早池峰雪子2
『雪、お姉ちゃんはね、桜の木の下に行かなきゃいけないんだ』
『桜の木の下?』
『そう、日本で一番大きな桜の木の下』
お姉ちゃんはいつもまるで推理ドラマの探偵のように落ち着いた声音で話す。
でも、その日はどこか不安げな声だった。
『いつ帰ってくる?』
『それは分からない』
『なるべく早く帰ってきてね』
僕はお姉ちゃんに見てもらいたい書きかけの絵があった。
お姉ちゃんは僕を抱きしめた。
『雪。僕は、いつだって雪の事を愛してる。それはこれからもずっとずっとだから』
『うん。雪もお姉ちゃんの事大好きだよ』
四月一日、お姉ちゃんはいなくなった。
一年経っても、お姉ちゃんからの連絡は一度もなかった。
僕は、さすがにお姉ちゃんのことが心配になってお母さんに会うため、早池峰山に会いに行った。
お母さんは正直、怖かった。
人も妖も、彼女にとっては些細な存在だったから。
彼女が僕を気にかけていると言われても、そうとは思えなかった。
『お姉ちゃんは今どこにいるの?』
『あの大きな桜と一つになった』
『え?』
『七年後、お前もあの子と同じ場所に行くことになる』
その時、僕の終点は決まった。
私は目を覚ました。
昔の夢を見ていた。
隣の布団ではエメリアが、涎を垂らしてなんの苦もないかのような顔で眠っている。
私は彼女の顔を見つめた。
彼女にも彼女の苦労があるというのに、どうしてこんな幸福そうに眠っているんだろう。
「明日……か」
東京に来て、一ヶ月ちょっと経った。
五月七日、私の誕生日が終着の日だ。
暁さんはカスだったけど、私の生涯の中でも、悪くない一ヶ月だったと思う。
深く、息を吸う。
まだ涼しい五月の冷気が、静かな心に心地いい。
……。
私はしばらくぼっーと何もない壁を見つめていた。
ゆっくりと手を握ると、虚構を掴むような、現実からの逸脱感。
私はここにいるのか、いないのか。
明日には無くなるのが、この身体なのか、それとも心なのか。
目に映る全ての物質の底が抜け、深淵にいるかのような錯覚が、一瞬、私を襲った。
「っ……」
私は自分の身体を強く抱きしめた。
落ち着け。
私はまだ生きてる。
食事の味は、まだする。
でも、最近お腹が空かない。
やり残したことはあるか。
……ない。
わけない。
私は先延ばしにし続けていたことを、最後に、なんとしてもやってみようと、そう決めた。




