町の最後
中央制御塔へ向かう途中で、町の灯りが三度消えた。
一度目は数秒。
二度目は、それより長かった。
三度目には戻った後も、通りの半分ほどが暗いまま残った。
冬嵐の中を走る車の窓から、シャワルはそれを見ていた。
第五地区と第七地区の事故では、異常が起きた場所が分かっていた。
壊れかけている制御も見えた。
だから最後がどこにあるのかを探せた。
今は違う。
町のあちこちで、同時に何かが揺れている。
「中央まであと何分」
シャワルが尋ねる。
グレンが窓の外を見る。
「二分。ただ、前の通りが塞がれていたら迂回します」
「雪か」
「倒れた街灯です」
「事故?」
「分かりません」
今は分からないことが多い。
それでも車は止まらない。
後ろにはテオとオルドが乗っている。
オルドは膝の上に古い町の図面を広げようとして、揺れる車内で諦めた。
「読めん」
「目が悪くなったか」
シャワルが言う。
「車が揺れてんだよ」
「歳だろ」
「お前、今それ言うか?」
「喋れるうちに」
「縁起でもないこと言うな!」
グレンが前を向いたまま言った。
「元気そうで何よりです」
「お前まで乗るな!」
オルドの声が車内へ響く。
一瞬だけ、いつもの空気が戻った。
すぐ次の警報音が遠くから聞こえた。
誰も笑わなくなった。
中央制御塔は、町の中心から少し西へ外れた場所にあった。
塔、と呼ばれているが、空へ高く伸びた建物ではない。
四階建てほどの頑丈な石造りで、町へ魔力を送り出す大きな設備が集まっているためそう呼ばれている。
今は正面の広場が救難隊と保守班で埋まっていた。
車を降りた瞬間、冷たい風が吹きつける。
建物の上部では、窓の内側から赤い光が断続的に明滅していた。
「状況!」
グレンが入口へ向かいながら叫ぶ。
待っていた責任者が並んで歩く。
「中央供給が三度低下。三回目の復帰後、東・南・北の分配側で同時に過負荷が出ています!」
「西は!」
「交換済みの新経路へ逃がしてます! 今のところ安定!」
「住民被害!」
「現時点ではありません!」
その答えに安堵する暇はない。
「今後は?」
責任者の声が一瞬詰まる。
「中央制御が完全に破断した場合、残っている経路へ一気に流れます」
オルドが足を止める。
「全部か」
「今生きてる経路全部です」
「切れないのか」
テオが聞く。
「切ってます。ただ、間に合ってません」
責任者は手元の紙をグレンへ渡した。
「東は四地区まで切断済み。南は二。北はまだ一地区しか落とせていません」
グレンは紙を見ながら尋ねる。
「完全破断した場合、何が起きる」
「一番可能性が高いのは逆流です」
難しい説明は続かなかった。
中央で受け止められなくなった魔力が、町へ伸びる線を逆向きに走る。
それぞれの地区にある制御設備へ、普段より強い力が一気に入る。
耐えた場所はいい。
耐えられなかった場所は壊れる。
一つなら現場で対処できる。
十箇所、二十箇所と同時に起きれば、救難隊も保守班も足りない。
「どの地区が壊れるか分かるか」
グレンが尋ねる。
「分かりません」
責任者は首を振った。
「新しい設備が耐えるとも限りません。今動いている量と、復帰時に入る量で変わります」
シャワルは建物の中を見る。
「中央そのものは」
「今すぐ全部が壊れる状態ではありません。ただ――」
奥から低い振動が伝わった。
床が揺れる。
天井の灯りが一度暗くなる。
戻る。
責任者が表示を見る。
「戻るたび悪くなっています」
「最後まで何分」
シャワルが聞いた。
誰も答えなかった。
答えられないのだろう。
それでいい。
「中を見る」
グレンがすぐこちらを見る。
「シャワルさんは――」
「危険区域へ入るな、だろ」
「はい」
「入口から見えるところでいい」
オルドが口を挟む。
「俺とテオが中へ行く」
グレンの眉が寄る。
「オルドさんも――」
「俺は魔術使って倒れてねえ」
「七十五歳です」
「最近それ言えば何でも通ると思ってるだろ」
「通したいです」
「現役が分からん古い線だけ見る」
オルドは譲らなかった。
「工具はテオに持たせる。俺は場所を言うだけだ」
グレンはテオを見る。
「必要ですか」
テオは即答しなかった。
中央制御の古い図面を見る。
現在の設備と、過去の経路。
「……必要です」
グレンは短く息を吐いた。
「分かりました。ただし、オルドさん自身は操作しない」
「状況による」
「しない」
「お前、シャワルに似てきたぞ」
「嬉しくありません」
「俺もだ」
シャワルが言う。
グレンに睨まれた。
中へ入る者が決まった。
テオ。
オルド。
現役技師四人。
それだけ。
グレンは入口側に救難隊を置く。
シャワルは建物の一階、中央制御室へ続く扉の手前まで。
それより先へは入らない。
「俺は何をする」
シャワルが聞く。
グレンはすぐ答える。
「待ってください」
「またか」
「得意になったでしょう」
「嫌味か」
「確認です」
グレンは地図を壁へ固定する。
「今やることは三つです」
東・南・北へ伸びる経路を、可能な限り中央から切る。
各地区で溜まっている魔力を減らす。
住民を、もし設備が壊れても被害を受けにくい場所へ移す。
「中央そのものの修理は」
シャワルが聞く。
テオが答える。
「見てからです」
「直せるなら?」
「直します」
「時間が足りなければ」
テオは迷わなかった。
「捨てます」
オルドが横で少しだけ笑う。
「覚えたな」
「何度も言われましたから」
シャワルも頷いた。
「なら行け」
六人が奥へ入る。
中央制御室の扉が閉まる。
そこから先は、シャワルには見えない。
伝声具から声だけが聞こえる。
『東側確認!』
『二系統まだ生きてます!』
『南、古い分配路があります!』
オルドの声。
『そこは先に切るな! 戻りが北へ逃げる!』
テオが返す。
『なら北を落としてから!』
『そうだ!』
『北側、切断準備!』
シャワルは壁へ背を預けた。
何もできない。
正確には、まだ何もしない。
右手は外套の中に入れている。
指は少し震えていた。
二つの最後を抱えてから、完全には戻っていない。
治療師に見つかれば、この場所にいること自体を怒られるかもしれない。
それでも今は来てよかったと思った。
自分が必要だと思うからではない。
ここで自分の仕事が不要なら、それを確かめて帰ればいい。
グレンは避難担当と話している。
「中央周辺、どうだ」
「三街区の住民へ屋内待機解除を出しました。南の学校と西の共同会館へ移します」
「全部?」
「歩ける人からです」
「病人と高齢者」
「車を回してます」
「治療院は」
「ニナ先生が担当」
名前が出た直後、入口から本人が入ってきた。
雪で髪が濡れている。
「呼びました?」
「まだです」
グレンが答える。
「なら何で来た」
シャワルが言う。
ニナがこちらを見る。
「あなたに言われたくありません」
「正論だな」
「避難所側は別の治療師に任せました。中央周辺に動かせない患者がいないか確認します」
「何人」
グレンが聞く。
「今の報告では七人です。全員、搬送できます」
「隊員を付ける」
「お願いします」
ニナはシャワルの前を通り過ぎかけて止まった。
「手」
「今は使ってない」
「見せてください」
「忙しいだろ」
「三秒で済みます」
「無駄だ」
「二秒」
「減ったな」
結局右手を出す。
ニナが指先を軽く確認する。
「震えてます」
「七十四だからな」
「それで全部済ませないでください」
「使わなきゃいいんだろ」
「必要になるまでです」
「分かってる」
ニナは少しだけシャワルの顔を見た。
「本当に?」
「最近それを聞かれすぎて飽きた」
「なら行動で信用させてください」
それだけ言って、また外へ出ていった。
シャワルはグレンを見る。
「口が強くなったな」
「誰かさん相手にしてますから」
「俺のせいか」
「かなり」
「失礼だな」
中央制御室から音がした。
一度。
重い物が内側から扉へぶつかったような音だった。
グレンが伝声具を掴む。
「中!」
『問題なし!』
テオ。
『北側一本落としました! 今の音は切断時の反動です!』
「負傷者!」
『いません!』
「続けろ!」
『はい!』
シャワルは扉の向こうへ風を細く流した。
強く入れない。
内部の作業を邪魔しないよう、足元と壁際だけを通す。
返ってくる感触を拾う。
中央制御。
大きい。
今まで止めてきたものとは、押してくる広さが違う。
一箇所の亀裂ではない。
東。
南。
北。
複数の流れを一つの制御が抱えている。
どこか一つを失うたび、残った場所へ負荷が移る。
それでもまだ、自分で戻ろうとしていた。
弱くなる。
戻る。
また弱くなる。
戻る。
「まだだ」
シャワルが呟く。
グレンが聞く。
「最後ではない?」
「ああ」
それだけ伝える。
中の技師たちにも通信される。
『了解。作業続行します』
誰も急に安心しない。
十分ほどで、東側がほぼ切れた。
南も半分。
北が遅い。
古い経路と新しい経路が混じり、切る順番を間違えれば別の場所へ負荷が飛ぶ。
オルドの声が伝声具から何度も飛ぶ。
『そこじゃない! 一本手前だ!』
『これですか!』
『それ! でもまだ切るな!』
『いつ!』
『テオが南を落としてから!』
別方向からテオ。
『南あと十秒!』
『聞いたな!』
『はい!』
現役技師が返す。
誰もオルドの手だけを待っていない。
オルドは場所を教える。
実際に切るのは今の設備を扱っている人間だ。
シャワルは、その声を聞きながら少し笑った。
四十年前ならオルド自身が全部触っただろう。
今は触らない。
自分と同じように、少しずつ仕事の形が変わっている。
「中央周辺、避難残り五十八!」
外から報告。
グレンは地図を見る。
「西へ偏らせるな! 共同会館がいっぱいなら学校側へ!」
「学校側、あと百人入れます!」
「そっちへ!」
人数が減る。
五十八。
四十九。
四十二。
中央の表示は悪化している。
弱くなった後、戻るまでが長い。
シャワルの右手が外套の中で動いた。
まだ。
三十六。
中央制御室。
『南、切断完了!』
表示が一つ落ちる。
残るのは北と一部の西。
西は新しい経路へすでに多くを逃がしている。
北だけが重い。
「北が終われば?」
グレンが聞く。
シャワルではなく伝声具へ。
テオが答える。
『中央を止められるところまで持っていけます!』
「修理は!」
短い沈黙。
『……難しいです』
初めて、その言葉が出た。
グレンの目が細くなる。
「難しい、じゃ判断できない。直すのか捨てるのか」
今度は答えが早い。
『捨てます』
テオだった。
『中央制御そのものは諦めます。地区側を全部独立させて、新しい制御へ後から組み直す』
「必要時間」
『北を切るまで二分。そのあと残留魔力を抜くのに三分』
五分。
グレンがシャワルを見る。
「五分です」
「俺に五分持たせろと言うなよ」
「言いません」
「ならいい」
「今の制御が自分で何分持つかを見ながら、できるだけ進めます」
「ああ」
それでいい。
避難残り二十九。
北側切断まで一分半。
中央制御が一度大きく落ちた。
戻らない。
シャワルの身体が反応する。
右手が外套から出る。
グレンも見る。
数秒。
表示が戻った。
遅い。
それでも戻った。
シャワルは手を下ろす。
「今のは?」
グレンが聞く。
「まだ」
「分かりました」
また待つ。
避難二十一。
北側、一分。
中央制御室から火花の音。
『北側の外装が割れた!』
「人は!」
『無事!』
『続けるぞ!』
オルド。
『次の一箇所で北が分かれる!』
「何秒!」
『四十!』
グレンが避難側を確認する。
「残り十六!」
時間が近づいていく。
シャワルは床へ流した風へ集中した。
戻る。
まだ戻る。
でも薄い。
最後は近い。
「ニナから!」
隊員が叫ぶ。
「中央西住宅、動かせない患者七人、全員搬送完了!」
「残り!」
「住民全体で九人!」
一桁。
シャワルは息を吐いた。
中から声。
『北、最後の切断入ります!』
オルド。
『テオ、先に受けろ!』
『受けます!』
『今だ!』
重い音。
表示が跳ねる。
北の線が一つ消える。
残った魔力が中央へ戻る。
制御全体が強く光った。
次の瞬間、一気に暗くなった。
戻らない。
シャワルの右手が上がった。
「来る」
グレンの顔が変わる。
「避難残り!」
「六人!」
「中!」
『北切断完了!』
テオ。
『でも中央が――』
オルドの声が重なる。
『シャワル!』
老人の声だった。
四十年以上聞いてきた。
修理が間に合わない時。
自分が止めるしかない時。
何度も呼ばれた名前だった。
シャワルは風を通す。
中央制御の最後へ。
だが、止めない。
まだほんの少しだけ余地がある。
戻る力が完全に消えたのか。
最後の一線がどこにあるのか。
それを見極める。
「中の全員、出ろ」
グレンが命じる。
テオが反発する。
『残留魔力を抜かないと!』
「今やるな!」
『でも五分――』
「修理は捨てたんだろ!」
声が響く。
「人を先に出せ!」
短い沈黙。
『……了解!』
足音が始まる。
技師たちが制御室から退避する。
住民残り四。
中央制御はもう戻らない。
今まで持ち直していた光が、ゆっくり暗くなり続けている。
最後は近い。
シャワルには分かった。
十秒か。
二十秒か。
もっと短いかもしれない。
「住民残り二!」
「中の技師、あと三人!」
「オルドは!」
『最後だ!』
聞き慣れた声。
シャワルの眉間に皺が寄る。
「老人が最後まで残るな!」
『お前が言うな!』
それでも足音が近づいてくる。
テオが先に扉から出た。
続いて技師二人。
オルドも出る。
「全員?」
グレン。
テオが数える。
「全員です!」
「住民!」
「最後の二人、避難車へ!」
「区域外まで!」
「あと少し!」
シャワルは中央制御を見る。
目ではなく、風で。
戻らない。
亀裂が全体へ繋がっていく。
もし今完全破断すれば、切り離しが終わった地区は耐える。
だが、中央内部に残っている魔力がまだ多すぎる。
逃がす前に壊れれば、今度は制御塔そのものと周辺経路へ一気に流れる。
地区側を切っただけでは足りない。
まだ、残ったものを抜かなければならない。
「全住民、区域外!」
報告が響いた。
グレンが息を吐く。
「人は出ました」
シャワルは頷かない。
「まだ終われん」
テオが表示を見る。
すぐ意味を理解する。
「残留魔力です」
「ああ」
「抜く時間が要る」
「何分」
テオは計算する。
三秒。
五秒。
「最短でも二分半」
グレンが顔を上げる。
「中央は?」
テオは答えられない。
オルドも黙っている。
シャワルだけが、風の感触を知っていた。
二分半はない。
絶対にない。
「間に合わんな」
誰も否定しなかった。
外で冬嵐が鳴る。
町の灯りがまた一度消えた。
今度はすぐには戻らない。
中央制御の光が、さらに弱くなる。
シャワルは右手を見た。
震えている。
身体は重い。
二つを止めた疲れも、さっきの中継所で使った負担も残っている。
治療師からは、必要な時だけ使えと言われた。
その必要な時が来た。
「シャワルさん」
グレンが呼ぶ。
声に迷いがあった。
頼めば、この老人がやることを知っているからだ。
シャワルはグレンではなくテオを見る。
「二分半で抜けるんだな」
「……はい」
「オルド」
「何だ」
「昔なら何分」
オルドは少しだけ顔を歪めた。
「俺ら二人なら、三分って言ってた」
「遅いな」
「今の奴らの方が速い」
「そうか」
シャワルはテオたちを見る。
若い技師たち。
グレンの救難隊。
外にはニナもいる。
住民はもう出した。
やることは決まっている。
自分が時間を作る。
その時間で、あいつらが残った魔力を抜く。
いつもと同じだった。
違うのは、相手が町の根元だということだけ。
シャワルが一歩前へ出る。
グレンが腕を伸ばしかける。
止めなかった。
オルドも何も言わない。
「二分半」
シャワルが言う。
テオが頷く。
「作ります」
「違う」
テオの顔が上がる。
「お前らが二分半で終わらせろ」
シャワルは中央制御へ向き直った。
「俺は、その間を終わらせない」
右手を上げる。
まだ魔術は発動しない。
一度、息を吸った。
目の前では、町の中央を支えてきた制御が最後の一線へ届こうとしている。
今まで何度も見た。
工房。
水路。
治療院。
昇降台。
そのどれより大きい。
そのどれより強く、終わろうとしている。
シャワルは震える指を開いた。
「準備しろ」
背後で、人が動き始める。
テオたちが残留魔力を抜く経路へ走る。
グレンが退避路と時間を確認する。
オルドが古い図面を広げる。
誰もシャワルの次の言葉を待って立ち止まらない。
それでいい。
彼の仕事は、彼らを動かすことではない。
彼らが仕事を終えるまで。
最後の一頁だけを、めくらせないことだった。




