上野千年桜2
「ちょっとそこに寝てください」
「嫌だよ」
「じゃあ座ってください」
「こんなもんつばでもつけときゃ治るだろ」
俺達はアメ地下に向かうことになった――はずなんだが、この女は傷を治すことにこだわった。おそらく自分でやっといて引け目を感じているのだろう。
治癒術師の中では相手を殴っても治せばいいと考えてるロクデナシがままいるが、こいつも同じ類だ。おそらくは、性根が優しい分、気になるんだろう。
傷は痛むし今すぐ治してほしい気分だが、ざまあみろだ。このまま様子をみてやる。
「わかりました」
雪子は表情を失くし冷たい声で言うと、氷の槍を作り出した。それと同時に、いくつもの氷の槍が俺を囲むように生み出された。
「もう一つ傷を増やせば、分かってもらえると信じています」
光の無い黒い瞳が、俺を見据えていた。
「……お前さ、そういうやり方良くないと思うぞ」
俺は降伏し、歩道から離れ、上野公園の芝の上に腰を下ろした。
「服を脱いでください」
氷の槍が今にも降ってきそうに見張っているので、俺はおとなしく脱いだ。
雪子は腹と腕の傷の状態を見てそれから、今日は腕の無い左肩を見た。
「なんですかこの傷は」
「今朝ババアに左腕捥がれたんだ」
「……はあ。やっぱり、どうでもいいです」
じゃあ聞くんじゃねえよ。
雪子は医者のように神妙に俺の身体を観察した。
ちょっと前までの喧しさが嘘のようだ。
電車の中では煽ったが、一級治癒術師は、生まれつき治癒に適した稀有な才能を持っているか、あるいは高度な霊力のコントロールができる人間でなければ、なることができない。
氷の魔術の精度と瞬発力からして、おそらくこいつは後者だ。
「今朝の傷が塞がって皮膚が覆いきっているということは、並外れた治癒能力があるようですね。私の傷も、出血は止まって肉芽が覆っています。たしか大動脈を抉ったはずですが、失血で意識すら失いませんでしたね」
「殺す気だったんじゃねえか!」
「治せばいいんです。治せるんですから」
この発言をする治癒術師は頭がイカれている奴が多い。というかイカれた治癒術師は決まってこれを言う。
雪子は俺の身体をペタペタ触りながら、独り言ちるように声を出した。
「ふーん。へー」
「なんだよ」
「霊撃なんて霊力効率のクソ悪い攻撃をするだけありますね。物理的にも霊力的にも頑丈な身体してます」
「じゃなきゃとっくに死んでるからな」
「ん? ……ちょっと待ってください。あなた、再生者に近い再生能力があって、これだけの霊力を余らせてるくせに、治癒された肉体はこれだけなんですか?」
「馬鹿にしてんのか?」
「いえいえ、ただ不釣り合いだなって。……この感じ、あなた、半神?」
「そんなとこだ」
ババアが神であり、その孫であるため、正確にはクォーターだが、説明する気にはならなかった。
「そうですか。まあ、若干違うような気がしますけど。口上は、神道式でいいですか?」
神道系治癒魔術、仏教系治癒魔術、西洋系治癒魔術など、治癒魔術にもいろいろあるが、系統を持たない魔術も存在する。
そういった魔術の場合、傷病者の信仰に合わせて宣べ口上を変えることができる。たったそれだけで、術の通りが全然違うらしい。
雪子は美しい声音で、恭しく祝詞を奏上した。
『祓い給い、清め給う。掛巻も畏き、天照大御神の御前に、恐み恐みも白さく』
傷に当てた手が青く白く輝き、生暖かくなっていく。これは、痛みの除去でなく、根本的な回復だ。霊力により循環した回復力が、組織と細胞を活発化させ、熱を生んでいる。
『神の御筋なる半グレ某なる者、心安らかに、幸い給うこと、支え給え。早池峰の名の下に、私は彼の者に尽くすことを誓い奉る』
雪子の再生魔術は、祓いと神体授与により再生を図る神道治癒魔術とは全く異なる力だった。
まるで霊力を物質化し、肉体そのものを再構築しているかのようだった。あっという間に傷が塞がっていく。
『彼の者を健やかに歩ませ給えと、守り給い幸わえ給えと、恐み恐みも白す――ホイミ!』
「最弱魔法じゃねえか!」
加速度的に再構築が成し遂げられ、一瞬で腹の傷口が再生し、右腕のほうも完治していた。ババアに捥がれた左腕は戻されていないが、傷口の不快感は全て無くなっていた。
これだけのことをしておいて、雪子に疲労の色はどこにも無かった。
彼女はふふんと笑って言った。
「口で何言ってるかなんて関係ないですからね。宣べ口上で治ったら世話ないですよ。要は腕ですよ、腕。『祈利恵』さんの聖書の一説でも、アンパンマンのマーチを歌いながらでも、私は治せますからね」
確かに優れた技術だった。一級の上に特級があるが、こいつはそこに該当するじゃないかと思った。
「ふふ~ん。見直しました?」
彼女は勝ち誇った顔で俺を覗き込んできた。
「多少な」
「完全敗北でしょう?」
「ケンか売ってんのか?」
「そういえば、あなたの名前はなんて言うんです?」
雪子は上機嫌のまま、俺に尋ねた。普段だったら答える気にならないその質問も、ここまで恩を着せられた上では抗うことはできなかった。
俺は名乗った。
「暁だよ。暁」
「ア! カ! ツ! キ!」
雪子は目を丸くして叫んだ。
「なんで! どうして、アカツキって名前なんですか! あなたが!!」
なんだこいつ、情緒不安定すぎるだろ。気が触れてんのか?
「知らねえよ。母親か父親か、そこらへんが名付けたんだろ」
「でしょうね!!」
叫んだかと思えば、頭を抱えてブツブツ言いだした。
「なんですか、これは……。東京で出会った、最低な人間が、あの人と同じ名前だなんて……」
かと思ったら、今度は、俺の顔面に額を寄せ、鬼の形相で睨みつけてきた。
「いい事を思いつきました。あなた、良いですか? 落ち着いて聞いてください」
「落ち着くのはてめえだろ」
雪子は瞳孔の開いた瞳で言った。
「あなたの名前はアカカスです。オーケー?」
「なんだよ、アカカスって」
「アカツキという名前でありながら、カスだからです」
躊躇せず彼女は言った。
「カスだからって、あなたは上野駅で私の命を助けました。だから、暁さんの名前を半分与えて、アカカスです」
「どうだっていいわ」
名前なんて本来覚えられねえほうがマシだが、正直に名乗ってやったのに、なんだこいつ? 失礼すぎねえか。
とはいえ、俺だけ名乗らされたのが癪なので尋ねてやった。
「てめえの名前はなんだよ?」
すると、彼女は、不意に目を丸くして、二度、まばたきをした。
「?」
それから、クスリと笑った。
「わざとらしいですね? 治癒術師一級免許を見せた時、覚えてるんでしょう?」
俺を見透かした、たしなめるような笑みだった。
バツが悪い思いがして、俺は間髪開けず答えた。
「んなもん、忘れた」
雪子は俺の様子を見て、にやりと笑った。
「じゃあ、改めて名乗りましょう。私の名前は、早池峰雪子ですよ。アカカスさん」




