東京ネズミーランド2
江戸川ドブネズミランドは大阪を拠点とするデバソニックが運営している。
大阪人情によるものか、ドブネズミランドに入場料は無くゲートは常に一般開放されている。
宗教施設だけでなく、宿泊施設や娯楽施設も揃っており、賭博場とは思えぬほど家族連れもやってきて賑やかである。
それは各国の宗教が密集したせいで警備が厳重となり、争いがあればすぐに鎮圧され、逆に安全性が高くなったかららしい。
ドブネズミランドのゲートをくぐったところで、俺は雪子に一万円札を返した。
「金は大切にしろ」
「あ、ありがとうございます……」
ポケットに突っ込んだせいでくしゃくしゃになった札を彼女は両手で受け取った。
「依頼料もいらねえ。遊んで帰るだけだろ」
俺は胸元に入れていた封筒を雪子に差し出した。
「いいえ、依頼料は受け取ってください。あなたの一日をお借りするわけですから」
「だったら半分でいいだろ」
「だめです! これは私の依頼ですから!」
彼女は強く俺の手を払い、はっとして俺を見つめた。
「ご、ごめんなさい……」
「なんだよ? お前、様子がおかしいぞ」
「……」
「なんか、悩みでもあんだろ」
「だったら、二日分……。二日分だとでも思っておいてください」
雪子は逃げるように、じりじりと後ろに下がり、視線を泳がせて辺りの何かを探した。
「あ、見てください! 教会がありますよ!」
救いを求めるように石造りのバカでかい西洋教会を指さした。壁面には西洋の聖人のレリーフが掘られ、ローマもかくやという、大層豪勢な造りとなっている。
「千葉ネズミーランドにはもう行けないんですから、どうせなら寄っていきましょう」
「この後、博打でもすんのか?」
「しないとも言い切れませんね」
彼女がいたずら気に笑う。
「だったら神道だろ。いや、待て、神道だとしたら天照大御神はやめてもいいか?」
「おかしなこと言いますね。ですが、今日だけは西洋教会がいいんです」
雪子は微笑んだ。
肩上の黒い髪が軽やかに揺れ、幸福げに細められた二重の瞳が、少女らしい笑みを浮かべていた。
普通に微笑む雪子は、普通に可愛かった。
だがその笑みは、胸の奥をざらりと音を立てるように撫でた。
なんだこいつ。こんな風に笑うやつじゃねえだろ。
雪子は上機嫌に、俺を指さして言った。
「依頼料分は働いてもらいますからね」
「ああ、分かったよ」
別に断る理由は無かった。
俺達は西洋教会に向かった。
クソでけえ教会は二千人が入れるのではないかという広さだった。
石造りの太い柱に古い様式のアーチで天井が支えられ、ステンドグラスからは神々しい光が差し込んでくる。
中央奥の祭壇には、桐江の足を洗う摩利亞の大きな像が祀られていた。背に大きな翼を持つ天使が、その脇に控えている。
「なかなかすごいですね」
「かっけえな」
教会には、神の祝福を受けに来るものと、懺悔に来たものが同居していた。
表情を見ればそいつがどっちか一瞬で分かる。祝福を受けに来たやつらは未来の事を考え、懺悔に来たものは過去に跪いている。
俺達は初穂料を払い、祭壇の前で跪き、神父の祝詞を聞いた。
俺は雪子の横顔を盗み見た。
真剣に瞳を閉じ、神に祈っているように見えた。
祈祷を終えた俺達は、ドブネズミランドを散策して食ったり飲んだりした後、西洋教会で祝福を受けたわけだし、どうせなら外国のギャンブルでもやってみるかと、適当な施設に入った。
それが運命の分岐点だった。
「うおおおおおおおお! 見てください暁さん! 三千万! 次、六千万越えますよ!」
「マジかよ……」
雪子は適当に座ったスロットの一回転目で当て、バカ勝ちし、四百万程度の資金ができた。そして今ルーレットで三回連続勝利し、その金額は八倍となった。
フロアの熱狂はやばかった。
「お客様、ベットしますか?」
「もう一回、赤に全額ベットします」
雪子は卓に戻り、宣言した。
ディーラーによってルーレットに玉転がされ、それは雪子の宣言した赤に入った。
「うぉっほぉぉぉぉぉ! 六千万! 六千万ですよ! 暁さん!!」
雪子は俺に抱き着いて、跳ねたが、俺はクラクラしてきた。
六千万? なんだそれは?
ギャラリーも押し寄せ、この店で一番熱いのはこの卓で間違いなかった。
「そ、そろそろやめとけ」
「いや、もう一回勝てる気がします。赤に全額ベッドで!」
雪子は椅子に戻り、強気にベットした。
ルーレットに弾が転がされた。
弾は回転盤の中で軽快に旋回し、徐々に勢いを失っていった。
そして、黒に入りかけた瞬間——ババアの株が急落した時のことがフラッシュバックした――、なんとか山を乗り越え、またもや、赤に入った。
雪子が声にならない悲鳴を上げて、俺に抱き着いたが、俺は目の前が真っ白になっていた。
「一億! 一億ですよ! も、もう一回行きましょう!」
「そ、そろそろやめろって。ここで負けたら全部パーだぞ?」
「大丈夫ですよ! 勝てる気がします。このまま、琴平神社の借金を全部返してさしあげます」
「それは助か――い、いや、だめだろ」
最初に雪子が四百万賭けた時ですら、俺は頭がイカレそうだったが、一千万を超えたあたりから現実味がない。
フロアの熱狂は高まっていた。
雪子と共に、赤に全額ベットする人間が異常に発生していた。
「ふっふーん。次も赤に賭けたら当たる気がします」
雪子は頬を上気させ、自信満々だったが、俺はもう、たまらなかった。
なんだ一億って? 次は二億? 俺が一日働いてだいたい五万だとして、二百回で一億? あれ、一億って結構簡単に稼げる?
「雪子、もうやめとけって」
俺は額を押さえて雪子に言った。
どうせ、止まらない。
こいつは自分の敗北を信じていない。破産するまで、全ベットを続けることしかできないサイコパスだ。
だが、俺の予想に反し、雪子は、すっと落ち着いた。
「それもそうですね。やめにしましょうか」
「え?」
俺は耳を疑った。
驚きよりも、違和感が先行した。
クラクラしていた頭も一度に、冴えた。
やはり、様子がおかしい。
「いいのか?」
「いいですよ。次負けるかもわからないですからね。それに、面白いものも見れましたから」
「なんだそれ」
「暁さんです」
「は?」
「さすがに高額になると、顔が赤くなったり青くなったり、白くなったりするんですね」
雪子はそう言って、クスクス笑った。
「うっせえな」
「それより、これだけ手元にお金があるんだから、ショッピングに付き合ってもらえません?」
雪子はいたずら気に、俺を覗き込んだ。
普段の突き刺すような冷たい瞳はどこにもなく、良い返答が返ってくることを確信する少女のあざとい瞳があった。
「お、おう」
俺は頷くしかなかった。
「やった」
少女のように小さくガッツボーズをする雪子は、まるで雪子ではないように思えた。
雪子がいなくなったルーレットに弾が放たれた。
俺達が離れた途端、ギャラリーは手痛そうな声を上げた。
弾はとうとう黒に入ったようだ。




