47. 観戦
「あ、ほらほら。
この辺君らの席にするから座りぃな」
「あ、は…はい」
主催者に勧められて、和希は本山から目を外す。
自分が懸念していたほどには、自分が本山を見て動揺していない――恐怖に支配されずに済んでいることにほっとしていた。
しかし、油断をしてはいけない。性犯罪者たちの書き込みを見ていて、急に具合が悪くなったことがある。
毒は蓄積する。自分が気づかない間にも。
大切なのは、一番の武器たる自分を、常に正確に見つめて把握することだ。
「おい、マサル。どうしたん? 仕事やで?」
「は、はい……」
和希をにらみ棒立ちになってしまっていた本山も歯切れ悪く、主催者に従い、よぼけた足取りでリング最前列に向かった。
逆に彼は大きく動揺したのか、集中力とエネルギーを削がれたようだ。
和希たちに、格闘技関係者たちにいま自分がしようとしていることをばらされると思ったのだろうか?
(それとも、あれか。
『男の聖域に女が入ってくるな』的な奴か?)
まさかとは思うが、もしそうだとしたら……今自分がしていることに異常なほど罪悪感も悪い事だという認識もないようだ。
繰り返しそれを突き付けられてきた和希としては、そっちの方が心が削られるのだが。
そんなことを思っていたら、覇華の弟子の男が席を勧められている。
どうやら主催者たちの列―――最前列に席をもらうようだ。
(他団体の人間に、随分なVIP待遇だな……)
あの男はどういう存在なのか。
……そういえば新橋だったか、若くして世界2位になった選手がいると言っていたが、彼のことなのか…?
――――物事には段取りってものがあります。
――――同じことをするにも、やり方工夫してちゃんとした手順さえ踏めば……
『ちゃんとした手順』はこれなのか?
まったく意味が分からないが。
そもそも彼は何のためここにいるのか。
和希を止めるため?だとしても、わからん……。
少しして、スタッフのようなひとから和希と慶史が勧められたのは、リングから2列目の席だった。
少し離れて、斜めからファルスの背中を見る位置だ。
真後ろではなくて、良かった。その安堵ははっきり言って、ある。
至近距離に本山がい続ける状態で、正直、数時間耐えられるかはわからないと思う。
そして、オープニングファイト開始のアナウンスが始まった。
◇◇◇
オープニングファイトこそ判定だったが、第1試合・第2試合とKOが続き、試合はスピーディーに進んでいく。
初めてリングの真前で試合を見る。
いまのところ大体軽量級から中量級の選手ばかりで、自分ならこの選手とどのように戦うだろうか、と、考えて、むしろ緊張がほぐれていた。
それは慶史が横にいるせいもあったかもしれないが。
それにしても。
と、和希は一発一発の打撃を見つめながら思う。重いな、と。
リングという環境もあるのだろう。正方形の試合場を跳びまわるテコンドーや空手の組手よりも遥かに、真正面からの打ち合い、という感じがする。
一発、一発、耳から全身に響くほどに音が重い。
その打撃を、互いが驚くほど食らい合っている。ハイキック(になるはずのもの)を足で受ける。
そのどつき合いが楽しそうで、ああ、骨折れてもいいから混じりたいな…と思う。
一方で、何でもっと動き回らないのかな、とか、私ならこうするのに、というもどかしさもあったりする。
<キックボクシング>は、広義にはリングの上でパンチやキックを用いて闘う格闘技全般を指す言葉だが、狭義では日本発祥の格闘技の名称である。
その誕生は、日本人のムエタイとの出会いだった。
戦後の焼け跡の日本で、日本人に希望をあたえた格闘技としてイメージされるのはまずプロレスとボクシングであろう。
プロレスの興行が本格化したのは力道山が日本プロレスを旗揚げした1953年以降のこと。
一方ボクシングはと言えば、1947年には全日本選手権を再開し、ドサ回りの興行から徐々に支持を集め、また1952年には白井義男が日本初の世界王者となった。
その後1960年代のボクシングブームへと続いていく。
そのような中、1959年と1962年、日本でムエタイの試合が行われた。
これに触発されたボクシングプロモーターの野口修は、空手対ムエタイの興行を企画。
1963年、極真会館の前身である大山道場から、大山倍達門下の3名がタイ王国でムエタイに挑み2対1で勝ち越した。
それを受けて、1966年野口は『キックボクシング』の名称を考案。
ムエタイのルールを参照し、空手家やボクサーなどバックボーンが違う選手同士が戦える場として、その競技として、キックボクシングは始まったのだ。
……そして、確かこの会場は、そのキックボクシング黎明期のキックボクシングブームの頃に作られ、それからずっと続いていたはずだ。
半世紀つづく歴史ある会場。数多の血を吸い込んだ歴史あるリング。
その真前で試合を見ていれば、そりゃ体がウズウズする。ヤりたくなる。
……まずい。当初の目的を忘れそうになっている。
「他の格闘技の試合とか、結構見に行かれるんですか?」
自分の右側に座った慶史の質問に、「頻繁に見に行くほどのお金はないけど」と和希はこたえた。
「でも見るのは好きだな。テレビとかは結構チェックしてる」
「見ていて闘い方のヒントもらったり、今度アレ試してみよう、とか思ったりするものなんですか?」
「いや、まったく。純粋な娯楽。このルールで闘ってみたいなーとか思うときはあるけど。
それか、強いて言うなら…」
性格の悪い話だが、言っていいものか少し迷いながら、和希は続けた。
「入試の過去問を見て『ああこれなら私解けたわ』って安心するような感覚で、コイツには勝てるなって男を数えて安心する時はある」
「………なるほど?」
ニュアンスからすると、後輩はやはり呆れたか引いたかしたようだ。
いや、どんな人間だって、多かれ少なかれそういうものだと思うのだが。
――――――素人いたぶって、自分の強さなんてわかるの?
覇華の言葉を思い出して苦笑する。確かに。自分より弱いものを探してどうする、という話だ。
気が付けば時折、本山の声が聞こえてくる。
耳に入っていたけど、平気だったということか。ひとつ、和希の安堵がふえる。
声……記憶にあるものとは違うような、同じなような。
ただ、時折歯切れの悪さが目立つのは、和希たちを見た動揺ゆえであろうか。
改めて、和希は、ファルス本山に目を向けた。
斜め後ろの角度から、ファルス本山の体を観察した。
……背中に贅肉がついている。服の上から、歪な形で漏れている。
座っている姿勢も酷く悪い。
偉そうな雰囲気を作りたいせいなのか、体幹の力が落ちているのか。
「どうかしました? 三条さん」
「……なんか……」
「え?」
和希は舌打ちして、言った。
「なんかちょっと、腹立ってきた」
◇◇◇




