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何秒持ちますか

「シャワルさんに、何秒持ちますかって聞くな」


現場へ到着して最初にグレンが言ったのは、それだった。


部下の救助員が、少し驚いた顔で振り返る。


「でも、持つ時間が分からないと――」


「逆だ。こっちが何秒で終わらせるかを決める」


グレンは歩みを止めなかった。


前方では共同洗浄場の裏手が封鎖され、保守班が地下へ続く階段の周囲を空けている。

地面の下から、一定の間隔で鈍い震動が伝わってきていた。


今回は昇降台ではない。


東区の共同水路から枝分かれした一つの区画で、圧を抑える魔術が不安定になっている。


地下の作業路には保守員が二人残っていた。


一人は歩ける。


もう一人は、崩れた足場材で足を挟まれている。


さらに悪いことに、水路の圧を抑えている魔術は完全に壊れる直前だった。


それが消えれば、大量の水が作業路へ流れ込む。


シャワルはグレンの横を歩きながら、簡単に説明を聞いていた。


「入口から二人まで何秒」


「救助員が走れば十二秒です」


「挟まった足を外すのは」


「現地からの報告では、固定具を一つ切れば抜ける。ただし水圧で床が揺れている」


「切る役は」


「保守班の技師を一人入れます」


グレンが即答する。


以前とは違う。


何をするかが、シャワルを見てから決まっていない。


すでに必要な人間が選ばれ、手順も組まれている。


「戻りは?」


「負傷者を担架へ乗せる時間を入れて二十四秒。入口まで十九秒」


「合計」


「五十五秒」


グレンはそこで初めてシャワルを見る。


「五十五秒で終わらせます」


シャワルは地下から返ってくる震動を足裏で感じた。


「分かった」


「持ちますか」


若い救助員が思わず尋ねた。


グレンが振り返るより先に、シャワルが答える。


「持たせる」


「できるんですか?」


「今離したら終わるようになってからな」


救助員は意味を考えかけたが、グレンが手を叩いた。


「質問はあとだ。配置につけ」


声が飛ぶと、全員が動いた。


地下へ続く階段の手前には、現場責任者の技師がいた。


髪も作業着も濡れている。


「中は?」


グレンが尋ねる。


「まだ保ってます。ただ、さっきから圧が上がるたび制御の光が落ちます」


「二人の状態」


「カールは歩けます。ベンは右足が挟まったままです。意識はあります」


「固定具は一本でいいんだな」


「はい。ただ、切った後に床板が少し沈む可能性があります」


「どれくらい」


「指二本分ほど。それ以上沈むようなら、下の支えまで割れてます」


グレンは一瞬考えた。


「救助員一人、担架。技師一人。中へ入るのは二人だけ」


「自分も行きます」


現場責任者が言う。


グレンは首を振る。


「ここに残ってください」


「中の構造は自分が一番――」


「だからです。途中で状況が変わった時、外から判断できる人間が必要です」


技師は口を閉じた。


納得できない顔ではない。


自分が中へ入ることだけが役目ではないと、すぐに切り替えた。


「分かりました。切る位置は入る技師にもう一度伝えます」


「お願いします」


シャワルはその横で地下へ薄い風を流した。


階段を下り、曲がり角を抜け、作業路へ届く程度の細い流れ。


冷たい湿気が返ってくる。


その中に、水の音とは別の震えが混じっていた。


制御魔術が押されている。


大きな水圧を受けながら、何度も形を戻そうとしている。


まだ最後ではない。


「今は止めない」


シャワルが言った。


グレンはすぐ頷く。


「分かりました」


若い救助員がまた一瞬こちらを見る。


今度は質問しなかった。


シャワルの力を、危険な現象なら早く使うほどいいものだと思う人間もいるだろう。


だが、早く止めれば早く消耗する。


今はまだ設備自身が踏ん張っている。


その時間まで自分が奪う理由はない。


救助員と技師が入口で準備する。


担架は細い折り畳み式。


負傷者を乗せた後、二人で前後を持って走れる。


「中へ入ったら、最初の角まで十二秒」


グレンが言う。


「そこからカールと合流。歩けるカールは一人で先に外へ出す。お前らはベンへ直行」


「了解」


「固定具を切るのに何秒」


技師が答える。


「見えている通りなら八秒」


「十で見ます」


「はい」


「担架へ乗せるのに十」


救助員が頷く。


「戻り十九」


グレンは手元の簡易時計を見る。


「余裕六秒。どこかで使う。最初から使うな」


シャワルが横から言った。


「いいな」


「何がです」


「余裕を余裕のまま置いてる」


グレンは少しだけ笑った。


「この前は二十九秒だったので」


「まだ根に持ってるのか」


「一秒は一秒です」


それで会話は終わった。


地下から大きな音が響いたからだ。


水路側の壁が震える。


入口近くに埋め込まれた表示石の光が一気に赤くなる。


現場責任者が顔色を変えた。


「次の圧が来ます!」


シャワルは階段の前へ出た。


風をさらに奥へ通す。


制御魔術の縁が削れていく。


一つ、また一つと、最後を支えていた部分が細くなる。


まだだ。


グレンは誰にも「待て」と言わない。


全員がもう待っている。


救助員は担架を持ったまま前を見ている。


技師は工具を握り直している。


現場責任者は水圧の表示から目を離さない。


シャワルも手を上げない。


さらに一度、低い震動。


表示石の赤が瞬く。


そして、地下から返ってきていた魔力の感触が変わった。


戻ろうとする力がなくなる。


壊れかけているのではない。


今から壊れきる。


シャワルの右手が上がる。


風が地下へ走った。


強く吹く風ではない。


作業路の奥、水圧を受けて崩れようとしている制御魔術の最後へ、透明な薄い層が一枚だけ重なる。


轟音は続いている。


壁も震えている。


水圧も消えていない。


それでも最後の破断だけが来ない。


「止めた」


グレンが時計を押す。


「開始!」


二人が地下へ飛び込んだ。


最初の十二秒。


グレンは入口から動かない。


自分で中へ入る必要はない。


中の人間を信じ、外の情報をまとめる方が今の役目だ。


「八秒!」


部下が時間を読む。


「十!」


階段の奥から足音。


歩ける保守員が姿を見せる。


カールだった。


濡れた作業着のまま、手すりを使って階段を上がってくる。


「負傷は!」


グレンが聞く。


「左腕だけです! 歩けます!」


「外へ! 治療班へ行け!」


「ベンがまだ――」


「分かってる。お前は出ろ!」


カールは歯を食いしばり、それでも指示に従った。


自分だけ出ることへの迷いが一歩を遅らせる。


グレンはもう一度言う。


「お前が入口を塞ぐ方が邪魔だ!」


その言葉でカールが動いた。


階段を上がり、外へ走る。


十五秒。


奥では救助員と技師がベンへ到着しているはずだ。


「中!」


グレンが呼ぶ。


作業路の奥から声が返る。


「到着! 固定具確認!」


「予定通りか!」


「一本です!」


技師の声。


「切ります!」


金属を叩く音が響く。


一度。


二度。


三度目で高い音に変わった。


「二十四秒!」


シャワルの右腕には、もうはっきりと重さが乗っていた。


昇降台の時とは違う。


今回は水が押している。


制御魔術が最後まで壊れられない分、その向こうにある水圧そのものが消えるわけではない。


薄い風の層へ、何度も強い力がぶつかってくる。


シャワルは足を一歩開いた。


「切れました!」


地下から声。


予定より少し遅い。


「二十八!」


グレンの表情は変わらない。


「床は!」


「沈みました! 想定内!」


「ベンの足!」


「抜けます!」


「担架!」


三十秒。


まだ半分近くある。


グレンは入口脇の技師を見る。


「圧は」


「上がってます」


「どれくらい」


「このままだと――」


技師がシャワルを見る。


言いかけて止めた。


グレンが先に言う。


「シャワルさんを見るな。数字を」


「……はい。直前より一割上です」


「排水側は」


「開けています。追いついてません」


「ならそのまま。今いじるな」


新しい操作を増やさない。


救助が進んでいる今、別の変化を加える方が危険だ。


「三十六秒!」


地下から救助員の声。


「乗せました!」


グレンが即座に返す。


「戻れ!」


足音が始まる。


シャワルの風が大きく撓んだ。


右手の指が震える。


水路側から押してくる力が、さっきより明らかに強い。


左手を右手首へ添えた。


前と同じ格好になったことに気づいたが、気にする暇はない。


「四十二!」


予定では、ここから十三秒。


まだ来ない。


足音も聞こえない。


グレンが階段の奥を見る。


「状況!」


返事が一瞬遅れた。


「担架の後ろが床に引っかかりました!」


若い救助員の声に、入口の空気が変わる。


「外せるか!」


「今やってます!」


「何秒!」


「分かりません!」


その答えに、グレンは怒鳴らなかった。


分からないものを無理に言わせても意味がない。


「前を持ってる方、担架を下げるな! 後ろだけ一度持ち上げろ!」


現場責任者がすぐ横から言う。


「右側へ寄せれば床の沈みが浅いです!」


グレンが地下へ伝える。


「右へ半歩!後ろだけ上げろ!」


「了解!」


数秒。


金属が擦れる音。


「外れた!」


「五十秒!」


残り五秒。


だが、救助員たちはまだ角の向こうだ。


予定の六秒を、もう使い始めている。


シャワルの呼吸が少し深くなった。


グレンはそれを見た。


見たが、聞かなかった。


何秒持つか。


その質問はしないと決めた。


代わりに地下へ叫ぶ。


「そのまま来い!角で止まるな!」


「五十五!」


予定時間。


足音がようやく近づく。


最初に救助員の背中が見えた。


担架。


その後ろに技師。


「まだだ!」


グレンが叫ぶ。


シャワルへではない。


救助側へだ。


「入口を越えるまで終わってない!」


救助員たちが最後の階段を上がる。


担架の上には、濡れた作業着の男が横たわっていた。


意識はある。


「六十!」


予定を五秒超えた。


担架の前が地上へ出る。


後ろも続く。


技師が最後に階段を駆け上がった。


「全員出ました!」


「退避!」


グレンの声で全員が入口から離れる。


シャワルが手を下ろした。


薄い風が消える。


一拍遅れて、地下から凄まじい音が響いた。


水路の制御魔術が完全に破断した。


大量の水が作業路へ流れ込み、階段の下まで白い飛沫が上がる。


だが、そこにはもう誰もいなかった。


保守班が外側の閉鎖を確認する。


「区画閉鎖! 別経路へ回します!」


「周辺の給水は?」


「一時停止します!」


「住民連絡を!」


現場は次の仕事へ移った。


グレンもすぐに指示を出す。


負傷者を治療班へ。


歩けるカールの左腕も診てもらう。


救助員二人の状態確認。


地下は水が引くまで立入禁止。


そこまで終えてから、ようやくシャワルの方へ向いた。


老人は壁へ肩を預けていた。


右手は下ろしている。


顔色は少し悪い。


「座ってください」


グレンが言う。


「前より早いな」


「何がです」


「心配するのが」


「前に言うのが遅かったので」


近くの保守員が椅子を持ってくる。


シャワルは今回は文句を言わずに座った。


グレンも隣へ立つ。


「六十秒でした」


「ああ」


「五秒超えました」


「ああ」


「すみません」


シャワルが顔を上げた。


「何が」


「五十五秒で終わらせると言いました」


「予定だろ」


「でも――」


「六秒余裕を置いてた」


グレンが黙る。


「そのうち五秒使った。それだけだ」


「結果としては」


「現場で結果以外に何を見る」


「次の改善点です」


シャワルは少し笑った。


「面倒な男だな」


「よく言われます」


以前にも似たやり取りをした。


ただ、今回のグレンはそこで終わらなかった。


「担架が引っかかった原因は確認します。通路の沈み方を事前にもっと広く見られたかもしれない」


「そうしろ」


「救助員の判断は悪くなかった」


「ああ」


「現場責任者が右へ寄せる場所を知っていたのも助かった」


「ああ」


グレンは一つずつ整理している。


誰か一人の失敗にしない。


誰か一人の成功にもまとめない。


シャワルはそれを聞きながら、右手を軽く握った。


「で」


グレンが尋ねる。


「今日は何秒持てたんですか」


シャワルが眉を上げる。


「聞かないんじゃなかったのか」


「救助が終わったので、今なら聞きます」


「分からん」


「やっぱり?」


「ああ」


「あと十秒はいけました?」


「多分」


「二十」


「知らん」


「五分」


「死ぬ気か」


グレンが少し笑った。


「そこまでは分かるんですね」


「俺にも分かることはある」


その時、現場責任者の技師が近づいてきた。


「隊長。シャワルさん」


濡れた記録板を布で拭きながら、少し険しい顔をしている。


「事故前の記録を見ました」


グレンの表情が仕事へ戻る。


「何が出た」


「供給が一度落ちています」


シャワルは視線を上げた。


「何秒」


「二秒弱です」


「戻った後は」


「一度だけ急に流量が増えました。その直後から制御が不安定になっています」


グレンがシャワルを見る。


搬送昇降台。


その前、東三番路。


同じような話が続いている。


「またですか」


「似てるな」


シャワルは立ち上がろうとした。


グレンがすぐ肩へ手を伸ばす。


「座ったままでいいです」


「記録を見る」


「持ってきてもらいます」


技師も頷いた。


「ここで見られます」


二人に止められ、シャワルは渋々座り直した。


「お前ら、最近俺をよく座らせるな」


「座ってできる仕事まで立つ必要ないでしょう」


グレンの返事に、シャワルは一瞬黙った。


この前オルドにも似たことを言われた。


「そうだな」


素直に答えると、今度はグレンが少し意外そうな顔をした。


三つの記録が並んだ。


東三番路。


搬送昇降台。


今回の水路。


場所も設備も違う。


起きた事故も同じではない。


それでも直前に、供給されている魔力が短い時間だけ落ちている。


シャワルはそれだけを確認した。


原因まではまだ分からない。


「まとめて保守側へ上げろ」


グレンが言う。


技師が頷く。


「はい。東区全体の記録と照合します」


「今日中に」


「やります」


シャワルは三枚の記録を見る。


今までは、一つずつだった。


偶然。

個別故障。

古い設備ならあり得る。


そう考えられる範囲だった。


三つ並ぶと、少し見え方が変わる。


それでも断定はしない。


断定する仕事をする人間がいる。


「次は」


グレンが口を開く。


「何秒持ちますか、じゃなくて」


シャワルを見る。


「何秒必要かを、こっちが先に出します」


シャワルは頷いた。


「そうしろ」


「でも、できれば余裕を多めに取ります」


「好きにしろ」


「二十九秒ぎりぎりは心臓に悪いので」


「今日は六十だったぞ」


「もっと悪いです」


グレンの返事に、近くにいた救助員が笑った。


緊張の抜けた小さな笑いだった。


シャワルも少しだけ笑う。


水路の事故は終わった。


負傷者も外へ出た。


ここから先は、壊れた設備を調べる者たちの仕事になる。


そして今回は、シャワルもそれを分かっていた。


「帰る」


グレンが目を見開く。


「もう?」


「帰っていいんだろ」


以前なら状態確認まで残っていた。


今は記録も取られ、現場責任者もいる。


自分が立って見ている必要はない。


グレンが少しだけ笑った。


「はい。もう大丈夫です」


シャワルは椅子から立ち上がった。


右手はまだ重い。


それでも歩ける。


帰れば本を読める程度には、ちゃんと残っている。


「じゃあな」


「シャワルさん」


数歩進んだところで、グレンに呼び止められる。


振り返る。


「ありがとうございました」


シャワルは少し考えた。


「六十秒分な」


「五十五秒の予定でしたけど」


「追加料金だ」


グレンが吹き出した。


「請求書は救難隊へお願いします」


「考えとく」


今度こそ現場を離れる。


背後では、もう事故の後始末と調査が始まっていた。


自分がいなくても仕事は続く。


シャワルは、それを悪いことだとは少しも思わなかった。


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