第26話 魔王の笑み
「疑いなく真実と虚偽の関係は、光と闇の関係と同じである。」と言ったのは一体誰だったか。
こんな胡乱な言葉があるかと吐き捨てたのは確か誰だったか。
確かに彼女は感じていた。こんなことは起こり得ないと、けれどこうも感じていたのだ。
これに近似した事態があればその言葉を信じざるを得ないと他ならない最強の魔女足る暴食の魔女の代理、鈴は感じていたのだ。
だからこそここにいるのかも知れない。
だからこそこうなっているのかも知れない。
そう考える鈴である。
場所は闇の中、目の前にあるのは光、小さなそれ。
焦がれる程小さなそれにしかし鈴は杖を握り締めたあと溜息を吐き出す。
自身が握り閉めた杖と彼が手から放した杖、
その特異な装飾に付いた血液を見て、再び少女は悟った。
もうここからは抜け出せないのだと、横にいる傲慢の魔女の代理、明星葵と共に、
ただ小さな光に照らされた暗闇の中で。
元凶にしてこの空間唯一の光源を、
発光するプネウマの死体それに似た「何か」の首と胴の「死体」を見ながら。
■
何故こうなってしまったのかは当たり前だが解らないだろう。
だからこそこらからは回想であり、時間は3時間ではなく13時間前に遡る。
そこは光によって編まれた空間であった。
彼らは突如、光に呑まればしかしその場に居た
砂ぼこりを杖で払い
ここ十年では起こらなくなっていた神隠しに出くわしたこの事態にしかし二人は思考する。
一体どういうことか、全く分からないのだ。
自身達を捉える力、それは良い。
なに魔女の代理の中でも一二を争う実力を持つ彼らだ。
対策をされることはある。
当然力で全て蹴破ってきた彼らではあるものの今回の物は少し手間を要するように感じた。
この空間、端的に事実を一つ言うなら魔法を発動出来ないのだ。
おそらくは「魔術」の発動すら難しいだろう。
いくら人外だ怪物だど言われている二人であってもこの場所からの脱出は難しい。
けれど理由はもう一つあるのだ。
「この場所、時間が止まっていないか。」
静かながら疑念に満ちた葵の言葉に鈴は応えず、
頷かないけれど心の中で首肯する。
そう時間が止まっているのだ。
この光で編まれた空間そのものが
この事にけれど慌てる二人は居ない。
二人とてもう既に時間停止の空間など訓練などで何度も用いている。
ただ特殊なのは一つ、この「世界」とも言うべき空間にある編まれた光それそのものが木目の見えるフローリングと成っていることである。
これはいけない、いやどういうことかと殆ど二人の意見が合致した頃、何かの光が目を掠めればそれは目の前に現れた。
黒い布の塊。
それをバッと取り払った先にあったのはデフォルメされたバフォメットである。
彼は草臥れたように唐突に現れればけれど機械的にこう言った。
「ようこそ、光へ。私の名は・・」
意味深にけれどただ意義を込めただけのような言葉を黒い布の塊は告げた、
けれどその隙間の中で、
意識の間において
そして数瞬の内に裂かれた。
鈴と葵の取り出した特異な装飾の杖によって真っ二つに。
□
バフォメットのプネウマ。
彼の者については噂は多くある。
例えば口が滑りやすいだとか
例えば正体不明だとか
例えば不死身だとか
ならばこの光景は当然だ。
真っ二つになったバフォメット、おそらくはプネウマの肉が繋がっていく。
砕かれた頭蓋が、切り削がれた肉の筋が、やわりと別たれた臓腑が、繋がっていく。
白い煙を上げながら繋がっていくのをしかし今は見つめるしかないというのが歴戦たる二人の判断である。傲慢の魔女の代理、暴食の魔女の代理二人がこの選択をしたのは他ならない禍根鳥の狡猾さにある。
なり損ない戦線での強かさと圧倒的に過ぎる強さを発揮したように何か仕組んでいるのではないのかとしかしそれは命中した。
蔓、蔓である。
茨の蔓、黒いそ棘のあるその黒があふれ出したのだ
まるで津波のように、けれど放射状に広がっていくそれを葵の杖が薙ぎ払う。
起こった土埃、その中でチリンという音が響けば女の手がバフォメットに触れた。
「・・・・・・・・少し弱いな、お前。口だけでは無くな。」
手指に力を込めながら平静かつ冷徹な言葉を鈴は放つ。
余裕の笑みすら浮かべないその表情はけれど確かに強者としての自信と自負を示していた。
けれど土埃が晴れればそこにあったのは黒い魔素と化した黒い塵のみ。
手の平に残った微かな残滓はしかし風に揺られていた。
死んだ。
そう判断するのも無理は無い、
「そう思ったか。「傲慢」、そして「暴食」よ。」
「「・・・・・微塵も。」」
そのどこかで聞いたことのあるような
けれど不躾なバフォメットの声に対して気せずして息のあった二人の葵と鈴の返答にくつくつとバフォメットは笑う。
様子を窺う二人にしかしプネウマは饒舌に語る。
「名乗り忘れていたな。私の名はプネウマ。バフォメットのプネウマだ。こう名乗るのは嫌なのだがね。「傲慢」、そして「暴食」よ。私の事が分かるか。分かるのならば問おう、貴様達について。」
「・・・・・・・・・・」
二人の沈黙の後そして葵と鈴の顔を見合わせた
この者の言葉に違和があったからである。
しかし彼らは彼の者らの話に耳を傾ける。
「今の、唯一にして最強のマスターピース、あのなり損ないはどこだ。」
「・・・・・・・」
二人は目して黙しながらただ葵と鈴として理解する。
土埃の残る中この者は偽物だと二人は直感した。
しかしまだ耳を傾ける二人でもある。
先の質問の答えを待っているだ鈴の先の言葉の答えを
鈴と葵、お互いがお互いを見つめなくとも理解しているのだ、まだ情報が足りていないのだと。
「今の、唯一にして最強のマスターピース、あのなり損ないはどこだ・・・か」
「・・・・・死んでいる筈だ。禍根鳥の手中なのだからそれも解っている筈だろう。葵、口だけでは無くな。」
不確定なけれど濁すような二人の、葵と鈴の言葉に しかしプネウマは否禍根鳥は押し黙った。
それを見て二人は確信する。
自身達は間違えていなかったのだと。
葵そして鈴がそう判断した理由は無数にあるが最大の理由は一つである。
そうそれは単純、呼び方である。
禍根鳥は魔女して魔女の代理の名前を呼ばないのだ特定の者以外は。
そしてこの者も名前を呼ばずただこう言った。
「傲慢」や「暴食」とただ称号で。
大いに意味のあり名誉のありけれど呼ぶ者は数少ない称号。
それがプネウマと関連して連想されるのはただ一人。
禍根鳥憂喜。
「お前だけだ。元色欲の魔女の代理。口だけでは無くな。」
「・・・・・・・」
決めつけるようなけれどはっきりとした鈴の言葉にしかし反応する者があった。
鈴、そう鈴である。
そうして沈黙の後バフォメットがただ笑った。
呵々大笑、大粒の笑みである。
正直、一般人が居ればそのうるささに耳を塞ぐであろう笑みであったのだ
二人はそれに目を丸くしつつもしかし眉をキっと吊り上げた。
警戒をしているのだ。突然笑い出した異常者に。
・・・しばらくそれが続いた後、かくりと禍根鳥が首を落とせば。
幾何かの間の後に再び目の端を光が瞬けばしかし茨の棘がプネウマ、否禍根鳥の目から何かが飛び出す。
棘、先程と同じ茨の蔓である。
黒いそれにしかし引っ掛かる者はこの場には居なかった。
散る、散る
茨の蔓が、棘がばっさりと、散る。
けれどそこに立っていたのは葵と鈴である。
少年はあふれ出した魔力を用い防ぎ、
少女は触れた傍から蔓を黒い魔素へと還す。
葵と鈴、二人の姿が消えれば瞬間バフォメトの首が飛んだ。
その先にいるのは杖を持ち身を屈めた葵と立って杖をブンと振り血を拭った鈴である。
少年と少女ある種の連携の業である。
特異な装飾の杖、その切っ先を殆ど同時にけれど少しずらした技。
お互いがお互いの助け合う。
ある意味で彼らしい連携技術であった。
連携技術、それは言ってしまえばただの戦闘技術の大成の一つ、かつ血と汗の滲む二人での鍛錬の「成果」そのものである。
組み合わせによって多くの差異やバリエーションの違いがある者のこれはかのなり損ない戦線での二人の数少ない戦いを勝ち残ってきた者としての証として鍛え上げられた身体能力の証拠そのものである。
だが転がった首、バフォメットのプネウマの首、その貌が嘲ったように笑む。
目の前にあった不愉快な者に鈴が足蹴りをしようと体勢を整えかけ、
光が消えた。
「ん、一体どういうことだ。」
「なんだ、これは。」
疑念と困惑を大いに孕んだ疑惑そのものと言える鈴と葵の言葉にけれどもう答える者はいない。
あるのは闇の中、目の前にあるのは光、小さなそれがあるという事実だけ。
嵌められた、そう判断した時にはもう遅い、そうなんとなく感じた。
光で編まれた空間は、光を失ったのだ。
周囲に魔素は感じない。
光も物も何もない。
これではどうあっても抜け出せない。
カランという音と共に杖が落ちる音が聞こえた。
どしっと膝をつく音も、前者が葵で後者が鈴であるというのは鈴自身どうでも良くなっていた。
あるのは「失敗した」という感覚だけ。
あの程度の挑発にもならない言葉で殺すべきでは無かったとやり場のない後悔が二人の心を、胸をどす黒く満たしていく。
・・こうして禍根鳥憂喜。
ただ彼女に操られたプネウマ、言うところの正体不明の何かの「死」を以て。
「計画」は進む、次の段階に。
二人の強者、彼らを時間の止まった微かな土埃と光して闇の中、その空間に分断出来たが故に
□
結論から言えばなり損ないとは謎に包まれていると少女は語る。
それは真白な生き物であり、竜の姿をした何かではないかという私の問いに対して少女は語る。
是であり否であると。
それは白であり黒。
透であり濁。
即ち矛盾の生き物であると。
いいや正確には生き物ではない。
死者でもなくしかし強いて言うなら何者でもあり、何者でもないと少女は語る
ならばどうして彼らは私達に対するのかは「魔女」のみぞ識ると・・・少女は語る。
・・・そんな難解な言葉を私は挨拶がてらのように聞いていた。
それを話すのは19号でもプネウマでもないそして赤紐の赤子も隣の部屋のベビーベッドで寝ているからあり得ない、だからこそ目の前で話してくているのは禍根鳥である。
「ところで今日は何がしたい。」という意趣返しのような言葉に対する私の返答の後に”こうなっている”という訳だ。
正直何を言っているのか分からない。
何もかも欺瞞が散りばめられているように思えてけれど理屈が通っているように感じる。
つまり、さっぱり解らん。
「さもありなんだな。「昔の君」ならともかく今の君にはこのような言葉程度も解るまい。」
「昔の私が何か知ってたような口ぶりだね。それも貴方は結構な範囲で解ってるみたいだ。今って言葉もさっきまでいっぱい使った気がするし、どうやって今の君を「昔の君」に戻すのかな。」
「論点がずれているぞ、聞きなさい。」
チッと舌打ちをして居住いを正し禍根鳥の顔を正面から私は見据える。
この人は本当に信用が出来ない
それが「今の君」ではなく「今の私」の結論である。
不確定ではあるが何かがおかしいのだ。
そう言うならまるで何かを堪えているような、無理をして取り繕っているような違和を感じる。
きっとそれ故の違和感だとかなのだろう。
それがどこか重なる「今の私」に
「どうした、少女。奇妙な事を考えているようだが。」
「いいや、なんでもいい。何で私が起きた時に周りに死体があったかぐらいに、多分。」
そう冷静かつ合理的に思えるようにけれど少しだけ暖かく私は告げた。
そうなんでもいいのだ。
きっとこの感情を理解してくれる人はどこにもいないのだから。
失敬、なんでもいいというのは間違いだろう。
きっとその筈である、多分。
「今の私」はきっと他人の死にすら実感が持てないのだ。あの周りにあった死体達だってきっと私がやったのだろうとしか思えない、あるいは「蛇」とかいうのが暴走したのかとか。
だからこそ私は問う。「昔の君」ではなく「昔の私」が問えなかった言葉を。
他者と自分の認識の違い故に。
「ところでその目隠しずっと取ってたらどうなるの?」
そう下らなくて誰もが気になる言葉を、はっきりと。
しかし彼女は答える、これまでの様子を覆したように。
「その場合の効果は一つではないが一つのことについて話すのなら、どうにもならない・・」
慈悲深くけれどら平らかに告げる禍根鳥の言葉に対して、
そう嘯く彼女はしかし誇らし気でもなんでもなくただ事実を口にしただけのように思える。
まるで感情を押し殺したように、あるいは見えない何かに押しつぶされたようにどこか人間的に。
よく分からない。
厨二なのかそう考えない訳でもない。
つまり彼女はこう言っているのだ、自身が見れば人が「何かが」起こるのだと。
確かに「魔術」で街を滅ぼしたり一秒以内でここと同じ「研究塔」の一つを粉微塵にしていた。
けれど魔女の代理と同等の勢力を滅ぼそうと、最強に思える傲慢の魔女の代理や最強の魔女にして「魔王」、暴食の魔女の代理に対して一矢報いるどころか「意表」をつこうと”人を見るだけで「何か」が起こる”だなんて出来る訳がないのだ。
そうだよね、禍根鳥。
「そうだと良いのだがな。ところで話の続きだが」
「あ、うん。聞くね。」そうただ言葉を返してなり損ない、私に関する話を聞いてれば、
いつの間にか暗闇の中、目を覚ましていた。
■
どこやねんここ。
それが目を覚ました私の感想である。
難しい話を聞いていたらいつの間にか暗闇の中、体を圧する感触はあるもののそれもどこかで覚えがあるだけ、完全解明には繋がらない。
つまり・・・
「解らん、どこだここ。」
そうもぞもぞと言葉を放ちながらも話せばけれど私は、
して思い当たった。
布団の中だわ、ここ。
「そうだ。布団の中だぞなり損ない。」
その曇ぐもった声にばさっと暗闇を退ければそこにいたのは私に顔を向ける禍根鳥憂喜であった。
白髪二つ結びの左右非対称な黒布の目隠しをした少女である。
彼女は野太い声でけれど言う、
「今、我々は少々立て込んでいるいるのだが先の言葉について、答えは必要か。」
「うん。必要。」
そう、私の方を呆れながら見つつも何か喪に服したように粛々と飛んで行った布団をかっきりキャッチしながら問われた言葉にしかしはっきりと私は答える。
先の言葉、貴方の力に成りたいという言葉に当然嘘は無い。
その言葉を話す口は嘘つきの対偶そのもので、心にも裏表などきっとありはしないだろう。
いくら他人事でもここで嘘は吐かないのだ。
「ならば教えよう。先の君への問いは七十二字騎士団への勧誘を断った時点で一つに限られている。」
「それは・・・何。」
「分からないか、ならば君に、
・・教えることは何もない。」
その言葉と共に私が瞬けば、
掌の中の光とともに意識を失った。
・・・そんなシアの様子を少女、禍根鳥憂喜は見ていた。
黒布の目隠し越しであってもその表情は慈悲に満ちているように感じただろう。
当然そこに居れば19号そしてプネウマでさえ思っただろう。
けれど彼女達はいた。
桃色の髪に十字の瞳を持つ少女、とバフォメトである。
少女はただ佇みながら、そしてバフォメットは赤紐の赤子をゆさゆさと揺らしながらもいたのだ。
そう閉じた扉の奥に。
二人がシアに気付かれなかったのは単純、禍根鳥の「小細工」を受けていたからである。
認識阻害魔法、それによって”彼女がいる”という認識が「阻害」されていたのだ。
ただ近くに居ただけでも発動すのか・・そう二人は少し驚いていた。
相も変わらず出鱈目な人だと19号は感じ、滅茶苦茶だとプネウマは思考する。
しかしそれを打ち破るようにある者が声を掛けた。
「三人共来ているな。」
そう他ならない禍根鳥憂喜である。
彼女は赤紐の赤子、19号、プネウマの順に見つめた後19号においでと手招きをする。
「なり損ないは寝ている。この者をどうするかは我ら次第だ。彼女に私が言った通りこの者を騎士団に加入させるのもいいだろう。しかしこの場面においても脅威は数多存在する。だが今、傲慢の魔女の代理と暴食の魔女の代理を光に捉えたと彼の死と共に七十二字騎士団団員から報告が入った。」
「・・・・・・」
「つまり我々は第一段階に入ることが出来たという訳だ。多くの死と犠牲の元、少なくない功ではある者のしかし我々は一つ勝利を収めた・・・
これは功績である。
故に我らはこのなり損ないを使い次の段階へと進む。
異論は無いな。」
禍根鳥憂喜の後ろに周りその白い髪をかき上げればそこにあったのは銀色の留め具、ボルト式のそれである。普段は認識阻害魔法で「見える」という認識を阻害されていたその留め具はしかし三つのボルトでそう19号は理解している。
三つあるそれの中心にある三つの奇妙な形の鍵穴、その中心の一個を掴み指に力を入れれば19号、彼女の指先が熱され、光っていく。
光、赤い光である。
血印、魔女の血そのものであるそれが励起していきやがて腕、そして目にまで至ればしかし後退し一つの形となる。
指先に握られていたのはそうそれは一つの鍵であった。
赤い、赤い鍵、奇妙な形をした鍵である。
同じく奇妙な鍵穴、中心のそれに差し込んでいけば・・・ガチンという音と共にボルトが一つ一つ外れていく。
最後の一つを外せば指で制された。
制した少女は立ち上がり宣言する、落ちた黒布を無視して。
「異論が無ければついてこい。我らこそが最大の希望と慰めそのものとならん!
ーー████████!!」
「「████████!!」」
赤紐の赤子の鳴く中でそうここにいた者、19号そしてプネウマ禍根鳥達が口にする。
怨嗟のようなけれど希望のような言葉を口にしたのは彼らこそ特別たる由縁。
プネウマはただ目を瞑り、19号は吸血鬼のような八重歯を覗かせながら「魔女」のように笑む。
それを知る者はただ一人。
透き通るような白髪に澄み切った桃と赤の混じったきっかりとした瞳を持つ野太い声の少女、禍根鳥憂喜である。
彼女は笑う。
ただ「魔王」のように。
自身達の目的の為に。




