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アメ地下3

「それは――」


 雪子は逡巡しているようだった。


「どうしても、言わなきゃいけませんか」


「ああ、今すぐ答えろ」


『絶』を使う準備は出来ている。勝負は一瞬でケリがつく。


「……わかりました。笑わないでくださいね」


 彼女が深呼吸する音が聞こえた。


「同人誌です。私の描いた」


「……は?」


 思いもよらぬ答えに、俺は雪子を振り返った。


 彼女は耳まで赤くしていた。


「今週末にコミティアがあるんです! どうせ東京にでてきたんだから、最後の思い出に散ってやろうかと思ってまして!」


「はあ……」


 こいつの様子からして、どうやらそれは嘘じゃなさそうだ。


 俺はため息をついた。


 心配して損したじゃねえか。


 じゃあ、このキャリーバッグを奪えば話はお終いだ。


 でも、どうしてだ? この魚人はこのピンクのキャリーバッグに拘るのは。


 異様な形相の魚人を見下ろした時、耳元で低い男の声がした。


「秘密警察だ」


 聞き覚えのある声だった。


 このクソみてえな地下街にいる以上俺は周囲を警戒していた。だが、それでも一瞬で背後を取られた。


 『絶』を使う間もなく、腕で首を極められ、掴まれた右腕は後ろに捻り上げられた。


 その瞬間、俺達を中心に。五芒星の魔法陣が地面に浮かび上がった。


 五芒星の頂点に配置された黒服を着た五人の術師が一斉に詠唱した。


「『急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)天地一如(てんちいちにょ)呪言(のろいこと)響光(ひびきひかり)九字九天(くじくてん)、玄武ヲ以テ縛ヲ成セーー 『地牢(ちろう)』!』」


 大地が口を開けたように二つに割れた。


 瞬間、恐ろしい力で大地に引きずり込まれ、開いた口が閉じた。


 罪人のように、頭だけ地上に出たまま俺は生き埋めにされた。


 普通の土だったら余裕で抜け出せただろうが、かなりの強度の魔術結界のようで、びくともしなかった。


 俺は地上に立つ黒服を睨みつけた。


 黒に近い濃紺のスーツに白いシャツ、紫紺のネクタイ、スーツと同色のズボン。黒い中折れ帽をかぶり、丈の長いブラック・トレンチコートを羽織っている。


 見るからに秘密警察の装いだった。


「おいオッサン、この前仕事を手伝ってやった礼がこれか?」


 若さを失くし張りの無い頬、垂れかけた目蓋に、循環の悪くなった血漿で膨らんだ涙袋。

 髭は綺麗に剃られていたが、それでも皮下の毛根が皮膚に透け青く浮かび上がる……、秘密警察を名乗らず、Tシャツでも着せれば、完全にそこらにいる五十過ぎのおっさんだった。


 男の名は万久作(よろずきゅうさく)


 昔からの知り合いだった。


 情報屋の一件を俺に任せてきたのはこのおっさんだった。


 出会いがしらで半殺してこない、知人の中では最もまともな人間と言えるのが、久作だった。ひっくり返して言えば、半殺さずともどうとでもできるとも言っているわけだが。


「ボウズ、お前が『やつ』と繋がっていたとはな。確かにお前以上の適任はいない。我々は見誤っていたというわけか」


 オッサンは俺を見下ろし、冷徹な声でうそぶいた。どこか独り言のように喋るが、こいつは俺に話しかけている。


「あ? だったらなんだってんだ?」


 やつって誰だ? なにいってんだこいつ?


「引き返せ。これ以上踏み込めば、貴様も、貴様の祖母もただでは済まんぞ」


「はっ、くっそ笑えんな。五年前、ウチを潰そうとしてしっぽ撒いて逃げたのはどこの国の政府機関だ? あ? 忘れたのか、――ッ!!」


 オッサンの革靴が俺のツラを蹴飛ばした。くそったれ野郎め。


「答えろ。『やつ』はどこにいる?」


 靴底が俺を踏みつけにした。地下街のクそみてえな臭いがする。


「っ! てめえなんかに、言うわけねえだろ」


「ボウズ。ガキのお前にはわからんだろうが、大人になると仕事というものがある。仕事というものには責任があり、果たすべき義務がある」


 オッサンはかがみ込んで、片手で俺の頭部を押さえ、右手の人差し指で俺の耳の穴を塞いだ。


 何をするのか、と思った瞬間、これから行われる事を、全て悟った。


 拷問だ。


 指で耳の穴をぶち抜かれ、内耳をぶっちぎられる! 


 それだけじゃすむわけがない。指を突っ込んだまま顎のあたりまでを、一瞬で引きちぎられる!!


 俺はもがき、足掻いた!


「お、おい! 久作! 待て! わかった! 話す! なんでも話すから!!」


「あれ? ボウズにツノなんてあったか?」


 おい! こいつ、聞いてねえ! ぶっ殺すぞ!!


「まあいっか――」


「万さん!」


 秘密警察の誰かが声を上げた時、氷が俺の頭上で砕け散った。


 久作の身体が少しゆらいだが、何の損傷もないように、ゆっくりと立ち上がった。


「——あまりに、あまりにクソ過ぎます」


 久作の視線の先には、雪子が――雪子らしき少女がいた。


 青白くクリスタルように輝く髪に、青い瞳。氷雪を周囲に纏い佇む姿は、一つの妖の名を思い起こさせる。


 雪女。


 俺やおそらく久作も気づかなかったことから、人間への擬態能力がよっぽど高いと言える。


秘密警察(われわれ)の『地牢』から抜けられるとは思ってもなかったな」


 雪子は、全てを睥睨し、氷のように冷たい表情で言った。


「——わかりますか?」


「お嬢さん」


 久作が何か言おうとした時、雪子が指を鳴らした。瞬間、抗う間もなく秘密警察の一人が氷に覆われ凍結した。


「わかりますか? 私の悲しみが」


「退け」


 久作の指示に、誰一人は動かなかった。いや、動けなかった。久作は既に部下が凍結している事を悟った。


 雪子は冷徹に久作を見据えた。


「あなたの部下は生きてます。動けませんが、こちらの声は聞こえます。どうされますか?」


「話を聞こう」


 久作は雪子の出方を伺うついでに、俺の頭を無造作に蹴り飛ばした。


 ゴキッ!


 嫌な音がした。


 首が上がらない。あれ、なんだこれ? もしかして神経だけやられた? 気絶パンチの亜種か?


 雪子はそんな俺をチラと見て、大きくため息をついた。


「私はですねえ、今日、この日の為に、すごい、準備を、してきたんです」


 怒りの感情だろう。

 震える声で、とぎれとぎれにそこまで言うと、雪子は、もう一度大きく息を吸って、全てを吐き出した。


「わかります? 東京のおしゃれな床屋さん探して! かわいいお服用意して! 私は素で可愛いって言われるけど、念のために、流行りの化粧もちょおっとだけ勉強して! 東京の観光サイト見て、こことかいけたらなあとか、ちょっとした予定も考えて! あの人に会ったら何言おうとか、何から話せるかとか、色々考えていたんですよ! それで、それで……」


 なんだかよくわからねえ怒りを吐き出したかと思うと、雪子は徐々に瞳に涙を浮かべ、その雫を落とした。


「同人誌だって、もう、最後だと思って、がんばって、がんばって、作って……。そのせいで中学の卒業式とかも行けなかったし、あ、これは、普通に、行きたくなかっただけ、かも……しれませんが! それでも、もう私には時間がないのに、東京に来て、財布は盗られるし、銃で撃たれるし、魔法ぶっ放されるし、列車にひかれそうになるし、勘違いメンヘラ貧困ビッチって言われるし」


 勘違いメンヘラ貧困ビッチ、気にしてんのかよ。


「挙句の果て、地下の闇市で、ギャグマンガみたいに首だけ出てる生き埋めにされるし。だったら、感覚遮断落とし穴のほうがマシじゃないですか! マシなわけないけど、理解できます! ですが、これは意味不明です!」


 雪子を中心に氷雪が渦巻き始めた。


 彼女は氷雪のドレスを身に纏い、その周囲に幾重もの鋭い切っ先を持つ、氷柱が形成されていく。周囲が凍結していくに従い、雪子の中で霊力が凝集されていくのを感じた。


「よって……、よって! 私が、全体凍結魔術で、腐った今日というこの日、四月一日を終わらせます!」


 霊力の規模からして、大技が来る。おそらく、このアメ地下全てを凍結させるような何かが。


 久作が問いかけた。


「話は、お終いか? キャリーバッグは置いてけ」


「キャリーバッグは私が持ち帰ります」


「お嬢さん。大人には仕事という、果たすべき責任があるんだよ」


 久作は首を鳴らし、両手の指をゴリゴリと鳴らした。


「やりたくない事でもやる。嫌いな奴にも頭を下げる。プライドを傷つけられたと思っても言い返さない。分かるか? これが大人になるという事だ」


「わかりません。そんなの敗者の言い訳です」


「だろうな。お前はまだ若い」


 久作が構え、重心を低くした。


「大人になるという事はプライドを捨てることではない。大人になるとは、全てとうまく付き合うことだ。頭を下げようと、敗北しようと、志が真であれば、全ての障害がお前の力となる」


「だから、何です?」


「敗北を知るがいい」


 久作の姿が消えた。


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