48. リングの上に
◇◇◇
―――――楽しそうだな。
メインの試合が近づいてくるにつれて、本山のことなど頭から消え、ただすごくそう思った。
純粋に、選手が楽しそう。放つオーラが楽しそう。そう思う。
もちろん、殴られても蹴られても痛いのはわかる。素人の打撃を食らうのとはわけが違う。
そのうえ苦しい顔だったり、後半スタミナが落ちてきて明らかにしんどそうな顔もあったりするのだが。
選手の魂が楽しそう。
そんな風に和希には見える。
金と時間と手間暇と努力をつぎ込んで作っただろう、プロの体が、和希以上の格闘技のキャリアを積み重ねて得たストラテジーとテクニックをフルに行使している。
男という性別に恵まれていたって体重を増やすのも筋肉つけるのもキツいはキツいし、それでいて代償としてスピードはだいぶ落ちるのだけど。
あんなフィジカルで、あんな力振るって動けるなんて、どれだけ楽しいんだろう。
そんな強さを、同じぐらいの力量の相手と思う存分振るっているのだ。
選手だって人間だ。おそらく邪念だってあるだろう。
だけど本当に集中して闘っているときはそんなものから解放される。
純粋に、闘うことだけしていられる。
その楽しさを、和希も知っている。
(………………)
和希が言ってはいけないセリフだろうが。
『ああ、うらやましい』という言葉が、思わず喉元まであがってきそうになる。
どちらかの選手に自分の魂が入りこんだらいいのにとまで、妄想してしまう。
勝ち負けなんて二の次で、死にそうなほどの痛みを際限なく味わいながら、ただただ闘うことだけ考えて闘えたら……。
―――――――入り込んで見すぎていたらしい。
ふと気が付くと、後輩が自分の顔を見ていた。
(……うっかりアホ面で見すぎたか)
先輩和希は気づかないふりのまま、微妙に姿勢と口元を正して、また試合に意識を集中することにした。
いよいよ最後の試合、そう、メインの試合が始まる。
いわゆる関西の頂上決戦で、勝者が、東京にいるこの協会のチャンピオンと闘えるのだという。
“一番”に、もうすぐ手が届く。
そう思うだけで、彼らの中にもたぎるものがあるだろう。
グローブを合わせ、ファイトが始まる………
(………世界選手権。行っとけば良かったかな……)
不意に、自分の過去への思いがグルグルと回りだした。
少なくともITFテコンドーの一団体の一階級とはいえ日本一になった。
それなのに、世界戦への出場を拒んだ。
旅費をねだれない、という理由で。
世界最強、にはなれないとしても、少なくとも世界最強にもう一歩近いところに行けたかもしれないのに……。
――――少なくとも、最強に憧れるのは男だけじゃない。
三条和希という名になる前の自分は、12歳でテコンドーに出会った。
テコンドーに出会って、和希は自分の体が人より柔らかく速いことに気が付いた。
ほとんど勉強できないなか、それでも好きだった理科の物理の勉強が、武道に生かせることを知った。
最初は主に、基本蹴りと型ばかりであったが、すぐに和希は組手の魅力にハマった。
何せ接触もほとんど足で済む。
それ以上に、自分の頭と自分の力で相手を突き放せる。自分の力で相手を倒し、自分を守れる。
強さを手にするという喜びをその時に知った。
男だけのものなんかじゃない、この世で一番強い存在になりたいという夢も。
然し、それははかない夢でもあった。
そもそも、自分が女だったことを最初から嫌というほど知っていた。
自分の細さで耐えられるパワーには限界があることにも、根性でカバーできないことにも早々に気づいた。
一生懸命食べても食が細く、食べられる量を何とか増やしても、それでもつけられる筋肉に限りがあることも気づいた。
少しは伸びたと思った身長は、決して巨漢という存在になれるものではなかった。
そして、世界最強の格闘技なんて魔法はこの世に存在しなかった。
じゃあ、どうしたら自分よりでかい男を倒せるのか?
どうしたら一人で大ぜいを倒せるのか?
女であるせいで売られる無駄な喧嘩も相まって、思考は、世界最強になれないことを前提として、競技よりそちらの方向へと向かっていった。
だけど。
もっと、ただただ一番をめがけて、走ることだってやってよかったんじゃないだろうか…?
(行っとけば良かったかな……)
自分は女であることを呪っているが、自分よりも世界最強に近い女たちにあっさり玉砕して帰ってきたかもしれない。
行かなかったからそれさえもわからない。
―――――――ふっと、耳にひときわ大きな喧騒が届いて和希は顔を上げた。
一方の選手が見えない。
かぁん、かぁん、かぁん……と響くゴングに、KO決着を知る。
敗者はキャンバスに沈んだのだ。
そして勝者は、歓喜に腹の底から雄叫びを上げ、両の腕を高く高くつき上げる。
涙を我慢せず、叫び続ける。
不思議と、試合が決まるところを見られなくて残念という気持ちはそれほどなくて。
勝者を見つめていた。
◇◇◇
順次進む表彰とセレモニー。
そして選手からの丁寧なマイクパフォーマンス。
そうして、勝者側と敗者側の感情の交錯。
本来の目的を忘れてしまいそうなほど、すべてが和希の興味を引いてしまう。
(……あの男の目的はそれなのか)
主催者たちの近くに堂々と座る、覇華の弟子を見て、和希は首をかしげる。
この場所にてファルス本山を人知れず闇討ちをするということは、完全に封じられている。
あとは彼が出ていくところを狙う等だが……
不意討ちは、さすがに難しいだろう。
とうとう、閉会式が終わってしまい、ぞろぞろと客が帰ってゆく。
同時に、スタッフと思われる人々が、片づけに走り始めていく。
まだそこまで遅い時間ではないが、さすがにいったん撤収するべきか。
いや、引く方が危ないか。後輩一人、守りながらだから…。
そんなことを考えていたら。
「……三条!」
唐突に、覇華の弟子が立ち上がりながらこっちを向いて声をかける。
「な…に…?」
手招く弟子。
「せっかくなんで、リングに上がってみないか、って」
「は?」
「ほら、せっかくだからさ。上がってみなよ!」
彼は階段を上がり、ロープをくぐってリングの上に上がってみせる。
いや、和希だって、リングのような場所に一度も上がったことがないわけではないのだけど。
誘われるまま、和希は靴を脱いで階段を上り、……リングの、上に乗る。
キャンバス地にくるまれたクッションの感触。
木の床よりは柔らかく、少し、地面を足の指でがっしりと掴みづらい。少し力を持っていかれる感じがある。
一方で、ほんのり弾むからこそ、その弾力を使って動くこともできそうだ。
しかし、なぜ自分をここへ……
「どう。三条?」
ぴょんぴょん、と弟子は跳びながら、楽し気に大きな声で和希に話しかける。
「……どうって……」
「ちょっと闘ってみたくない?」
「は?……あんたと?」
「いや。さっき、会長とかと話してて。
せっかくなんで、誰か、相手してほしい人がいれば闘っていいよ、相手してあげるよ、って。
ね、そうですよねー?」
弟子はそう、主催者に声を投げかける。
まるで、わざと、皆に聞こえるように声を出しているかのように……。
主催者もにこにこして、「誰でもええでー」と言う。
……なるほど。
さすがにこの期に及んで和希は、覇華の弟子の目論見を察した。
リングの下の、心配げにこちらを見上げる慶史まで、この次起きることをすでにわかっているのだろう。
この状況なら選ぶしかないだろう?
和希は深呼吸して、その名前を口にした。
「本山さんにお願いしたいと思います」
◇◇◇




