シーン1:鉄と夜の訪問者
毎日投稿チャレンジ挑戦中です。予約投稿も使えばいける、、、はず。
20時に投稿しますので、よろしくお願いします。
ヴァルグラム公の視察から十日が過ぎた。
その間、私たちは図書館の稼働ペースを半分に落とした。安全設計の再計算と、村人たちの過剰な熱狂を少しだけ冷ますための措置だった。
それでも、村の風景はすでに不可逆な変化を遂げていた。収穫された麦は村の備蓄蔵に入りきらないほどになり、水車は夜通し力強く回り続け、子供たちの咳は完全に消えた。
これ以上はない、完璧な成功。
——だからこそ、私は心のどこかで「その時」が来るのを待っていたのかもしれない。
その夜。
私は図書館のカウンターの奥で、毛布にくるまって羊皮紙に向かっていた。エルドはすでに帰宅し、館内は私と、足元で丸まるルビだけ。
壁の奥の魔導知識核は、夜になってもうっすらと青い光を放ち続けている。
カリ、カリ、と羽ペンの音だけが響く静寂。
それが破られたのは、深夜の零時を回った頃だった。
——ドォン!!
地響きのような音が、正面の樫の木の扉を叩き割らんばかりに響いた。
「……っ」
私は弾かれたように顔を上げる。
ルビが毛を逆立てて威嚇の声を上げた。
ノックではない。破城槌か何かでぶち破ろうとするような、乱暴で敵意に満ちた衝撃。
(来た)
心臓が跳ね上がる。
私は毛布を蹴り飛ばし、カウンターから飛び降りた。五歳の短い足で駆け寄り、扉の隙間から外を覗き込む。
外は、松明の赤い光で真昼のように明るかった。
炎の照り返しの中に浮かび上がっているのは、黒い甲冑に身を包んだ騎士たちの群れだ。昼間にヴァルグラムが連れてきた儀礼用の騎士とは違う。実践用の、傷だらけの重装甲。その数、ざっと三十。
彼らは図書館を半円形に包囲し、退路を完全に塞いでいた。
「開けろ!! 王立特務騎士団である!!」
怒声とともに、再び扉が乱暴に蹴りつけられる。
「……リリア様!!」
図書館の裏手から、血相を変えたエルドが駆け込んできた。彼は着の身着のままで、手に一本の鉈を握りしめている。
彼の後ろには、真っ青な顔をしたマリナの姿もあった。どうやら、異変に気づいてエルドの家に走ったらしい。
「エルド、武器をしまって」
私は低く、鋭く命じた。
「でも、あいつら——」
「いいから、しまって。相手は完全武装の特務部隊だよ。三十対一で勝てる理屈がない。それに、彼らの目的は武力制圧じゃない」
私は深呼吸をして、震えそうになる膝に力を込めた。
前世で経験したどんな修羅場よりも、今のこの状況は絶対的に不利だ。暴力という名の理不尽が、五歳の子供の首根っこを掴みに来ているのだから。
「私が開ける」
「リリア様!」
「マリナ、エルドの服を掴んでて。絶対に動いちゃダメだよ」
私は扉の閂に手を伸ばし、重い鉄の棒を引き抜いた。
ギイィ、と音を立てて、樫の扉が内側へ開く。
松明の熱風と、鉄の匂いが一気に流れ込んできた。
先頭に立っていた大柄な騎士が、私を見下ろして鼻を鳴らす。
「貴様がリリア・アーカイブか」
「そうです」
私は見上げる。声は震えなかった。
「夜分遅くに騒々しいですね。ここは図書館です。静かに願えますか」
「減らず口を叩くガキだ。ヴァルグラム長官閣下の命令である」
騎士は懐から、赤い封蝋がされた羊皮紙を取り出し、私の目の前でこれ見よがしに広げた。
「アーベルシュタット辺境図書館の管理者、リリア・アーカイブを、王都・中央図書塔へ『特別研究員』として強制召喚する。同行を拒否する場合、国家反逆罪としてこの村の領民を連帯責任に問う」
エルドが息を呑む音が聞こえた。
私も、内心で舌打ちをした。
(……ヴァルグラム。やり方がえげつない)
私を犯罪者として捕縛するのではなく、「特別研究員」という名目で王都へ引き抜く。そして、断れば村を焼くと脅す。
法治国家としての体裁を保ちながら、私の退路を完全に断ち切る、冷酷なまでに完璧な一手だ。
「……私の荷物をまとめる時間は?」
「五分だけやろう。それ以上は待たん」
騎士は羊皮紙を巻き直し、顎で馬車の方をしゃくった。
黒塗りの、鉄格子がはまった馬車。あれは客車じゃない。護送車だ。
私は振り返り、エルドとマリナに向き直った。
「リリア先生……行かないで……!」
マリナが泣きそうな顔で、私にすがりつこうとする。私はその小さな両肩を、しっかりと掴んだ。
「マリナ。お母さんの病気は、もう大丈夫でしょ」
「う、うん……でも……」
「なら、泣かない。この図書館の本は逃げない。私が教えた理屈も逃げない。ちゃんと畑の土に、水車の羽に、井戸の水に根付いてる」
私は彼女の頭を優しく撫でてから、エルドを見上げた。
彼の目は、悔しさと無力感で真っ赤に充血していた。鉈を持つ手が、小刻みに震えている。
「エルド。……盾になってって言った約束、覚えてる?」
「……はい」
「あの約束、変更。今日からあなたは、この図書館の『管理人』だ。私がいない間、誰にもこの場所を明け渡さないで」
「そんなこと、できるわけが……! 王都の連中が、ここを封鎖しに来たら——」
「来るよ。絶対に」
私はエルドの耳元に顔を寄せ、囁いた。
「だから、時間を稼いで。私が王都の中枢で、この理不尽なルールそのものをひっくり返すまで。……理屈は、通してみせるから」
エルドは唇を噛み切りそうなほど強く引き結び、やがて、深く頷いた。
「時間は過ぎたぞ!」
背後から騎士の怒声が飛ぶ。
「今行きます」
私は振り返り、足元のルビを拾い上げて胸のポケットに押し込んだ。彼らは『私』を連行する命令しか受けていない。ペットの一匹くらいなら見逃すだろう。
夜の冷気が、私の頬を叩く。
松明の炎が揺れる中、私は鉄格子の馬車へと歩き出した。
王都へ行く。
知識を独占し、世界を停滞させている、あの巨大な塔の足元へ。
(待ってろ、ヴァルグラム。あなたの古い天秤、私がぶっ壊してやる)
私は馬車の硬い座席に腰を下ろし、背後の鉄扉が重い音を立てて閉まるのを聞いた。
車輪が軋み、馬車が動き出す。
窓の隙間から見えたアーベルシュタットの図書館は、夜の闇に沈みかけていた。けれど、その奥底では、魔導知識核の青い光が、まだ確かに瞬き続けていた。
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