東京ネズミーランド1
朝の石神前駅は、山がすぐ後ろにあって、爽やかな五月の空気と、土の匂いがする。
「待たせてますよ」
無人改札の前で、雪子はなじるように言った。
「駅集合にするからじゃねえか。同じ家に住んでんだから、どっちかが待つだろ」
雪子はかなりおしゃれな恰好をしていた。
首元を詰め肩が大きく出ている白黒のボーダーのタンクトップに、立体感のある丈長のディアードスカートで、涼し気な恰好でもありながら甘さがある。それでいて、タンクトップと同じボーダーのカーディガンを首元に撒いていて、少し活発な感じもする。
「冗談ですよ。それに、いいじゃないですか。このほうがデートっぽくて」
雪子はなぜか笑顔でそう言った。
「そういうもんか?」
「そういうもんですよ」
雪子は上機嫌でそう言った。
俺達は券売機で切符を買って青梅線に乗った。
「東京ネズミーランド行ったことあります?」
二等車両の座席についてから、隣の雪子が俺に尋ねた。
「ネズミーランドは行ったことあるな」
「へえ、意外ですね。誰とです?」
「一人でだ」
「暁さんが一人で? どうしてですか?」
「行ってみたかったからな」
「どうでした?」
俺はその時の事を思い出して、嫌な気持ちになった。
「楽しい思い出はねえなあ」
「そりゃ、一人で行ったからですよね。でも二人で行けば、きっと、楽しいですよ。なんたって、女子なぜか行きたがる不思議な場所ですからね。死ぬまでに一度は行ってみたかったんですよね」
雪子は楽しそうにそう言った。
そんな嬉しいもんか? ネズミーランドってやつは。
新宿駅で外郭環状線に乗り換え、八丁堀駅から京葉線でニ十分、葛西臨海駅で降りて、俺達は東京ネズミーランドにやってきた。
「東京ネズミーランドじゃないじゃないですか!」
駅から出て、雪子は目の前に広がる、通称、東京ネズミーランド、もとい、江戸川ドブネズミランドに向かって叫んだ。
正面にはDの形という前衛的なデザインのホテルが立っており、その建物の中央から、江戸川ドブネズミランドのマスコットキャラであるグレーの鼠、ドッキーマウスの巨大な像が顔を覗かせている。
ドッキーマウスは、出っ歯をむき出しにして笑顔を浮かべ、右手にそろばんを握り、左手の四本の指の間には各宗教の象徴である大抜、十字架、数珠を挟んでいる。
「かつての東京ネズミーランドは千葉が名前を取り返して、千葉ネズミーランドになったんだよ。今じゃ東京ネズミーランドって言ったら、江戸川ドブネズミランドだ」
「知ってて間違えてますよね?」
雪子は恨めしそうに俺を睨みつけた。
江戸川ドブネズミランドは葛西臨海駅の南に広がる広大な埋め立て地に立つ、公営カジノ施設群である。八百万の神を信仰する日本は、他国の宗教に寛容であり、国策として取り込み続けてきたため、ここには世界各国の賭博施設と宗教施設が集結した。
公営カジノだから賭博施設があるのは当然だ。
だが、なぜ宗教施設まであるのか。
それは博徒が神に祈り、懺悔する場所を欲する生き物であることと、宗教が己の力を誇示したがる性質が合わさった結果だった。
発端は些細な出来事だった。
江戸川臨海は埋め立て地であり、その穢れを鎮めるため、工事前に国が仏教のどっかの宗派に寺を建てさせた。
その後賭博施設ができたわけだが、その寺が、七福神の加護のお守りを売り始めた。
すると、偶然、そこの寺のお守りを買った者達が爆勝ちし、億万長者を何人も輩出した。
寺の売り上げし、七福神の信仰は鰻登りになった。
そこに殴りこんできたのが西洋教会で、豪勢な神殿を建て、精鋭術師に博徒に祝福を授け、己の神がどれほど偉大であるかを、誇示した。
すると、今度は桐江の祝福を受けた者から、億万長者が生まれ、信仰が集まった。
そして、それを見た他の宗教が……、といった具合で、各国の宗教施設は江戸川ドブネズミランドに集結し、しのぎを削ることになった。
おかげでドブネズミランドには、万国博覧会のように色とりどりの宗教施設が乱立し、各施設の前には一日にして億万長者になった者達、または深く信仰を続けたことで億万長者となった者達の、偉大なるインタビューが掲示されている。
かつて天照大御神の熱狂的な信者であった俺は天照大御神の祝福を受け、この場所で百二十万擦ったことがある。
それからしばらく天照大御神を心から信じられなくなったので、博打はもうしたくはない。
俺は当時を思い出して大きくため息をついた。
「眺めるのはもういいですか? 千葉ネズミーランドに行きますよ。目と鼻の先、あそこに見えてるんですから!」
雪子は川の向こうに見えるシンデレラ城を指さして言った。
そう主張する彼女は意外なほど怒ってなかった。
おかしい。
普段だったらキレるだろう。
こいつの性格からして、これが本当にデートで、こんなことされたら、ブチギレる。人気のない所で、氷の槍で刺されてもおかしくない。
ってことはなんだ。デートじゃなくて何か別の目的があるのか?
というか、本当に俺とデートがしたくて、俺がこんな事したら、普通の女だったらキレるか、泣くかするわけで。
おそらく、これはガチなデートでないだろうことに、俺は安心した。
俺は少し気楽になってきた。
「でもな、千葉ネズミーランドのチケットは予約じゃねえと取れねえんだよ」
「え? うそ? 適当に行って並んだら買えるんじゃないんですか」
「田舎っぺだな。今じゃ全部ネット予約が必要な時代なんだよ」
「あ、あなたに言われたくないですよ! スマホ持ってないくせに!」
「仕方ねえだろ、口座がねえんだから」
借金のせいで口座が開設できないためスマホは所持していない。
スマホだけじゃなく諸々の支払いは現金で行うしかないため、いつも面倒だ。
その時、雪子は駅前に並ぶ露店であるものを見つけた。
「あ! 見てください! 千葉ネズミーランドのペアチケットが景品であるみたいですよ!」
「やめとけ」
駆けだした雪子に声を止めたが、彼女は無視した。
仕方なしに俺は後を着いていった。
その露店はくじ引きで景品が当たるタイプで、千葉ネズミーランドのチケットが飾ってあった。
机の上の段ボール箱の中に、二つに折られて糊付けされたくじが入っていた。
「残り二十枚。だとすると、一万円で手に入るじゃないですか」
「やめとけって、どうみても詐欺だ」
「外れなしだよ」
店主の牛頭の妖怪が愛想なく言う。どうみてもまともな商売をしていない顔つきだ。
「二十回引きます」
「一万円ね」
雪子は聖徳太子御大の札を渡し、箱の中のくじを拾い上げて、全て開いた。
結果を見るまでもなく、外れだった。
店主が紐付き飴を出した。
「五等、二十個ね」
「当たりがないですよ!」
「外れなしだよ」
「景品が残っているのに、当たりがないのはおかしいじゃないですか!」
「そりゃあ、その箱にはなかったかもねえ……はいはい、どいて」
店主は別の段ボール箱を取り出して、机に置いた。その段ボールには、ぎっしりとくじが詰まっている。
「箱はいくつもあるからね。きっと、こっちの箱にあるだろうね」
「そ、そんな……」
雪子はがっくしと肩を落とした。
本当に気落ちしているようだった。
普段だったら店の妖怪にキレるに違いない。というか、そもそも騙されないだろう。
こいつは今日、様子がおかしい。
昨日は朝っぱらから俺を殺しかけておいて、今日はさっぱり忘れているようだった。
怒らせたら三日は不愛想で口が悪いのに、なぜだか、今日は違う。上機嫌というわけでもなく、普通。
つまり普通であることがおかしいのだ。
何か悩みがあるんじゃないかというエメリアの言葉が頭に浮かんだ。
「くそったれが」
俺はコルトを引き抜いて、牛頭に突き付けた。
牛頭は動じず俺を睨みつけた。
「なんの真似だ? 俺をスパゲッティまみれにしてえのか?」
「こいつはオモチャじゃねえ」
俺はコルトの撃鉄を起こした。
「おい牛野郎。一回だけ丁寧に聞いてやる。当たりくじをさっきの箱に入れ忘れたんだろ。だったら金は返してくれてもいいよな」
「金は返さないよ。当たりくじはどれかのダンボールに必ず入っているからね」
「話が分からねえやつだな」
「乱暴しようってのか? 分かってるのか? ここは江戸川ドブネズミランドだ。各国の宗教がひしめき合い、いつだってドンパチが起きてもおかしくない場所さ。そのせいで警察予備隊の精鋭が警備にあたっていて、結界内郭並みにいる。お前はすぐに捕まって地下労働だ」
「それくらい屠殺される牛でも知ってるさ」
牛頭が怒りに唇を震わせたが、俺は顎で、駅広場の中央に立つ、ドッキーマウスの像を指した。
「いいか、あれを見ろ。クソみてえな金メッキのドッキーマウス像だ。今から三つ数える。その横に開いた目ん玉であれがどうなるか見てろ。……一つ、二つ、三つ」
俺は『絶』を発動した。
ドッキーマウスの前まで移動した後、コルトで像をぶち抜き、戻ってきて、さっきまでと同じように牛頭に銃を突きつけた。
『絶』を解除した瞬間、金メッキの像が砕けて空高くまで吹き飛び、バラバラと東京湾に落ちていった。
広場に悲鳴があがり、すぐに警備の武士団が集まってきた。
が、犯人は見つけられないようだった。
牛頭がでかい瞳をさらに大きくした。
「俺達はこの屋台をもう離れる。俺は当たりくじを入れ忘れたお前の手違いを責めてるわけじゃないんだ。ただ間違いがあったなら、そんなちゃちな仕事で金を取っちまったお前も心苦しいだろうと思っただけよ。だがまあ、手違いじゃないっていうなら、仕方ねえ。次の瞬間、どこの何がバラバラになるか、その小せえ脳みそで考えるんだな」
俺は牛頭の横に長い瞳孔を奥まで覗き込み、そして踵を返した。
「雪子、行くぞ」
「ま、待ってくれ! わかった。さっきの箱はちょっとした間違いがあった! お代は返すよ! ほら、サービスの飴ちゃんだ!」
牛頭は聖徳太子御大の札と一掴みの紐付き飴を差し出した。
俺は振り返って、聖徳太子御大の札と飴を受け取った。
「そうだったのか? 悪かったな、こっちがクレーム付けたみたいになっちまって。まあ、誰にでもミスはあるからな。次から気を付けてくれよ」
俺は飴を一つ口に入れて、ボケッとしてる雪子の手を取って、その場を後にした。




