幽霊の背①
渡部奈津美は、自分が情が薄い人間だと自覚している。
――誰かが怪我をした。気の毒に、運が悪かったねとは思う。
――誰かが亡くなった。悲しいね、でも人はいつか死ぬ、そう思う。
犬や猫は可愛い――でも、人間より先に死んでしまうから飼いたくない。
それに、いくら可愛くても、お金で買った家族だと思うと、愛しきれない。
愛も思いやりも道徳心も人並みにはあると、自分では思っている。
しかし、悲しむべき時にワアワア泣くのも、喜ぶべき時に飛び跳ねて喜ぶのも、なんか苦手だ。
14歳にして、情が薄いと自覚する、そんな娘だった。
奈津美は剣道部に所属していた。
剣道は幼少時より嗜んでいたし、才能もあったとは思う。
嫌いではなかった。
部からも期待されていたし、いずれ大きな大会で優秀な成績を残すに違いないと誰もが言った。
しかし、一年の夏、奈津美はあっさりと退部してしまった。
剣道部に問題があったわけではない。
ただ――全国的なニュースで流れた、最低の犯罪事件の犯人が剣道有段の指導者だったというだけだった。
武道は心を鍛える、というのは嘘だ。
そう思った瞬間に興味が失せたのだった。
(それなら、家の庭で我流で木刀でも振ってた方がマシだ)
よほど心を無にできる。
よほど清々しい。
クラスの変わり者女子、二人目。
あだ名――剣豪ナツはそんな娘だ。
◇◇
その日の放課後。
ナツは誰もいない自宅の庭で一人、木刀を振っていた。
既に、彼女にとっての剣は「勝敗」ではなく、己の中の雑音を消し、世界を「無」に書き換えるための儀式になっていた。
ヒュン――。
汗が飛び散る。
ブン――。
太陽が、眩しい。
(無音だ――無心だ。いま、私の思考を遮るものも、私の感情を波立たせるものも、何もない)
(――ちゃん……)
え。
いま、誰か――。
(なっちゃん――)
「誰っ!」
後方から聞こえる声に、反射的に振り向き、叫んだ。
そこには――
尻餅をついたオカミズ――浦部瑞季がいた。
「うわあ、こ、こっわ! あたしの後ろに立つなって奴? 奈津美やっば」
ふう――。
なんだ、というため息一つ。
「変な声出すからだよ。何よ、なっちゃんなんて、今まで呼んだ事ないくせに――」
「へ?」
瑞季はキョトンとして、ポニーテールを直しながら、少し気持ち悪そうに言った。
「声なんかかけてないよ。今、来て――一生懸命だったから声をかけ辛くて見ていただけ」
「――え。だって確かに――」
怪訝そうに奈津美は眉をひそめる。
でも、たしかに瑞季は「なっちゃん」なんて呼ばない。
「そんな事よりナツ! 本牧の鏡の話!上崎くんがね、バリン!って割っちゃったんだよ!」
瑞季の熱量に、ナツは冷めた視線を向ける。
「……それで? 鏡を割ったから、何。過去は消えないし、未来も来ないでしょ」
「――相変わらず反応が薄いなあ。ねえ、もしかしてクール剣士キャラでバトル少女グランプリでも狙ってる?」
「そんなものあるんだ?」
「いや、たぶん無い。テキトー」
ぷっ。
どちらともなく、吹き出した。
二人は仲良しで、ご近所で、今日もこの後――買い物に行くところだったのだ。
(ナツミ、美人だし――付き合いも悪く無いし、ちゃんと優しい子なのにな。なんで感情が薄いなんて話になっちゃうんだろ)
瑞季は、奈津美の着替えを待ちながら考える。
(お父さんが厳しいんだっけか。離婚したお母さんとは――まあお父さんについてくるくらいだから、あんまりなのかな。そのせいかな――)
母に甘えた記憶がない、以前奈津美はそう言っていた。
(――甘え方がヘタなんだろうな。まあ、凛としてる奈津美はカッコいいけど)
時々、少し辛そうだな――。
そんな風に見える時がある。
母のいない奈津美と、父のいなくなった瑞季。
2人が、不思議と気が合うのは――何かそういう、縁みたいなものなのかな、と瑞季は少し寂しそうに笑った。
◇◇
「――はあ」
りりせは、またため息をついた。
少しアンニュイな――しかし微かな呆れが混ざった視線を、上崎光に送る。
「それでその、美少女剣士さんのお話には、まだ光くんは登場しないようですが――このあと関わってしまうのですよね。光くん、女の子に頼られると――ほんとうに光の速さで転んでしまいますものね」
言いながら、ミルクココアのお代わりを注ぐ。
――どうやら、家中のティーポットを全て割ってしまい、新しいのを注文中らしかった。
「ええと、りりせさん。なにか僕の事、誤解してますよね……」
ココアをすすりながら、光がおずおずと言う。
「まあ、お年頃の男の子だから仕方ないとは思っていますよ――でも、以前にも言いましたが、もうすでに光くんは、呼ばれ始めている。自覚しないと、いつか怪異に取り殺されてしまいますよ。こんなふうに――きいっ、て」
りりせは指で目を吊り上げる仕草をして、怖い顔を作ろうとする。
その仕草が――あまりにも可愛くて、つい光は小さく笑ってしまった。
――クス。
りりせは、真っ赤になって口を手で押さえた。
「まあ、笑うなんてひどい」
一言言って――拗ねたように斜めを向きながら、ココアを啜る。
「やはり、お茶でないと物足りませんね」
悲しそうに呟くと、黒猫サイモが呆れたように「ミャオ」と鳴いた。不器用な自分のせいだろ――と、光には確かにそう聞こえた。
「あはは、ココアも美味しいですよ。で、続きを話しますね――」
少し拗ねているりりせは、人間的で――とてもあの神秘的で威圧的な――元天使と同じ存在とは思えない。
光はそんなりりせに堪らなく惹かれながら、続きを語る。




