幽霊の背②
瑞季と奈津美は、お目当ての買い物を済ませて――喋りながら歩いていた。
「この道、狭くて怖いんだよねえ」
地元では四間道路と呼ばれていた。約四間(7.2m)しかない幅に、バスや大型車が頻繁に通る生活道路。
「瑞季――轢かれないでよ。あんた落ち着きが無いしさあ」
奈津美が言うと、瑞季がフンッと抗議する。
「ナツミが落ち着きすぎてるんだよ。あなたさあ、車が突っ込んで来ても木刀で真っ二つにしちゃいそうじゃない? またつまらぬモノを斬ってしまった!とかいいながら」
「こいつ、そこまで言うか――」
笑いながら瑞季の首を絞める奈津美。
こうしている時は本当に――感情が薄いなどと思えない普通の子だ。
「ギブ、ギブ」
瑞季もまた、笑いながら手をタップする。
じゃれあいながら、狭い道を歩く二人。
――その時。
「あ、あれ。猫じゃない――危ないよ」
「え」
道の中央に、迷い出た小さな影。
瑞季が指差す先を見れば、茶色い子猫に猛スピードの自転車が迫っていた。
奈津美の動きは俊敏だった。
猫に駆け寄り――転がりながら助け出す。
「危ねえなバカ!」
自転車の男は走り去り――猫も無事だ。
「ナツミ!ナツミ!」
半泣きで駆け寄る瑞季に、「この子、お願い」と子猫を差し出して、奈津美はまた顔を顰めてうずくまる。
◇◇
――翌日、奈津美は学校を休んだ。
大怪我ではないが、全身打撲で――その日は歩くのも辛いとの事だった。
「というわけで、お見舞いにいくからね、上崎くん」
瑞季が光の机に腰掛けながらいう。
「――なんで僕が、とは言わないけれど。なんで僕だけ誘うのかな、浦部さん」
あの鏡の一件以来――結局は「瑞季」と名前で呼べず、二人の関係は「上崎くん」「浦部さん」のままだった。
「わたしと二人きりが嫌だと申すか――こいつめ」
下敷きでぺんぺんと叩かれながら、光は抗議する。
「渡部さんだって、みんなが来てくれた方が――」
「嫌がるよ」
少し寂しげに、瑞季は言った。
「あんな優しい子なのに。あんな強い子なのに――あの子は、みんなが怖いんだよ。みんなに優しくされるのが、怖いの」
――それは、光にもよく分かる感情だった。
「そうか――そうなんだね。わかったよ――わかったから」
下敷きを奪い返し、逆にバタバタと扇ぎ返す。
「ぎゃースカート捲れるー!エッチー!」
1ミリも捲れていないスカートを押さえながら、わざとらしく大きな声を出して、瑞季は笑った。
――笑って、3人の共通のさみしさを、吹き飛ばすかのように。
◇◇
(なっちゃん――なっちゃん――なっちゃん)
夢の中で、誰かが呼ぶ。
女の声。母ではない。
母はいない――ずっと。
ベッドの上で目が覚めた。
涙が流れている。
なぜだろう――何も悲しい事なんか無いのに。
何も寂しい事なんて無いのに――。
私には友達がいる。
厳しいけれど父もいる。
生活にも困っていない。
高望みしなければ、そこそこの高校に行ける学力もある。
ボーイフレンドはいないけれど、たぶんその気になれば、これも高望みしなければ、いつでもできる。
なんの不自由もない。
私は恵まれた子だ。
私は、幸せな子だ――父も私によく、そう言った。
母がいなくて寂しいかと問われ――寂しくないと答えた時に、頭を撫でながらそう言ってくれた。
私は父に頭を撫でてもらいたくて、いつでもそう答えた。
やがて、頭を撫でられなくなった。
やがて、問われなくなった。
やがて――多忙な父とは会話もあまりしなくなった。
しかし、一人になっても、私には剣があった。
剣を振るえば無心になれた。
いつだって私は無心になれる。
だから私は寂しくない。
だから私は――寂しく――ない――のだろうか。
――本当に。
ならば――
「この涙はなんなのかな」
両手で顔を押さえて、奈津美は今度こそ、はっきりと涙を零した。
「いっそ、みんなが言うように――感情なんかない、氷みたいな冷血女だったら良かったのに」
――なんで。
なんで、親の温もりも知らない自分に、こんな中途半端な「優しさ」が備わってしまったのだろう。
怜悧な心の奥底にある余計な――邪魔っけな――この感情は、なんなのだろう。
包帯だらけの痛む体を、小さく丸めながら――奈津美はまた、泣いた。
◇◇
「ココアのお代わりは――光くん?」
夕暮れだった。
りりせの紫の――アメジストのような瞳がもっとも神秘的に輝く時間。
光は、つい見とれて返事が遅れる。
「光くん?――まあ、そんなに美少女剣士さんの事に夢中になって」
嫋やかに笑うりりせは、先程とは打って変わって、そのトーンには少しの揶揄と、もう少しの慈悲が混じっていた。
――それは、少しだけ、彼女が非人間的な神話の存在に引き戻されたという事なのかもしれない。
黄昏時が――彼女を少し「元の存在」に近づけたのか。
光は、少し人間的な――やきもちやきの姉のように接してくれる、りりせが何よりも好きではあった。
しかし、この神秘的な、生きたステンドグラスのような元天使の――堕天使という言葉は知っていたが、それは使いたくなかった――りりせの姿は、彼の魂を射抜き、釘付けにしていたのだった。
「――いえ、渡部さんの事を考えていたのではなくて、むしろ忘れてしまっていて……」
モゴモゴと口ごもる光を、りりせは怪訝な目でみながら、「はい、お口直しに」とプレーンのクラッカーの皿を差し出した。
パリ。
塩辛く、少しだけ甘い――。
不思議な味を確かめながら、光は話を続けた。




