36. 過去との遭遇
◇◇◇
「……レンズを割ったのはナイスだったね。
まぁ予備のはあるんだろうけど……」
「そ、そう、ですね……。
ああいうカメラのレンズって高価なもののはずだから壊れると精神的ダメージが大きいかなと思って狙いました」
「……そっちかい」
コインパーキングに停めた車の中でハンドルに突っ伏して、和希はうめく。
今井慶史。普段おひとよしで優しいように見えて、そういう敵の痛いところをあれだけ躊躇なく突けるとは、この後輩恐ろしい。
一方、和希に渡された4尺杖を抱えシートにもたれるようにしている慶史は、どっと疲れが出たように見える。
「ええと、すみません、今回、性犯罪者への傷害が問題になってるんですよね……」
「ん? ああ…」
「ところで傷害以外の犯罪にも躊躇なさすぎのように思うのは俺の気のせいでしょうか?」
「レンズ壊した奴に言われたくない」
和希は後輩を軽くにらむ。
「すみません器物破損でした」
ため息をついて、和希はハンドルから体を起こした。
慶史もつられて似たようなことをしているのはそうだが、すべてのことに護身が優先する和希は、他の選択肢を捨てることに確かに躊躇がないかもしれない。
だが、時間はすべての命だ。
普通ドン引くような行為もその場その場で合理的だから選んでいる。少なくとも後輩がそれについてきてくれるのも大変ありがたい。
「そうだ、はやくしないと」
「はやく?
このまま逃げるってことですか?」
「いや、この車を乗り捨てるのをね。
どうせ、奴らは私の部屋の中を捜索して、私を捕まえるのに手掛かりになるものを漁っているはずだ。
こっちも相手の情報を何か握らないと」
「……それもあって、車を奪ったんですか?」
「うん。
こんな黒いデカいワゴン車、めちゃくちゃ目立つし逃げるに向かないよ。
そもそも豊島区ナンバーって……」
そう言って和希は体を伸ばして、あちこち、運転席周りをがさごそと漁り始めた。
「しかし、ほんと臭いな……」
臭いのひどさに同意しつつ、慶史も一緒にダッシュボードの中を漁る。
しかしゴミとタバコの吸殻だらけだ。誰の運転免許証もない。
強いて言えばコンビニのレシートから、これまでの滞在場所が判明するだろうか?
「後ろの席も見なきゃ」
「ええ……そうですね」
慶史が助手席と運転席の間から這いずって後部座席へと向かう。ジーパンの尻ポケットから携帯とカギが落ちそう。
和希もそれに続こうとすると……。
「あのー、三条さん?」
「ん?」
「こっち、来ない方がいいです」
「え?」
「その……あの、たぶん、撮影に使う用のいろいろな、えーと、モノがあって、その」
びく、と後ろに這い出ようとした手が、止まる。
「…………そうか」
自分の意思に反して拒否した体に、和希はただ嘆息した。
「ええと、すぐ漁るので、ちょっと待っててくださいね。
うお、あれなんだこれ……」
わざと明るくしたような後輩の声に、ざざざ、とものが何か崩れ落ちる音。
ばさばさと衣類のような音。なにかを和希に見えないように隠しているらしい音。
書類や、何かDVDケースのようなものを漁る物音。
「寝袋がいくつかありますね。
車と機材ごと関西に来て、みんな、集団で車中泊していた感じですかね?」
「そうか……そうなんだ」
――――はがゆい。
後輩が当たり前のようにできることができないことが。
いくら見ない方が良いと体が拒むようなものであったとしても。
「ン………あれ」
「なに?」
「これ……見てください」
這うようにして前の方まで戻ってきた慶史の手にあったのは、カラーのA4サイズのパンフレットだった。
それはキックボクシングの興行のものだ。
場所は京都府内。
日付は、祝日。4月29日。あと数日。
「なんだ……?」
ぱら、っとめくってみる。
主催者は関西キックボクシング界の重鎮。
極真関係で、和希は遠くから顔を見たことがある。
メインを除くと、あまり知名度のある選手はいないが、地味で人気は控えめなものの良い試合をする選手を押さえていたりして、内容的には見ごたえがあるのではと感じた。
ふと思い当たることがあり、最終ページをめくった。
普通に見落としてしまいそうな3文字の漢字を、和希は指さす。
――――そこには、ゲストコメンテーターとして。
本山衛の名前があった。
「三条さん……」
和希は頷いた。
……なるほど。本山は、この予定に合わせて、関西に来ているのか。
「この日時にここに行けば、本山がいるのか」
「え!?
会う、ってことですか?」
和希はそれには答えなかった。
「ねぇ、覚えたから、元の場所に戻しておいてくれない?
それでここから出よう」
「は……はい」
慶史はパンフをもって、ごそごそと、後ろの方に這っていった。
だいたい、もとの場所に戻した、と思ったが。なぜかためらうように、後輩が帰ってこない。
「……あの」
「なに」
「いえっ、大丈夫、です」
なにか言いたいことがあるのかと、後輩の言葉をいぶかしんだ直後。
―――――――――ふと。
最悪の可能性に思い至る。
「え、あ、三条さん!?」
それに思い至ったら止められなくて、気づいたら和希の体は後部座席へとねじ込まれていた。
散らばる、目に余る性具や衣装やらのものたちにもよおす吐き気に耐え、極力目に入れないようにして、慶史がいるところへ、這うように最短で。
座席に盛られた荷物。その上に、箱詰めのDVDが。
「――――――やっぱり」
それは、アングラで作られたと一目でわかる、少女の写真がケースに貼られたパッケージ。
9歳から11歳の間の、同じ少女を、様々な衣装と構図で撮影したパッケージ写真。
そのDVDが、いくつも、いくつも。
見慣れすぎたその顔に、和希は、嘆息した。
「あの、……児童ポルノに当たるものなので壊すなりしていきますか……?」
「そうだね……」
と返したが、そんな理由で後輩が目を留めたのではないことはわかっている。
和希は一枚を手に取ると、中のディスクを渾身の力で曲げた。
そうして、DVDケースも。
バキリ、と割る。
「気をつかわなくていいよ」
「あの、いえ」
慶史が尋ねるのではなく口ごもる。
その態度はもう、察しているのだと重ねて表している。
ガザザァッ……
<中島ミサナ>と少女の名前が書かれたディスクが20枚ほども入った箱を、和希の手は荒々しくひっくり返し床にぶちまける。
それを忌々しく踏み折りながら、和希は続けた。
「これは8年前の私」
◇◇◇




