72. 早く行け
「………一つ、聞いていい?」
問答無用で重いストレートを撃つ寺田選手に、跳び下がりながら和希は尋ねた。
寺田選手は速い。ぐいぐい追いながらワンツー撃ってくる。和希は回りながら逃げる。
この追い方。拳に絶対の自信があるんだろう。
寺田選手はずっと押してくる。
圧力。このままでは話ができない。
こちらが蹴りを撃つのにも距離が近すぎる。
結局また跳び下がりながらの跳び回転後ろ蹴りで、
「うッ!、ぐゥゥ………ゥ」
相手の腹を蹴って跳んで距離を稼ぐ。
通常だと回転後ろ蹴りも相手をKOできる蹴りだが、今回は跳ぶ方にエネルギーを使う蹴り方をしているので相手の腹にそこまでのダメージはない。
(……よしっ……)
フワッと距離を飛んで、下りたところは、寺田選手のパンチの間合いの外、そして和希の蹴りの射程内。
それがわかったからか寺田選手は、猛攻をピタリと止めた。
背はそれほど変わらないが、攻撃のリーチは和希の方が長い。
いま、和希が一番蹴りやすい距離である。
下手に距離を詰めたら和希にカウンターの蹴りでKOされるかもしれないと察したのだろう。
「……いくらもらって、何をしようとしているの?」
再び和希は、質問を試みた。
「……2万」
寺田選手が声を漏らした。「東京の、試合。深夜バスと参加費。もう、試合約束してる……」
―――――――いくらかの金がないから、出られない試合があるんだよ。
―――――――金がないから、諦めないといけないチャンスもある。
先ほどの3人の言葉を思い返す。
和希にだって笑えない。
その悔しさは痛いほどわかる。
普通に考えて、翌日格闘技の試合に出る人間が、体を痛める深夜バスで移動なんてありえない。
だが、和希もやったことがある。金のなさと、金を出してくれる人間への申し訳なさが、それを選ばせてしまう。
そこまでして闘いたいか? 嘲笑と共に聞かれたことは何度もあった。自分でも疑問に思うこともあった。
「もう、捕まったって……」
「え?」
「本山さん。もう、捕まったって……?」
和希はうなずいた。「ここで私を倒しても、そのお金は入らない。残念だけど……」
「…………そうか…………」
かすれた声。彼の顔に影が落ちる。
約束した試合に出られない。その事実が高校生の肩にのしかかる。自分がもしその立場だったら?
……否、人は一人一人事情が違う。抱えているものも。思いも違う。
所詮、他人。そして、所詮、男。
どこまでも寄り添おうとしたら、こちらが喰われてしまう。
だけど……。
和希は、パンチを撃った。
「!?」
拳に顔面の骨の固い感触が痛い。
細い和希の拳に意外なほど顔を歪める寺田選手。
いくら和希の細腕でも足場の高低差を利用して踏み込みざま打ち下ろしぎみに撃つと効くようだ。
「続ける?」
手足は一瞬で引いた。ふたりの距離は元通り、和希有利の間合い。
「………………強いな」
そう呟いて、寺田選手は、両手を高く構える。
「ほんと、強い」
(………………?)
寺田選手の口の端が、こころなしか、少し笑ったように和希には見えた。
左右に、寺田選手がステップを踏んだ。
牧ノ瀬覇華ほどではないが速い。
そして和希と距離を詰めて強烈な右ストレートを…………
「……!?」
打つことはできない。
高低差を利用し、寺田選手の右肩を踏むように、和希の足裏がピタリとその肩を止めていたからだ。
肩が入ってこれない、ということはストレートパンチを撃つことはできない。
「……すげえ」
ずるい、ではなく寺田選手が吐いたのは賞賛だった。
そのまま和希は足をはねあげ寺田選手の脳天をかすめる。
「っ…………………………」
脳天に足を落としたのではなく、弾丸のような速さでかすめただけだ。
だが、瞬時に脳だけピンポイントで揺らされた寺田選手は、すっ、と、膝を折りくずれおちる。
目を開いたまま、意識を刈り取られて。
(………………ちゃんとリングで闘いたかったな)
吐息を漏らしながら、和希は寺田選手の体に、手を伸ばす。
そして。
「滝選手、回復してますか?」
「…………!! な、なんで…………」
まだ金的でKOされた体勢のままで、チャンスを伺ってか、うずくまっていた滝選手は、バレてなかったとでも思っていたのか思いきり動揺した声をあげる。
「さっき後輩にここの場所を伝えました。
おそらく、警察がすぐに来ます。
後鳥羽選手をうごかすのは、無理だと思いますが……」
和希は、意識を失った寺田選手を姫抱きに抱えあげる。非力な和希の腕力では、少し重い。
そして後ずさる滝選手に、さしだし、押し付ける。
「彼だけでも、連れて、逃げてください」
「は、はぁ……?」
サイレンの音が遠くかすかに聞こえた。
もう時間がない。
「本山があなた方ひとりひとりの名前を覚えているとは思えない。証拠になるような記録も残さないだろう。
だから、早く」
「な、なんで……アンタ…………」
「 早 く 行 け ! ! 」
滝選手は慌てて寺田選手をかかえあげると、弾かれたように立ち上がり、人一人持ち上げているとは思えない速さで細い路地の奥へと姿を消していった…………。
和希の耳にも、サイレンの音がはっきりと聞こえてきた。




