44. 吠える犬
◇◇◇
「……ここ、ですか?」
「ああ」
「なんか、普通にビルですね……」
「そりゃ、みんな『さいたまスーパーアリーナ』みたいなとこでやるわけじゃないからさ。
後楽園ホールや新宿FACEだって、ビルの中にあるんだよ?」
「へえ……」
薄汚れ気味のビルのなか。きょろきょろと今井慶史は見まわす。
4月29日祝日。今日のキックボクシングの興行の会場。
エレベーターの前には観客らしき男たちが並んでいるようだし、最終的に、それなりに人は集まるだろうと見た。
慶史と和希はその列に並ぶ。
「競技の場じゃなくて、興行の場だからね。
柄のいいとこじゃないけど、ここにしかない良さもある」
今日という日まで二人で同じ部屋で過ごして、今日という日を迎えて、和希がファルス本山と闘うつもりであるということを、慶史はもう何も言わなかった。
どういうつもりかはわからない。
途中で妨害するぐらいのことはするかもしれない。
彼を信頼していないのではなく、逆に彼という人間を信頼するからこそ、それぐらいやりかねないとは思っている。
だから、それも想定しながら、和希はこの先のことを考えていた。
会場の階にあがり、また並ぶ人、人、人。
ようやくたどり着いた、受付の長机の前で、2人分の料金を無造作にスタッフに渡す和希。
自分の分をだそうとする慶史の手を押しとどめて、和希は指でくいくいと来いと示した。
そのまま和希は慶史を連れて、込み合う廊下や通路をかき分けてぐいぐい入り込み、指定の席に慶史を押し込みざま、自分も座った。
パイプ椅子ではなく作り付けの椅子だ。
それほど大きくはない会場に、リングを囲んで、四方に椅子が、ぎっちりと詰まっている。
「見た通り。若い格闘技マニアよりも、スポーツ新聞片手にヤジ飛ばすおっちゃんたちがメインの観客なんだ。
ここの会場はK-1ブームよりずっと前から、キックボクシングの試合を続けてきた。
古くて綺麗じゃないぶん、歴史があるところなんだ」
「へぇ……」
「選手も、大きいスポンサーがついているような人は結構すくなくて。
地元の中小企業や店なんかが細々と応援している感じだよ。
ほら。パンフレット見な。格闘技用品の広告のほかに、パチンコ屋や、近くの居酒屋とかいろいろ店の広告が結構入ってるだろ。
ここの広告に出てるの、今回の出場選手だし」
「そうなんですね……
なんだろう、そんなにお金がある感じじゃないのに、本山をわざわざ東京から呼ぶんですね?
ギャラとか、高いんじゃ……」
「業界の力関係や義理みたいなもので呼ばれたんじゃないかな。
ギャラはせいぜい足代ってとこで。
お互い、まめに協力しないとやっていけない世界だから」
「……なんか、世知辛いですね……」
「格闘技は、ものすごく景気に左右されやすい。
今はいろんな興行ががんばってるけど…実際、何度も格闘技不遇の時代を繰り返してきたし。
そもそも、景気がいい時でもそれで食べていける格闘家なんて本当に少ないし」
プロでもチケットをはかなければいけないなど……どうしてもいろいろとブラックな話は聞く。
「けどさ、この規模だから入り込みやすいよ。
見てみな 、そこが、選手が入場する入口。
観客が普通に通るところを、全然選手も関係者も通ってるんだ」
「そう、ですね」
入り込んで何をするか、慶史は、聞かなかった。
かわりに、深く溜息をついた。
いまさら、ずきりと胸が痛くなった。
「……あきれてるんだろうな」
「いえ」
慶史は首を振る。
「襲われたあとなのに、どこからそのエネルギーが湧いてくるんだろうなぁ、って。
思ってました」
「エネルギー?」
「ええ、強いですよね」
「別に」
確実に、そんなんじゃないのはわかってる。
「『攻撃は最大の防御』ってだけ」
「へぇ。三条らしいね?」
「………………!!!」
すぐ後ろで聞き覚えのあるややハイトーンの男の声がして、思わず和希と慶史は振り返る。
「どうも、この間はお疲れ様。三条和希」
すぐ後ろに座っていたのは、牧ノ瀬覇華と一緒にいた、名もわからない若い、少年と言ってもいいかもしれない男だった。
かわいいに近い、イケメンの顔立ち。
にこやかな笑みを浮かべてはいるが、……かなりの遣い手のオーラが隠しきれず漏れていて、ともすれば笑顔さえ不敵なものに見えてしまうのだ。
「……どうしてここが?」
「まあ、あのホームページがわかっていれば、ファルス本山が首領じゃないかって思うじゃん。
あとは、いろいろと」
「それで、わざわざ私を見張りに来たと?
……暇ですね」
「えーひでぇ。
いざって時は隣の後輩を守る人間が必要じゃないの?」
「………」
さすが、覇華の弟子。
切り返しが絶妙に似ていて、なんかむかつく……。
しかし和希の心中など知ってか知らずか、にこにこっと、して男は、
「でも俺、三条のそのスタンス好きだよ」
と言う。
「どういう意味で?」
「ほら。テコンドーって、守ってかわして捌いて省エネで勝つっていうのが理想って言われるけど。
……その強さになってまでまだガツガツいけるっていうのは、さらに伸びしろがあるってことじゃん?
いいと思う、そういうの」
「……そんなんじゃない」
和希は低い声で呟くように返した。
覇華にも指摘された。
【攻撃】は、文字通り、和希にとって【防御】なのだ。
別に良さでも何でもない。
『そんな守りに入っちゃうの、もったいないよね?』
……2年前と少し前、全日本選手権の前日。組手の練習のあと、覇華に言われた言葉。
当時の和希は今以上に前に出るファイターだった。
動きのバリエーションはあったけど、躊躇せず入り込む速さと判断力が自分でも一番自信があった。
少々食らったとしてもほぼ同時にカウンターをいれるし、殴られた3倍も5倍も返す。
そんな和希のスタイルを指して、『守りに入る 』と形容したのは、後にも先にも覇華一人だ。
『一回の組手の中でも、もっと変えようよ。緩急つけてさ。
せっかくバリエーションあるんだから、相手に合わせて色々変えて工夫してみたらもっといい闘い方できるのに……
そりゃ、試合だったら、同じ必勝パターンを選び続けるのもありだろうけど……』
『戦法、最後まで変えないの、もったいなかったよ。
びびってなんかない、気持ちじゃ負けていないんだ 、って、自分に言い訳立つようにしてない?』
……悔しいが。覇華に関してはそうだった。
【女子】に苦戦してしまう自分を素直に認められないことが、和希から冷静さを奪っていたのだ。
些細な言葉に動揺させられて、道場の師範や黒帯や、サークルの主将・日比谷にやたらかみついてしまう。
『弱い犬ほどよく吠える』の例え通り、本来猛者なら、
(私ほど、強ければ)
そこまで吠えたりかみついたりすることはないはずなのだ。
(……自分が弱いかも、って思う瞬間が、怖いんだろうな?)
と和希は思う。
誰を倒しても、どんな圧倒的な勝ち方をしても。
和希の心はふっと、大きな大人の男に組み敷かれた少女の頃の恐怖にワープしてしまうのだ。
「んー。
三条なりに何かいろいろあるのかもしれないけど」
「…………」
「何が原動力でも、アグレッシブに闘えるのはすごいことじゃないん?」
けろりとして、目の前の男は言った。
何かを見透かしたのか? それはわからないが。
「うちの団体でも、あんたの組手動画をよく参考にしている奴いるし。
階級上の相手にも通用するあんたの動きは憧れなの。
足の長さとか柔らかさとか 骨盤の構造とかあるし、なかなか男には真似できないんだけど」
「……知らない」
あまりに率直に褒められるとどうしたらいいかわからん。
判断に迷って、和希は顔を背けてしまった。
けれど男は続ける。
「確かに、子供襲うやつとか、集団で女襲ってくる奴とかには腹立てて当然だよ。
警察に言っても、よくわからん理由で『不起訴』とかなっちゃって裁かれずにすんじゃう世の中だもんな。
だったら今すぐ直接ボコらせろ、っていうのは、すごく気持ちがわかるよ」
「別に、わからなくていいけど……」
「でもさぁ三条」
体を傾けて首をのばし、男は和希と無理やり目を合わせた。
「物事には段取りってものがあります」
「はぁ」
「同じことをするにも、やり方工夫してちゃんとした手順さえ踏めば、全然意味も結果も変わることもあるんだよ?」
そう言って男は慶史と和希を交互に見て、意味ありげに、微笑んだのだ。
◇◇◇




