが私の役目ですから」
俺はコルトを引き抜いて立ち上がり、雪子に向けた。
「行かせねえ」
「やめてください。あなたに真実を話し始めた時点で、『絶対守護領域』を展開しています。あなたの弾丸は届きません」
「お客様、もし店内で騒動を起こされた場合、即退店していただきます。
メインディッシュを乱雑にテーブルに置き警告する店員を、俺は睨みつけ、席に座った。
「今は美味しい料理を楽しみませんか?」




