シーン3:世界の消しゴム痕
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20時に投稿しますので、よろしくお願いします。
帝国との国境を越えたのは、翌朝の夜明け前だった。
一行は私、エルド、マリナ、そして帝国の将校——名はクラウスといった——と、荷車で眠る少女・イネス(消された村の生存者)の五人。
ヴァルグラムへの急使は前夜のうちに放った。返事が来るまでの時間、私たちは先行して「現場」を見ておく必要があった。理屈を組むには、まず観測だ。
帝国の街道は、王国のそれより整備が進んでいた。
石畳の継ぎ目が少なく、馬車の揺れが穏やかだ。前の将校が連れてきた荷車ではなく、クラウスが急遽用意した正規の客車に乗り換えていたおかげもある。
でも、私は車窓の景色を楽しむ余裕がなかった。
「イネス。もう少しだけ話を聞かせてほしい」
私は向かいの席に座る少女に声をかけた。
昨日まで虚無の色に染まっていた彼女の目は、一晩眠ったことで、かすかに焦点を取り戻していた。
「……なに?」
「村が消えた日の朝、目を覚ます直前に、何か感じなかった? 音とか、光とか、あるいは匂いとか」
イネスは少し考え、首をかしげた。
「……音は、なかった。ただ、すごく、静かだった。いつもなら朝の鳥の声がするのに、その日は全部が止まってるみたいで……起き上がって窓を開けたら、もう荒野だった」
「静寂が先行した」
私は羊皮紙にメモを走らせる。
「次に、その本は最初からあなたの枕元にあったの? それとも、消える前から持っていたもの?」
「……知らない本だった。起き上がった時、布団の横に転がってた。私、本なんてものを買えるほどのお金、持ってないから」
クラウスが静かに頷いた。
「黒いローブの男が帝都でばらまいた本が、何らかの形でイネスのもとにも届いたのだろう。それがあったから、彼女は消えずに済んだ」
「プロテクトコードが自動で配布されたってことか」
私は呟きながら、脳内でシステムの動きを追う。
庭師は、「世界のリセット」を食い止めるために動いている。彼も今回の削除は想定外だったのだ。
彼が知識核のバックドア経由でプロテクトコードを帝国に流したのは、削除プロセスが想定より三倍以上のスピードで進んでいたからだ。
(……急いでいる。リセットを企てているプレイヤーが、急いでいる)
「着いたぞ」
クラウスの声で、私は顔を上げた。
馬車が停止する。
扉を開けて外に出た私の目の前に——広がっていたのは、荒野だった。
いや、正確には「荒野」という言葉すら当てはまらない。
荒野ならば、そこには岩があり、雑草があり、乾いた土がある。でも、目の前に広がっているものには、何もなかった。
茶色でも灰色でもない、色そのものが「存在しない」としか表現できない、絶対的な空白。
春の朝日が射し込んでいるのに、その空白の中には影が落ちない。光が反射されない。音すら、その空白に触れた瞬間に消えていく。
「……」
私は一歩、前に踏み出した。
「リリア様!」
エルドが腕を掴む。
「大丈夫。試してみるだけ」
私はそっと、空白の境界に指先を伸ばした。
境界は目には見えない。でも、ルビが「キキッ」と鳴いて私の手首に爪を立て、それ以上進むことを必死に止めようとした。
「……感じる? ルビ」
指先が、空白の縁に触れた。
温度がない。冷たくも、熱くもない。圧力もない。ただ——「ない」という感覚だけがある。まるで指先が、何もない宇宙の真空に差し込まれたような。
私は素早く指を引っ込めた。
指先は無事だ。消えていない。
「……これは魔力の消失じゃない」
私は呟き、羊皮紙に観測記録を書き始めた。
「魔力が暴走して消えたのなら、跡には何かが残る。熱とか、焦げとか、魔力の澱みとか。でも、この空白には何もない。まるで、最初からこの空間に何かが存在したという『情報』ごと、きれいに上書きされてる」
「上書き……」
エルドが青ざめた顔で私の横に立った。
「データベースのレコードを、ゼロで上書きするんだよ。村があった、人が住んでいた、そういった情報の一切を、まるでそこに元から何もなかったかのように書き換える。だから、何も残らない」
「でも、イネスさんは残った」
「そう。彼女は、例外コードを持っていた。削除プロセスが実行された時、プロテクトがかかっていた彼女だけが、削除の対象から弾き出された。……まるでバグのように」
「バグ……」
マリナが、イネスを守るように両肩を抱きながら、空白を見つめていた。
「リリア先生、これ、怖い。なんか、見てると……自分も消えそうな気がする」
「見続けないで。目を逸らして」
私はマリナを空白から遠ざけ、自分も意識的に視線を外した。
長時間この空白を観測し続けると、人間の認識系が「この場所には何もない」という虚偽の情報を取り込みはじめる危険がある。思考の奥底に「自分が消えていても不思議じゃない」という錯誤が侵食してくるのだ。
「……削除プロセスの実行者は、この空白の中から操作しているはず」
私は空白の境界から三歩距離を置き、地面にしゃがみ込んだ。
羊皮紙に、前世の物理学と、この世界の魔導理論を掛け合わせた『空間情報解析式』を素早く書き上げる。
「境界には、必ず書き込みの接続ポートがある。削除コマンドを流し込んでいる経路を逆探知すれば、実行者の位置が——」
「リリア様」
クラウスが私の肩を叩いた。
振り返ると、彼の顔が引きつっていた。
「見ろ……空白の、向こう側に」
私は慎重に空白へ目を向けた。
そこには、さっきまでなかったものが見えた。
空白の中に、黒い点が一つ浮かんでいる。
点は、ゆっくりと大きくなっていく。人影だ。
空白の深部から、こちらへ向かって歩いてくる人影。その輪郭は不明瞭で、まるで紙に描かれた人間の絵が、次元を超えてこちら側へ歩み出ようとしているようだ。
「……来た」
私は立ち上がり、書きかけの数式を手に持ったまま、空白の境界に向き直った。
足が竦む。当然だ。目の前にあるのは「存在しない空間」から出現しつつある、物理法則の範疇を超えた何かなのだから。
でも、逃げてはいけない。
逃げれば、次に消されるのはアーベルシュタットの村だ。
「……エルド」
「はい」
「あの人影が完全にこちら側に出てきた時、私が話しかける。あなたは今すぐ、この羊皮紙の数式を読んで、完全に理解して」
「え? この複雑な式を、今すぐ——」
「この式を理解した人間が一人増えるたびに、魔導知識核の演算能力が上がる。向こうが削除コマンドを実行しようとした時に、私の方が演算速度で上回れれば、コマンドを無効化できる。……理屈は通ってる。お願い」
エルドは羊皮紙を受け取り、ぐっと唇を噛んだ。
マリナがイネスの手を握る。クラウスが剣の柄に手を置く。
空白の中の人影が、境界に届いた。
そして、その存在がこちら側へ踏み出した刹那——私の目が、その顔を捉えた。
私は、声を出せなかった。
「……嘘、でしょ」
その顔は、前世の私の記憶の中にある顔だった。
白衣を着て、いつも眼鏡をかけていた、研究室の隣の席の男。
前世で、私の未完成の理論を「美しすぎて実用的ではない」と言い切り、発表の機会を奪い続けた、あの学者の顔。
「……やあ、鈴木」
男はこちら側に立ち、まるで久しぶりに再会した同僚に話しかけるような口調で言った。
「前世でも今世でも、追いかけてくるとは思わなかった。……相変わらず、諦めが悪いね」
世界の静寂の中で、春の風が止んだ。
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