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上野千年桜5

『大酒よこの宇宙を飲み込み給え、洪水よ世界を作り替え給え。汝、始めに創りしは光と闇、次に創りしは、山と麦、星々、そして小さき我ら僕達。我は汝が子、卑しき一粒の麦。地を耕し、麦を植え、湯を編む、汝の賞賛者なり。汝、幾星霜の彼方からその紅き瞳で愚かなる民を見つめ、幾千万の御手で我らを導く』


 彼女の周囲はどこか忌まわしさのある不可知の力に囲まれていた。


 エメリアは恍惚と、聞いたことのない耳障りな言語を口ずさんだ。


「『Ph'nglui mglw'nafh Str'p-Bhurrr H'v-nn-ghaa ath'sh-madd'h fhtagn(死せる眠りの中で、ストリッパーとビールが、天国の館にて、狂いながら待っている)』」


 長い黄金の髪が風をはらんで膨らみ、金色の瞳が、混沌の色へと変わった。


 エメリアは叫んだ。


「『我は全てのドグマを否定する!』 その触手で全てを薙ぎ払え! 『地芽吹き、海滴る、空飛ぶスパゲッティモンスター』!!」


 君は、死を終焉だと捉えたことがあるだろうか?


 漆黒の宇宙を、その膨大な世界を思うと、自分はまるで蟻以下になってしまったかのような、その存在の小ささに恐怖を感じる。


 この感覚はわかるだろうか?


 それは宇宙的な恐怖だった。


 世界が暗転した。


 そして、それはどこからもなく現れた。


 巨大な化け物は、おぞましい姿で空に浮かんでいた。


 煌々と、見ていると狂気に陥りそうな空虚な赤い瞳二つ輝いている。


 瞳は胴体から樹木のように生えて中空に浮かび、その胴体は、ミミズのようにうごめき絡み合う幾千の触手でできており、左右に一つずつ存在する肉塊を抱き込んでいる。

 全身から独特な酸の匂いをまき散らす忌まわしき褐色の液体が滴り、神経質に膨張と収縮を繰り返す濡れた触手は、生き物と植物を煮込み練り合わせたような、粘りつく耳障りな音を立てていた。


 まるで宇宙の彼方からやってきたかのような、化け物は、冒涜的な悲鳴のような雄叫びを上げた。


『スビャビャビャビャビャビャビャ!!』


 そして、全てを薙ぎ払えと呼び出された使命を果たすかのように、眼前に存在した己と同じ高さの存在、千年桜に、無数の触手を絡みつかせた。


 ボギッ、バギバギバギッ!! ミシミシ……。


 上野千年桜が音を立てて折られている。


 俺を縛り付けていた魔法はいつの間にか解けていた。


「おい親父! 強力な百八つの結界はどうなってんだ!? てめえじゃなく化け物にへし折られるぞ!」


「……なんだぁ、ありゃあ……?」


 皓月はぼーっと上を見上げ、そして、血を吐いて倒れた。


 おそらく多重詠唱の代償だ。


 あれだけの魔術を行使すればどこかに無理が生じる。


 時が、動き出した。


 上野近辺に存在した全ての人間が、暗転した赤い空と、突如現れた千年桜に組み付く化け物を目にした。


「え?」


 雪子が目を丸くて硬直した。


 悲鳴をあげる前に現実が直視できなかったのだろう。立ったまま動かない。


 隣で、轍が額を押さえ、げんなりした様子で言った。


「わっぱ。これどないしたことや? あの男なんか? 皓月がしでかしはったんか?」


 俺が答える前に、背後から久作の声がした。


「轍。これは一体、どうなってる?」


「久作。今まで何してはりましたん」


「坊主にドブネズミランドあたりまでぶっ飛ばされてな。(ひろし)君はどこだ?」


 ひろし君が誰だか明確ではないが、おそらく、会話の流れ的に皓月のことだろう。


「あのクソ野郎なら、そこで血を吐いて倒れた――っていねえ!」


 さっきまでやつが居た場所には吐いた血の跡以外何もなかった。


「キャリーバッグもないな」


「あほ」


 轍は俺の頭にチョップした。


「あの男は時間停止能力者のくせにして時止めてはる間、物も動かすことできひん。ニホニウムも持ち逃げされてしもたなあ」


「マジかよ……。どう考えても多重詠唱でぶっ倒れてたぜ。あの吐血なんなんだよ」


「本当にせよ、演技にせよ。逃げる手段にしたんだろう。皓君は逃げるのが上手だからな」


「はあ、リンネと雪女がおってくれはったら、楽やったんけどなあ」


 轍が嘆息した。

 そこには聞き逃せない名前があった。


「母さんを知ってるのか?」


「知ってはるも何も、千年桜。創ったんはウチらやねんけど?」


 何となく予想はついていた。


 皓月がかつて千年桜を創り、新たにルールを書き換えようとする者なら、それを阻止しようとするのも、同じく千年桜を創った者だろうからだ。


「母さんは今どこにいる?」


「知らへんの?」


 轍は大きな桜の木を指さして、何でもない事のように、言った。


「桜花結界と一つになったやん」




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