シーン1:静寂の中の異音
毎日投稿チャレンジ挑戦中です。予約投稿も使えばいける、、、はず。
20時に投稿しますので、よろしくお願いします。
帰郷から十日が過ぎた。
アーベルシュタットの春は、去年より一週間早く来た。
雪解けの水が水路を満たし、土の中から緑が芽吹き、人々の顔に昨年とは比べ物にならないほど鮮やかな生気が戻っている。図書館の読書会はさらに活況を帯び、今では隣村から徒歩で通ってくる熱心な農夫まで現れ始めていた。
王国の歯車が、少しずつ正しい向きに回り始めている。
「リリア館長。今日の午後のシラバスですが——植物魔力の光合成理論の続きを予定していましたが、隣村から木工の親方が三名来館するとのことで、先に『応力と弾性変形』を入れますか?」
エルドがカウンターに備え付けた小黒板の前で、几帳面な筆跡でスケジュールを書き込みながら問う。
「応力を先にして。光合成は作物の成長期に入ってから教えた方が身に染みるから。理屈は体験と一緒に入れないと、定着しにくい」
「了解です。……あと、王都から週報が届いています」
エルドが封蝋を施した羊皮紙の束を私に渡す。
ヴァルグラムとの取り決めにより、王都では分散知識核の整備計画が着々と進んでいた。週に一度、進捗報告が私のもとへ届く。その文面は相変わらず感情の読めない行政文書の体裁を保っているが、行間からはヴァルグラムが自分のかつての判断の誤りを静かに認め、一つ一つ丁寧に修正していこうとしている誠実さが滲み出ていた。
私は羊皮紙を広げ、流し読みを始めた。
計画通りだ。問題ない。順調だ。
(……順調すぎる)
私は手の動きを止め、眉を寄せた。
前世の研究者としての直感が、密かに警戒信号を発し始めているのだ。
王都での騒乱から十日。あれほどの大事件があったのに、保守派貴族たちからの反発が一切聞こえてこない。ロートリア卿が副制御室を占拠しようとして失敗した後、まるで水に溶けるように息を潜めてしまっている。
「……静かすぎる」
「え?」
エルドがこちらを見る。
「いや、何でもない。引き続き週報を管理しておいて」
私は羊皮紙を畳み、カウンターの引き出しにしまった。
その時、足元でルビが突然「キキッ」と甲高い声を上げた。いつもと違う、鋭い警戒音だ。
私は反射的に顔を上げる。
図書館の前の広場を、一人の旅人が横切っていく。深い紺色のフードを頭まで被り、荷物らしきものは何も持っていない。足音がない。石畳の上を歩いているのに、革靴の音がしない。
(あの歩き方……)
私の記憶が、王都の地下室での対峙と即座に接続する。
音のない足音。気配を消した移動。
違う。庭師の男ではない。体型が全く違う、背が低く、むしろ子供のような小柄な人物だ。
だが、その人物は図書館の前を通り過ぎる刹那、フードの奥から私の方をちらりと見た。
目が合った。
「……っ」
その目の色に、私は息を飲んだ。
金色だ。虹彩が、ルビの魔石と同じ、均一な黄金色に輝いている。人間の目ではない。
「エルド。外に出るよ」
「え? 授業の準備が——」
「マリナに任せて。五分で戻る」
私は羽織りをひっかけ、正面扉を押し開けた。
広場はいつものように村人で賑わっていた。でも、あの紺色のフードの人物はすでに姿を消している。
私はルビを肩に乗せ、人の流れを逆に読む。
彼ら——あるいは彼女——は人混みを避けた。ならば、抜け道になる村の東側の路地へ向かったはずだ。
東の路地へ踏み込む。
石造りの家々が密集した薄暗い小径の奥、古い水場の前に、紺色のフードの人物が佇んでいた。
「見つけた」
私は正面から声をかける。
相手はゆっくりと振り返った。
フードを下ろした顔は——十歳かそこらの、少年だった。
白磁のような肌、整いすぎるほど整った目鼻立ち、そして先ほど遠目に確認した金色の虹彩。彼の存在自体から、常人とは異なる何かが、静かに、しかし確実に溢れ出していた。
「図書館員の、リリア・アーカイブ」
少年は、まるで確認するような口調で私の名を呼んだ。
声は澄んでいるが、感情の起伏が一切ない。庭師の男とも、ヴァルグラムとも違う種類の「冷静さ」だ。
「そうだけど。あなたは?」
「名前はない。今は必要ないから」
「……名前が必要ない存在?」
「そう」
少年は、水場の縁に腰を下ろし、私を見下ろした。
金色の目に、感情の代わりに『情報』が詰まっているような、奇妙な視線だ。
「庭師が失敗した。だから私が来た」
「庭師の同僚?」
「監査官だ。彼の行動が、観測計画から逸脱したと判断して派遣された」
私の頭の中で、複数の仮説が同時に展開し始める。
庭師は「この世界の限界テストをする管理者」だった。その管理者が「観測計画から逸脱した」と判断されて「監査」を受けている。
つまり——この世界には、庭師の上位に位置する「管理組織」が存在する。
「……あなたたちは何者?」
私は平静を装いながら、直球を打ち込んだ。
少年は目を細めた。
金色の光が、僅かに強くなる。
「魔導知識核を設計し、この世界の進化速度を観測する者たちだ。この星が知識によって自己完結した文明圏を確立できるかどうか——その実験を、数百年単位で行っている」
「実験」
「そう。グランベルクは実験の第十四回試行だ。失敗だった。庭師は第十五回の試行として、君という変数を意図的に組み込み、再び暴走実験を試みた。だが——」
少年は視線を私からルビへと移した。
「君は、想定の上限を大幅に超えた結果を出した」
「……褒めてるの?」
「記録だ。君の干渉によって、王国の知識核は初めて『安定進化』の閾値を超えた。これは観測史上、初めての事象だ」
私は腕を組んだ。
「それがどう『新たな危機』に繋がるの? 安定したなら、あなたたちの実験は成功でしょ」
少年は答えず、少しの間だけ沈黙した。
水場の石組みに、春の鳥の声が響く。
「一つだけ、教えてやろう」
少年はやがて口を開き、金色の目を細めて私を見据えた。
「この王国の隣——東の帝国。ヴァルカン帝国を知っているか」
「名前だけは。軍事大国だと聞いてる」
「三ヶ月前から、帝国の国境付近で奇妙な事象が観測されている。村が、一晩で消える」
「消える?」
「住人ごと。痕跡もなく。三ヶ月で、七つの村が」
私の背筋が、冷たくなった。
「……それは、知識核の暴走とは違う消え方だ。グランベルクは爆発で消滅した。でも痕跡もなく、というのは——」
「そう。暴走ではない。意図的な消去だ」
少年は水場から立ち上がり、フードを被り直した。
「庭師は、単純に知識を欠落させることでこの世界を実験場にしようとした。だが、帝国で起きていることは、それとも違う次元のものだ」
「どういうこと?」
「魔導知識核の設計者の中に——実験を終わらせたい者がいる。安定進化に成功しかけているこの世界を、根本から『リセット』しようとしている者が」
その言葉が、春の路地の空気を一瞬で冬の冷たさに塗り替えた。
「それが誰なのか、あなたたちは分からないの?」
「分かっていれば、私が来る必要はなかった」
少年は踵を返し、路地の奥へ歩き出した。
「リリア・アーカイブ。君の安全設計は、確かに正しかった。だが——リセットを企てる者は、知識の暴走を利用する庭師よりも遥かに根本的な手段を使う」
「どんな手段?」
「世界の歴史そのものを、書き換える」
少年の声が、路地の石壁に一度だけ反響した。
次の瞬間、彼の姿はすでに路地の奥の闇に溶け込んで、消え去っていた。
後に残されたのは、春の鳥の声と、石畳に落ちる日差しだけ。
私は立ち尽くしたまま、少年が最後に言い残した言葉を、ゆっくりと咀嚼した。
(歴史を書き換える。……それはつまり)
魔導知識核が管理している「世界の記録」——人々の理解が蓄積されることで形成されてきた、この世界の文明の歴史。
その歴史そのものを改竄されれば、たとえ安全設計がどれほど完璧でも、その土台ごと根こそぎ消し去られる。
胸のポケットの中でルビが、ぷるぷると震えていた。
「……次は、もっとスケールが大きくなるね」
私は空を見上げ、小さく呟いた。
頭上には、抜けるように青い春の空が広がっている。その美しさの奥底に、世界の設計者たちが仕掛けた「終わりの手」が着々と動き始めているとは、誰も想像しないだろう。
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