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シシルナ島物語 天才薬師ノルド/蠱惑の魔剣/牙狼の王  作者: 織部
牙狼の王

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春を待つ種


「完成だぁ。次に、祝祭で売る蜂蜜飴を量産しないといけないね」

「じゃあ、孤児院を作業場に移しましょう!」

 チャリティ用の超高級蜂蜜飴は、すでに製薬を終え、ノルドの収納庫の中だ。


 ――もはや蜂蜜飴とは呼べない。

 艶やかな飴の形をした、高級ポーションだった。

「そうだね。準備を進めておいて!」

「はーい。容器と箱も手配しまーす!」


 リコとサラは、ヴァルの引く荷車に道具を積み込み、孤児院へ移動する。久しぶりの荷車仕事が嬉しいのか、ヴァルは尻尾を大きく揺らしていた。

 ノルドは、一人で妖精王の神殿へ向かうことにした。


 目を閉じていても歩けるほど慣れ親しんだ場所。

 実家の裏に広がる、魔物の森。

「疲れてない?」

 ふわりと現れた妖精ビュアンが、ノルドの肩に腰掛ける。


「うん。とても気持ちが良い。森の空気も、懐かしいよ」

 湿った土の匂いがした。木々の間を抜ける風も冷たい。

 けれど、不思議と胸の奥は温かかった。


「良かった」

 ビュアンが嬉しそうに笑う。

「ところで、どこに行ってたの?」

「エルフツリーと精霊たちに挨拶よ! 特に問題は無いって」

 今日は、ビュアンの声もどこか穏やかだ。


 ――静かだ。

 森は、驚くほど静まり返っていた。

 魔物の気配も薄く、枝葉の揺れる音ばかりが耳に残る。

「でも、久しぶりに妖精王様に会うのに、献上品が何も無い……」


「そうね。でも、パパが喜ぶものは、この大陸には無いわ」

 少し困ったように、ビュアンが笑う。

 そんな会話をしているうちに、妖精王の神殿が見えてきた。


「あ……これは駄目だ」

 ノルドの表情が曇る。

 かつて彼が実家で暮らしていた頃は、神殿の周囲を毎日のように掃除していた。

 もちろん、神殿の中もだ。


 冬枯れの落ち葉や折れ枝を箒で集め、石畳の隙間まで丁寧に掃く。

 近くを流れる小川も同じだった。

 真冬の冷たい水にも平気で飛び込み、流れ着いた泥や枯葉を拾い集めていた。


「小さい頃は、排水口の蓋すら重くて動かせなかったけどね」

 懐かしそうに笑いながら、ノルドは、彼が昔作った用具倉庫から古い箒を手に取った。


「あっ、まだ残ってたんだ」

 柄は擦り減っていたが、手には妙に馴染む。

 ノルドは自然な動作で掃除を始めた。

 落ち葉を集め、石畳を掃き、小川に溜まった泥を掬い上げる。


 その姿を見ながら、ビュアンは小さく微笑んだ。

 一国の王になった男が、無言で神殿の掃除をしている。

 けれど、その背中は昔と何一つ変わっていなかった。


 むしろ今の方が、どこか楽しそうですらある。

 ノルドは神殿の中へ入ると、さらに丁寧に掃除を始めた。

 祭壇の埃を払い、床を磨き、壁の汚れを拭き取っていく。

 まるで、長い間留守にしていた家へ帰ってきたかのように。


「お待たせ。ガレアさんとは約束したのに……ちゃんと言っておかないと駄目だね」

 苦笑しながら、ノルドは収納庫から新しい蝋燭を取り出した。

 燭台に一本ずつ火を灯していく。


 静かな神殿に、柔らかな明かりが広がっていく。

 その光景を見た瞬間、ビュアンは安心したように目を細めた。


 ――ああ、やっぱり。

 揺れる灯火の影が、静かな神殿の壁の彫刻を映す。

「ノルド、精霊王様の呼び出しに応えて、参上しました」


「よく来たな。お前の活躍はビュアンから聞いた。獣の王になったそうだな」

 壁の精霊王の彫刻から、重い声が響く。

 神殿を震わせるような、崇高な声だ。

 だが、その音には怒りも苛立ちもなかった。


「獣王国の王になりました。それで、どういったご用向きでしょうか?」

「ああ、要件なら済んだ。お前の顔を見たくてな」

 ノルドは、少しだけ首を傾げた。


「ノルド、お前には大事な娘。ビュアンを預けている。定期的に島に顔を出すのが条件だった。これからも祝祭には顔を出すように」

「はい……」

 意図が読み取れなかったノルドは、困ったように瞬きをする。


「ノルドったら珍しい表情」

 ビュアンが、楽しそうにノルドの周りを飛ぶ。

「パパは、ノルドのことが大好きなの。だから顔を見たいのよ」

「恐れ多いことです」

 ノルドは、跪き首を垂れた。


「王たるものが軽々しく頭を下げるな。清掃と訪問の礼だ。ビュアン、渡しなさい」

「はーい!」

 ビュアンが、大きな木の実を抱えるように持ってくる。

 その瞬間。揺れていた灯火が、ぴたりと静まった。


 神殿の空気が変わる。森の音まで遠くなった気がした。

 ノルドも、自然と背筋を伸ばしていた。

「これは?」

「エルフツリーの種だ。お前が育てなさい」

「ありがとうございます。大切に育てます」

 ノルドは、両手で種を受け取った。

 少しだけ温かい。


「なんか、生きてるみたいだ」

 そんな感想が、自然と口から零れた。

 こうして、精霊王への訪問は終わった。

 ヴァレンシア孤児院に行き、ニコラの墓に手を合わせる。

 そして、祝祭用の仕込みを始める。

 難しいことをしている訳ではない。

 全員で、分担して楽しく作業をこなす。

 飴を煮詰める甘い匂いが孤児院に広がっていく。


「ノルド、食事にしましょう!」

 リコが呼びにくる。

 また気づかないうちに、徹夜していたようだ。

「あっという間に時間が溶けるな!」

「なんかぁ、ノルド元気。良かった」


「そうかな?」

 ノルドは少し考えてから、笑った。

「うん、楽しい」

 次々に、シシルナ島でやりたいことが浮かんでくる。


「そうだ。ダンジョンに行かない?」

「賛成! 体を動かしましょう!」

 ノルドは、シシルナ島を満喫することにした。

 ダンジョン探索、チャリティ、祝祭……

 最後は、カニナ村での競犬レース。


『アリーマ記念』

 ぶっちぎりの優勝で、ヴァルが勝った。

「ヴァル! ヴァル! ヴァル!」

 一目見ようと押しかけた観客が熱い声援を送る。

 ヴァルも嬉しそうに尻尾を振っていた。


「ノルド、そろそろ国に帰らないと」

「母さん、もちろんだよ。考えたんだ。これからは自分のしたいことにも時間を使おうと思う」

「そう、賛成よ!」

 責務と自由の両立。そこに王の暗い表情は、もはやなかった。


 セラは、その宣言に心から安堵し微笑んだ。

 このようにして、ノルドの短い休暇は終わった。

「ビュアン、ありがとね!」

「何が……それより帰ったら最初にやることがあるわ」


「うん、エルフツリーの種を植えないとね。ビュアンの泊まり木を」

 ノルドは取り出した種を大切そうに見つめた。

 春を待つ土の匂いが、微かに風に乗り届いた。


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